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スコール3

 店に入ると、すぐにカウンターで一人で飲んでいる男の背中が目に入った。  それは、紛れも無く彼だった。  「ごめんなさい!! 待たせちゃって」 「いいよ。俺が早く着きすぎただけだから。」 「そう。それならいいんだけど……」 僕が、彼の隣に座ると、彼がグラスから顔を上げ、僕のほうを向いた。 「来なかったら、どうしようかと思った。」 目をそらすことなく彼が僅かに口元を緩ませた。僕もそれにつられ、口元を緩めた。 「何でそう思ったんですか?」 「そりゃあ、避けられてる気がしてたからな」 「ふうん。たしかに避けてたかもしれないですね。」 「そういうこと正直にいうなよぉ。」 「しょうがないじゃないじゃないですか。あなただって知ってるでしょ? 昔から苦手なんですよごまかしたりするの。」  そう言って、僕は、彼から目を逸らした。  このままじっとみつめたまま会話してたら、戻れなくなる気がしたから……。 「すみません!ジンライムお願いします!」 そして、それをごまかすために僕は、バーテンダーを呼び、注文をした。彼は、バーテンダーと僕を交互に見ながら、再びグラスに口をつけた。 「な〜んかうまく逃げられた気分。」 拗ねたように言う彼の口調が、あまりにも子供っぽくて、僕は、クスリと笑い声を漏らしてしまった。 「おっ、睦月が笑った。」 「あの、人が笑ったのをものめずらしそうに言わないでくださいよ。」 「久しぶりだなと思ってさ。俺の前で笑うの。」 「そうかなあ」 「そうだよ。」  途切れた会話。 彼が、グラスをテーブルにおいて、僕の目をじっと見詰めた。  だめだ。心臓がバクバクする。逸らしても視線が絡み付いてくる。  彼は、一体僕に何を求めてるんだろう。   「お待たせしました。」 バーテンダーが僕の前にジンライムを置いた。 「せっかくだから、乾杯しよっか?」 「そう……ですね。でも、何に?」 「それを俺に言わせるのかよ。昨日が何の日だったかお前なら分かるだろ?」 「僕ならねえ…。ああ。分かりました。あなたの還暦のお祝い。」 「お前なあ」 「フフフ……冗談ですよ。早く乾杯しましょ。」 「ああ」  カチン。僕等はお互いの目を見つめたまま静かにグラスを重ねた。 「昨日、家族にお祝いしてもらわなかったんですか? 還暦の。」 「だーかーらー、お前なあ。それくらいの役はたまにやるけどさ。還暦還暦言うなよ。まだ40歳にもなってないんだからさ。」 「そうでしたっけ?」 彼が、苦笑いを浮かべながら、グラスを傾けると僕は、クスクスと笑いながら、グラスを持ち上げた。 「昨日は、仕事の後そのままスタッフと飲みに行ったから家には帰ってない。ほら、お前に明け方携帯にかけただろ?その時は、まだ飲み屋。」 「そっか。確かそうでしたね。じゃあ、ご家族は?」 「明日。俺もオフだし、家族も明日の 方が早めに夜帰れるらしい。」 「ふうん。」  そう言って、僕は、最後の一口を飲み干した。  そして、空になったグラスを宙で揺らした。  カランカラン。  グラスの中で揺れる氷が耳に心地良く響く。    「すみません! コレと同じモノを2杯」 彼が、バーテンダーを呼び、自分の空のグラスを持ち上げた。 「これって、なに?」 「これか? ウォッカのロック。」 バーテンダーが去った後、僕が声をひそめ聞くと、いやらしく彼が笑った。 「へえ。それをオレに飲ませようって気ですか?いいですよ。あなたのおごりならね。」 「……。」  僕は、彼の目を見つめ、口元を歪めた。すると、彼がにやりとした笑いを口元に浮かべ、目線を僕より下の方にずらした。  その視線をゆっくりと追う。そこには、新しく置かれたグラスがあった。  僕は、ちらりと彼を見やると、その瞳の思うままにグラスに入ってるモノを半分まで飲み干した。  のどが焼けるように熱い。  冷めたはずの熱が急激にまた上昇していく。さっきの比にならないくらいの熱が、僕の体を侵食していく。    僕は、グラスを置き、彼の方を見た。 「あの……これ、ただのウオッカじゃない……でしょ?」 「バレた?酔いがよりまわりやすいようにちょっと細工してもらったんだ。気分はどう?」 言葉もたどたどしくなってる僕に彼が笑う。 「どう?って……気分は最悪ですよ。頭ボーッとしちゃって。だるくてなにもしたくない。」 「そうかそうか。それじゃ、家まで送らないとな。」 彼が、満面の笑みを浮かべる。 