41 / 108
第11話 水族館(4)
「別にいい。今日は楽しかった」
「えっ……?」
「何だ、わたしが楽しかったのでは、不満か?」
「い、いえ……!」
慌てて否定したものの、正直、驚いた。
社交辞令かもしれなかったが、とても嬉しかった。
「ぼくも楽しかったです。ありがとう、テラ」
「良かった。互いに楽しめたのなら、それに越したことはない」
言いながらアクセルを緩く踏む。外を見ると、次第に街がライトアップされはじめる時間帯だった。ふと、ハンドルを右に切ったテラに、ハナは話しかけた。
「テラの家には、寄らないんですか?」
てっきり、帝都ホテルのペントハウスへ寄り、あの一連の儀式をするのかと思っていた。
しかしテラは前を見据えたまま、ハンドルを再び切り直そうとはしなかった。
「ああ。今日は家へ送り届けるよ。何もしない」
──何もしない。
テラと逢った日は、何となくそういうことをするのだと、二人の間で暗黙の了解があった。それが、今日に限って何もないというのは、何だか少し奇妙な気分だった。
大通りから逸れて、家路への道を、スピードを落としながら走る間、テラがぽつりと呟いた。
「きみに謝罪を」
「え……?」
ハナが聞き違いかと振り返ると、テラは気まずそうに、頬を少し染めていた。
「初めて逢った時から、しばらく失礼な態度を」
「テラ……」
「オメガが横からしゃしゃり出てきたと思ったんだ。わたしの夢の中へ。しかもなぜか明が、弟だという理由だけで、反対ひとつ、しやしなかった。ルナの失踪が寝耳に水で、きみのせいじゃないかとすら思った。完全な八つ当たりだ。すまなかった、ハナ」
「いえ。ぼくも、あなたに失礼な態度を取っていましたし……」
お互いに、誤解があったのだ。今思えば、ハナも、ルナのことを強く主張しすぎた。
「今、あなたとこうしていられるから、ぼくはそれで十分です」
門を抜けて、玄関先のアプローチに、車が静かに停止する。今日、誘ってもらって本当に良かった、とハナは思った。テラの人柄を知れたことで、これから彼との関係が、いい方向へ変わる予感がした。
「それじゃ、ありがとうございました」
だが、車から降りた瞬間、誰かに見られている気がして、ハナはつと顔を上げた。
しかし、そこには誰もいない。
「どうかしたか?」
車の中から、テラが違和感を察知して、声を掛ける。
「あ、いえ……。視線を感じたけど、気のせいだったみたいで。あっ、そうだ、これ」
ハナは慌てて鞄の中を探り、小さな水色の包みを取り出すと、テラに差し出した。
「あげます。二個買ったので。お礼です。よければ使ってください」
それは、マンボウを形どった、銀色のキーホルダーだった。
ともだちにシェアしよう!