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第3話

 聖マルガレーテ総合病院には、スタッフの子供たちを預かる保育園『天使の園』がある。白い壁に赤い屋根の可愛らしい建物だ。 「先生、さようならぁ」 「はい、さようなら。また明日ね」 「さよならぁっ」  花壇には、いっぱいのチューリップ。赤やピンク、白、黄色。千晶が子供の頃に見たものよりもみんな丈が低くて、とても可愛らしい。 「真尋」  その花壇の前にしゃがんで、チューリップの葉っぱをよじ登るテントウムシを見ていた子供が振り返った。小さな子供にしては、顔立ちがはっきりとしていて整っている。きりりとした眉と大きな目が、やんちゃな男の子っぽい。 「あ、千晶だっ」  真尋と呼ばれた男の子は、ぱっと立ち上がると千晶に抱きついてきた。 「待ってた! ママが、今日は千晶が迎えに行くよって言ってたからっ」 「うん。遅くなってごめんね」  千晶は優しく微笑んで、真尋の少し汗に湿った髪を軽く撫でる。 「ああ、今日はママじゃなくて、千晶さんがお迎えでしたか」  近づいてきたのは、真尋のクラス、白百合組の担任だった。 「いつもお世話になっています」  千晶は真尋の手を繋ぎながら、担任に頭を下げた。 「今日は姉が仕事なので、僕が迎えに来ました」 「真尋くんは、ママよりも千晶さんが大好きみたいですね」  担任も真尋の頭を軽く撫でる。 「でも、どうして千晶さんは呼び捨てなんですか? えーと……真尋くんからすると、千晶さんは叔父さんにあたるわけですよね?」 「ちがうよ」  担任の言葉に、真尋は不満そうに頬を膨らませる。 「千晶は千晶だよ。叔父さんなんかじゃないもん」 「こら、真尋」  真尋は六歳だ。年長組なので、来年は小学生になる。  千晶は、美南と真尋と三人で暮らしている。職場やこの保育園と同じ敷地内にある職員住宅に住んでいるのだ。聖マルガレーテ総合病院は、とんでもなく広い敷地に建っていて、中には病院の他に、男女の修道院、保育園、学童保育、病児保育、そして、独身寮、家族持ちの職員住宅がある。 「さ、帰るよ。先生、ありがとうございました」 「はい。真尋くん、また明日ね」  担任に手を振って、千晶は真尋と並んで、歩き出した。 「真尋、ハンバーグできたから、お皿出して」 「はぁい!」  今日の晩ごはんは、煮込みハンバーグだ。休みの日にまとめて作っておいたハンバーグを解凍して、シャンピニオンをたっぷり入れたデミグラスソースで煮込む。 「ママ! ごはんだよ!」 「はいはい」  洗濯物をたたんでいた美南が立ち上がった。真尋に手を引っ張られて、ダイニングに来る。ゆったりとしたダイニングキッチンには、椅子が三脚の丸いダイニングテーブル。そこに美南を座らせてから、真尋は食卓を整えるのを手伝い始めた。慣れた仕草で、大きめの白い皿を三枚取り出し、そっとお湯を張った洗い桶に入れる。あたたかい料理をのせる皿をあたためているのだ。そして、今度はご飯茶碗を食器棚から出し、箸を引き出しから取り出す。 「ママはお箸並べてね」 「はいはい」  器用に、真尋がご飯を盛るのを確認して、千晶はハンバーグとつけ合わせのにんじんのグラッセ、マッシュポテトをあたためておいた皿に盛りつけた。さらに、たっぷりのグリーンサラダとマカロニサラダの盛り合わせとコーンスープをつければ、ささやかな夕食のできあがりだ。 「美味しそう」  美南が嬉しそうに言い、真尋とハイタッチする。二人ともお肉が大好きなのだ。千晶もエプロンを外して、食卓につく。 「じゃ、いただきまぁす!」  真尋の声とともに、三人は和やかに食事を始めた。 「真尋、寝た?」  千晶がそっとリビングに戻ってくると、パソコンで仕事をしていた美南が顔を上げた。千晶は頷く。 「寝つきがいい子で助かる」 「あんたの子供の頃とそっくりよ」  美南が笑いながら言った。 「やっぱり、あんたの子ね」 「……でも、顔はあんまり似てないよ」  千晶は姉の隣に座ると、パソコンのディスプレイを覗き込んだ。 「何? 論文?」 「うん。ちょっとね」  姉弟は、ソファに隣り合って座り、少し冷めたコーヒーを飲む。 「……千晶」 「うん?」  美南は美しい弟の横顔を見つめる。似ている姉弟だが、やはり繊細な美しさは千晶の方が上だ。滑らかな曲線で作り上げられたその横顔は、血の繋がった弟とわかっていても、つい見つめてしまうくらい完璧に整って、美しい。 「……真尋のバース診断、見た?」  美南に尋ねられて、千晶はこくりと頷いた。  子供のバース診断は、たいてい小学校に入る前に行われる。六歳くらいにならないと、血中にあるバース診断に使う成分が安定しないのだ。場合によっては、ここでは正しい診断ができなかったり、結果が先送りになる場合もある。 「……アルファだったね」  美南は頷いた。 「まぁ……想定の範囲内だったけどね。私の子だったら、アルファは確率的にないけど、あんたの子なら……そうかなって」  真尋は千晶の子だ。  千晶が十七歳の時に妊娠し、周囲の反対を押し切って、命をかけて産んだ子だった。  しかし真尋には、千晶が産みの親であることは告げていない。 「千晶」  美南がため息混じりに言った。 「真尋はアルファだった。つまり……私の子である確率はほとんどない。いずれ……あの子も疑問に思うようになるよ」 「……わかってる」  稀少種であるアルファは、アルファと交わったオメガから生まれることがほとんどだ。そして、アルファ男性と交わった男性オメガから生まれる確率が一番高い。 「ほんとにわかってんの?」  美南が苦い口調で言った。 「……真実を告げるなら、早い方がいいよ。思春期になる頃に知ってしまったら……」  千晶はこくりと頷いた。 「わかってる」  千晶は初めてのヒートで妊娠した。  性的な成熟が遅かった千晶は、ヒートがなかなか来ず、もしかしたらごく稀にいる、ヒートのないオメガ、もしくはヒートがごく軽いオメガではないかと思われていた。  しかし、ヒートは突然に、最悪のタイミングで訪れた。 「でも……まだ言えないよ……」  千晶は自分を両手で抱きしめる。  言えるはずがない。  真尋は……千晶がレイプされて身ごもってしまった……悲劇の子だなんて。

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