「やっぱ、それが目的だったんですか?あきれた……」 「そんなこと言うなんてひどいヤツだな。俺の本来の目的知ってて、酔う気で飲んだくせに。」 「…ええ。そうですよ。」 吐き捨てるように僕が言った。 「睦月の意識がまだあるうちにコレ交換しておこうか?」 「ん?」 彼が、僕の隣の椅子に置いてある紙袋見て言った。どうやら、思考が完全に鈍ってきているらしい。 僕は、彼が何の事を言っているのか一瞬分からなかった。 「本来の目的と言うよりも口実でしかないけどな。一応持ってきたよ。」 「ああ。本当に持ってきてくれたんですかあ。オレはてっきりもってきてないのかと思ってましたよ。」 僕は、言いながら、彼がテーブルに置いたものを受け取ると、彼の服のはいった紙袋を彼の前に置いた。 「失礼なやつだな。いくら俺でも約束は守るよ。」 「ふうん」 そっけなく答え、僕が、残りのウォッカをちびちびと飲む。  「なあ?睦月、自分で気付いてたか?お前さ。普段は一人称が【僕】なのに俺と一緒にいる時は一人称が【オレ】になってることが結構あるんだよ」 「いや……全然。そうでしたっけ?オレ……意識してなかったけど…」 「ほら、また【オレ】っていってる。俺は、だいぶ前からしってたよ。お前の無意識の意識ってやつを。」  「いじめて楽しいですか? 僕のこと」  全て飲み干すと、わざと音を立てるように空になったグラスを置いた。 「いじめてるのは、お前だろ? 俺はもっと睦月に優しくしたいって思ってるよ」  彼が、テーブルに置いていた僕の右手に手を重ね、顔を近づけてきた。  触れられた手が熱い。彼の酒気を帯びた息が頬をかすめた。  飲まれていく……。  その熱さに……。  その匂いに……。  ホントは、ここで終わらせるつもりだったのに。  「顔近づけないで下さいよ」  キスされるんじゃないかって言うくらいの至近距離。  僕は、言葉とは裏腹にあいている自分の手を彼の手に重ねた。そして、頭を彼の肩にもたれさせた。  「お前、言ってることとやってることちがうぞ」 「うん……」 目を閉じてコクリと僕が頷く。  完全に溺れてる。  「眠いのか?」 彼の優しい声が耳元で響いた。 「ううん。」 「そうか。でも、ダメそうだな。そろそろ出ようか?」 「はい……」 「よし、いい子だ」  僕の手の中から、彼の手がそっと離れると、僕は、頭を起こし彼の袖をつかんだまま立ちあがった。  グラリグラリ。視界が揺らぐ。  僕は、もう一方の手をテーブルに置き、自分の体を支えた。 「立ってるのもやっとって感じだな。」 口元を僅かに緩ませ、僕を見上げた。僕は、焦点の合わない目で彼を睨みつけるのがせいいっぱいだ。 「そうですよ。誰のせいでこうなったっと思ってるんですか?」 「分かってて飲んだのはお前だろ?」 「ずるい……」 言葉に詰まった僕を楽しげに彼が笑う。 「ほら、俺も立つから腕じゃなくて肩に掴まれ。」 不服そうな顔をしつつもぼくは、言われるまま、袖を掴んでた手を肩へと移動させた。 「そんな遠慮するなよ。睦月らしくもない。」 立ちながら、彼が、僕の腕をつかみ、自分の肩へと回させた。 「な? こうしてる方がバランスいいだろ?」 「そりゃ、ま……」 「あんまり不服そうにしてると肩かしてやんないぜ。」 「……ごめんなさい」  ホントは、謝りたくなんかないのに。  でも、今頼れるのは、雄一さんの肩しかないしさ。しかたなくだよしかたなく。  会計は、彼が済ませ、僕が持っていた荷物も彼がもってくれた。あと、タクシーを呼んでくれたのも彼だ。  僕は、ただ彼の肩に腕を回し寄りかかるようにしているだけだった。 「眠いんなら寝てもいいよ。着いたら起すから。体力温存しとかないとな」 「バカ……」  はぁ。反論する気力すらない。  タクシーの車中。  僕が、彼の肩のもたれたままま小さく呟いた。彼は、僕の髪を撫でると僕の意識は、徐々に薄れていった。  「ついたぞ。大丈夫か?」 「……いえ。」 彼に揺り起こされ、僕は、起きた。タクシー代はもちろん彼が払った。  本当のところは、酔いは、なんとかひとりで歩けるくらいには冷めた気はする。  だけど、僕は、さっきのように彼の肩に腕をまわし、彼に支えられるままに自分の部屋へ歩いた。  僕は、『大丈夫』だといえなかった。  いや、『大丈夫』だと言いたくなかった。  このまま彼に触れていたかった。  

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