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第14話 その日(7)

「明はわたしの大事なビジネス上のパートナーだ。そして、友人でもある。それなのに、明に告げずに、きみを最後まで抱くなんて、できると思うか? わたしにはできない。だが、あの一文を追加したのは、きみがオメガだからではない。わたしがきみに、怯んだからだ。きみの決意に」 「テラ……」  テラは、そっとハナを振り返った。青い眸に暖かい色が宿る。睫毛の先から、光が零れ出しそうだとハナは思った。 「きみを、ぞんざいに扱うことなどできない。きみは娼婦でも何でもないのだから。わたしは、きみのことが、明と同等に、いやそれ以上に、大切なのだ」  慎重に、言葉を選びながら、テラは、ハナの心に触れてくる。ああ、だからだ、とハナは思った。テラは、見ていないようで、よく見ている。ハナのことも、明のことも、大切だから、疎かにしない。  にもかかわらず、ハナは、テラからそれ以上のものを欲していた。求めれば、テラが困るだろうことは、わかっているのにだ。 「ぼく……失礼を」 「気にしないさ」 「あなたが、あんまり優しいから、勘違いをしてしまいそうです」 「勘違い……?」 「はい」  ──運命は、平等じゃない。  そんな当たり前のことに戦いを挑んで、牧野は敗れたことを認められなかったに違いない。  一方、ハナはどうだろうか。  親友であり、ビジネスパートナーでもある、ハナの兄の明の存在に、テラが気後れするぐらいなら、この感情を言葉にすべきじゃないことは確かだった。 「ぼく、成人しました。大人に、なったんです。でも、あなたに釣り合うには、まだ時間がかかりそうで……」  テラの視線を感じながら、ハナは、いつの日か、テラに釣り合う人間になれる日がくるだろうか、と夢想した。  簡単なことではないだろう。  でも、芽生えた想いを伝えるために、努力を惜しむつもりはなかった。 「ありがとう、テラ。ぼくのために、嫌われ役をやらせてしまって、ごめんなさい」 「謝ることはない。わたしが勝手に選んだことだ」  ハナは、再び首を横に振った。今度は、意志の力で。 「兄と、ちゃんと、話してみます。さっき、ちょっと言い合いになっちゃったから、少し頭を冷やして、もう一度」 「何かあれば、わたしに連絡をくれるか?」  テラの心遣いにハナは頷いて、微笑んだ。こういう人だから、好きになったのだ。 「はい。今日は……このまま帰るんですよね」 「そうした方が良さそうだ」  ハナは頷くと、名残惜しくなる前に、フィアットのドアを開けようとした。

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