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はじまりの雨3

 「おーい!睦月〜、棚にあった日本酒飲んでいいかあ?」  ドアの向こうから、彼の声がした。  ヤバ、早く行かなきゃ。  「いいですよ!すみません!早くいきます!」  僕は、急いでクローゼットの中から、タオルとシャツとハンガーを取り出すと、寝室を出た。 「やっときたか。睦月を待ってる間に髪もシャツも乾いたぞ」 彼が、ソファに凭れ右手でグラスを掲げて、僕を見上げた。 「ごめんなさい! ちょっと探してて……。」 僕は、ソファにかけてあるジャケットを拾い上げ、ハンガーにかけた。 「そんなことより飲み直そうぜ。いいつまみもあることだしさ」 「いいつまみ?」 怪訝な顔で彼を見ると彼が左手に手にしているのは僕が過去に出したBLCDだった。    ちなみにBLCDというのは、ボーイズラブCDと言って、男同士の恋愛をモチーフにした物語を音声のみで表現した作品である。  僕は、”受け“と言って、ネコ側―襲われる側―の役が多い。 高校を卒業してから、脇役やエキストラで参加しはじめ、アニメの主役よりも前にこっちで主役を演じる方が早かった。     「ちょっ……もしかして、それを聴こうとか言うんじゃないでしょうね?」 「もちのろんだよ。俺、睦月がBLやってるのは知ってるけど、聴いたことないからさ。興味あるんだよねえ。」 彼が、満面の笑みを浮かべ、グラスに日本酒を注いだ。    いまのうちだ!  僕は、テーブルの上に置いてあるCDを手にとった。だけど、彼は僕をちらりと見やっただけで、ゆっくり味わうようにお酒を飲んで口端を歪める。 「あのさ。CDとったのに何も言わないわけ?」 「ああ。」 彼が、いったんグラスから口を離し、含み笑いを浮かべた。 「ふふ……気になる?中身は……そりゃ、な?」 片手で僕の頬を撫で、口端を歪めた。その直後、コンポから聞きなれた声が聞こえた。  『やだぁ!』 『やだじゃないでしょ?』    盛り上がるBGM。  涙交じりな高い僕の声と甘く囁く美声が売りな先輩声優の声。  この場面って、いわゆる濡れ場ってやつじゃん。  「おじさん!!」 僕は、いつもっていたか分からないが、彼の手には、コンポのリモコンが握られていた。僕は、それを取り返そうと必死に手を伸ばした。 だけど、伸ばした手は彼に捕らえられてしまい、僕の身体は、彼に引き寄せられるまま、彼の胸に倒れ込んだ。 『……あ……んんっ………いや……だっ………』 『いやだじゃないでしょ。ここはこんなに感じてるのに。』 『あっ……はぁ……んんっ』  熱い吐息混じりの先輩声優の声とくぐもった僕の声が、部屋に鳴り響く。  今、それを聴いているのは、ソファに重なり合うように倒れ込んでいる男がふたり。  その身体から離れようと顔をあげると、ニヤリとした笑みを浮かべる彼と目があった。僕は、恥ずかしさのあまり彼の胸に再び顔を伏せた。 彼は、どんな気持ちでこれを聴いてるのだろうか? それを考えると僕の鼓動は早くなる一方だった。  芝居をしているときはその世界観に集中しているし、ひとりで聴いてる時も自分へのダメ出しをしながら聴いているから、特に何も思わないけどさ。  誰かと自分がでたBLCDを聴くのは今日が初めてだ。しかもこの体勢だ。なんだか気恥ずかしさがある。    早く、終わって。 そう願いながら、僕は、固く目を閉じた。  「あれ? 意外だな。耳まで赤くしちゃって自分の聴いてて恥ずかしいんだ?」 からかうような口調で彼が僕の背に腕を回し、一方で僕の耳朶に触れた。  そして……  「……一度ナマで聴いてみたいよな。」  え? 今、なんて…?  ボソッといった彼の言葉に僕は顔をあげた。 「睦月……」 耳朶を撫でながら、吐息交じりの声で彼が囁いた。そして、もう一方の手がシャツの裾の中から進入してきた。 熱を帯びた手が僕の肌に触れる。  離れようと思えば離れられる。離れるなら今のうちだってわかってる。 だけど、僕の身体はその先の何かを期待してしまっていた。  ドクンドクン。鼓動がものすごいスピードで高鳴っていく。  「……な〜んちゃってな。冗談だよ」 僕の肩を軽く押しやり、彼がにかっと笑った。 「え!冗談!?」 僕は、驚きのあまり素っ頓狂な声をあげてしまった。  冗談だなんてひどいよ!こっちは本気で雄一さんなら堕ちてもいいなんて考えてたのに…… 「ははは…そんな声だすなよ。いくら睦月が、かわいいからって本気でヤるわけないだろうが。芝居と現実は別物だってことくらい分かってるって。」 「もう、おじさんのばかっ!こっちは、心臓がバクバクしちゃったんだから」 僕は体を起こし、彼のそばに座った。 「ははは……そうかそうか。今日の睦月は、本当に素直でかわいいよ。」 彼が手をのばし、僕の頭を撫でた。 「はいはい。なんとでも言ってください。僕はあなたの相手をするのに疲れましたよ」 頭を撫でられながら、僕は、あいてるグラスに酒を注いだ。 「拗ねんなよ。」 彼が、体を起こし、グラスに酒を注いだ。 「乾杯。」 そして、彼が僕のグラスに自分のグラスを当てた。コクンコクン。おいしそうに飲み干す彼を見ながら、僕はちびちびグラスを傾ける。  いつのまにかCDドラマが終わっていて、外の雨音が、沈黙の隙間に聞こえてきた。  「雨、相変わらずすごいな」 ソファにもたれ、最後の酒を注ぎながら、彼が言う。 「そうですね。」 僕は、瞼が落ちてくるのを堪えながら相づちを打った。 「睦月、眠そうだな。先、寝てていいぞ。後かたづけは俺がしとくから」 「そういうわけにもいきませんよ」 「いいから。俺のことは気にするな。」 やさしい眼差しで言われ、僕は頷かざるをえなかった。 「じゃあ、お願いします。向こうの部屋にふとん敷いておくんで、よかったらそこで寝てください」 「ああ。ありがとう」 僕は、頭がぼーっとしながらも立ち上がった。 「おやすみなさい。まだ飲み足りないんでしたら、冷蔵庫にワインがあるんで」 「ああ。おやすみ。そうだ!なんでテーブルの上にBLCDなんて置いてたんだ?」 「ひとに貸したんですよ。もちろん、女の子ですよ。それが返ってきて、ここに置いてただけですよ」 「な〜んだそっか。おやすみ」 「はい。今度こそホントにおやすみなさい」  僕は、彼に背を向け、ふとんを敷きに向こうの部屋へとふらふらとした足取りで歩きだした。  そして、意識がもうろうとしながらも押入からふとんをだし、それを敷いた――。  これは、夢?  背後からぬくもりがまとわりつくように僕の身体を覆い、熱く酒気を帯びた息が僕の首筋をかすめた。 そして、シャツの裾から暖かいモノが僕の肌に進入してきた。 それは、感触を楽しむかのようにゆっくりと肌をなであげる。  僕は、くすぐったさに身をよじりそうになるが、怖くて声すらだせず動けなかった。  だけど、この感じは、誰だか分かってる。あの人しかいない。 やがて、肌を撫でてたそれが胸の突起に触れた。押しつぶすように両方の突起を転がされ、甘い痺れが背筋に走った。 「……やっ………ゆうい……ちっさ……ん……やめ……て……」 やっと掠れた声が、僕の口から漏れた。 その瞬間、ぬくもりが僕の身体から離れた。  バタン。ふすまを開ける音がして、僕が振り返った時には、あとかたもなくそれはなくなっていた。  なんだったんだろう?あれは。 夢だったんだろうか?  そう、あれは夢だったんだよ。僕は、普段ベッドで寝てるわけだし、現にここはふとんだ。  きっと雄一さんとあんなにくっついちゃったから、彼に襲われる夢なんて見たのかもしれない。  襲われたい願望かあ。  いやらしいな僕って。 ひとり苦笑いをして、僕は再び襲ってきた睡魔に飲み込まれていった――。  暑い。背中にうっすらと汗をかき僕は目が覚めた。 夜のどしゃぶりとは、大違いでこの部屋には暑いくらいの日差しが差し込んでいる。眩しさに目を細めながら体を起こすと、僕は、今いる場所に違和感を感じた。  なんで、僕自分の部屋じゃなくてここにいるんだろう?  眠りにつくまでの行動を思い返してみる。  ああそっか。僕、雄一さん用のふとんを敷いてて、そのまま寝ちゃったんだあ。  じゃあ、さっきのは……。もしかして、現実?  考えてたら、あの甘い痺れがよみがえってきて、思わず指先で自ら胸の突起に触れてしまった。  たしかに、ここをさっき……  あれは、夢なんかじゃない。  でも、なんで?  雄一さんが……。  「雄一さんっ!」 ふすまを開け、僕は彼の名前を呼んだ。 反応がなかったので、リビングに行ってみたが、彼の姿はなかった。そのかわり、テーブルにメモが残されていた。 【睦月へ 本当にお前には悪いが、睦月の部屋に来てからの記憶がないんだ。何かとんでもないことをしそうになった気もするんだが……  もし、そうなら言ってくれ。このお詫びは必ずするから。勝手に出ていってしまう俺を許してほしい。あとで連絡する。 三上】 きれいに片づけてあるテーブルにそれを置くと、僕は、ソファに腰掛けた。  覚えてないんだ。CD聴いたときのこととか夜這いにきたこととか。  雄一さんの動揺する様を見るのもおもしろそうだから、正直話しちゃうのもありだけどさ。でも、彼には言わないでおこう。僕の中だけのことにしておこう。あの甘い痛みと彼のぬくもりは…。  そう、僕は自分に言い聞かせた。

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