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第7話
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木曜日。昼の12時。俺は、騒がしい教室で独りぼうっと机に座っていた。
「なにアホ面しとんの?」
「............。」
目の前の席からふり返って失礼な声かけをしてきた友達一号。
「友達一号。お前は前向いて飯でも食ってろ。」
「名前で呼ばんかい、ばかたれ。津田だ。津田。
だって、お前さっきから微動だにぜずに珍しく考え事してるからさぁ。
アホ面がさらに酷く......ごめんごめん。俺、まだ死にたくない。」
失礼な戯言を言い続ける目の前の同級生に俺は制裁を加えようとした。
「珍しくじゃねぇだろ。俺は常に人生ちゃんと考えて生きてる。」
それはすごい、とわざとらしい驚いた顔をして見せた津田に机のゴミを投げようとした。
ざわざわ、教室の入り口がやけに賑やかになる。
「あぁ~、この騒ぎようはあれなんじゃねぇの~。おい、悠木。お前、海野先輩とどんな関係?」
ん?と笑顔で聞いてきた津田。
「知らん。なんか、猫なんだよ。あの人。」
ねこぉ?怪訝そうに俺を見てくる津田の所を離れようと席を立った。
「そう。気まぐれでやりたいように生きてる感じ。」
あれ、あわねぇの?津田がそう後ろから言ってきたのに、さあ、とだけ答えて歩く。
あれから、昼休みになると時々、蛍がさくらの教室に来るようになった。
はぁ、ため息を付きながら俺は弁当を片手に持って
教室の騒がしい方向と反対の廊下の方へ足を進める。
うるせぇな。よくあんな風に他人に対して騒げるなと思う。
でも、人に興味を持って心躍らせる素直な同級生たちが少し羨ましくもある。
若い人生を素直に生きることがこんなにも難しいとは思わなかった。
ただ、自分も人間なのに出来るだけ人に関わらないような人生を歩めたらなとは
昔から考えていた。
俺にとっては、一人ぼっちになって誰からも助けてもらえないことより
たくさんの人々が行き交う世界に馴染もうとする事が何よりも怖いことだった。
人に馴染んだ時に大きな孤独を感じる。
友達と肩を並べて歩く時、笑い合った時、意見が重なった時、大きな孤独と不安にかられる。
けれど、人を大事にしたかった。
俺の行動が人に冷たい態度や失礼な傷付けるものになってしまう時がある事が
非常にショックだった。自分に失望したしこう言う風にしか生きられない自分を悔やんだ。
人が笑うところが好きだ。だけど、自分をうまくコントロールして人に接する事が難しい。
嫌いなものはたくさんある。でも、否定はしたくない。
大きな杉の木があるベンチに腰を下ろす。
多くの葉のせせらぎが自分のすべてを包み込んでくれる。
少し眼を瞑って風に身を任せるようにベンチで休んだ。
また、思う。俺はこれからもこうやって出来るだけ音のない世界にひたすら足を運んで生きるんだろうか。
かさかさ、かさかさ。
自分もこの空間に散り散りに分解してしまって浸透してしまいたい。
それが一番、俺にとって違和感のないものに思えた。
「さくらちゃーん。」
蛍の声が聞こえる。
おれは、静かに眼を開けて顔を上げた。
「.......なんですか。」
俺の、足元から数メートルはなれた正面に蛍が立っている。
手には、何か包みのような小袋をいくつか持っていた。
杉の葉を通って蛍の立つ空間に強めの風が吹く。
わわ。そういってにこにこと戯れるように風を受けている蛍。さらさらの柔らかい髪が薄めの木陰に照らされて
きらきら光っているようだった。
俺は、思わず小さく笑った。
蛍のいつもにこにこと楽しそうにしている所には少なからず気が緩む。
人の笑顔をみるとこちらも嬉しくなる。単純に。だから、俺ももう少し笑顔でいれたらと何度思うことか。
軽い足取りで、俺の隣に座ってくる蛍。
「さくらちゃん、笑ってる~。」
ははは、そう綺麗な笑顔を持ってこちらに声をかけてくる蛍。
「...よくここがわかりましたね...。」
この学園の敷地は広大なのであらゆる穴場があって俺は外を散策してはいい休憩場所を見つけるのが好きだった。
「んー。ずっと教室からあとつけてきてたからねぇ。」
「..............。」
全然わからなかった。この人、気配消すの上手すぎやしないか。
ふふふ、と楽しいそうに笑ってる蛍を見て俺は考えた。
兄とはまだ、関係を続けているんだろうか。
もう、関わるなと言った言葉をどう受け止めたのか。
「.................。」
蛍は、カサカサと音のなる複数の小袋を長い腕に繋がるおおきな手に絡めて両足の間に下げて持っている。
「さくらちゃんは、綺麗な場所を見つける天才だねぇ~」
少し上を向いて空を見上げる蛍。美しく完璧な輪郭が喉の線と繋がってそこにある。
「...あの、海野先輩.....、「プルルルルッ...」
瞬間、俺のポケット付近から細かな振動を感じた。
こんな時間に電話?誰だ?
俺は不思議に思って携帯を取り出して、画面に眼をおとした。
「..............。」
知らない番号だな。と言うか、母親から数件メールも届いている。見てなかった。
プルルルルッ。プツッ。
電話のコールが消えたので俺は母親のメールを開いた。
は?にいちゃんに?この番号にいちゃんかよ。
また、母親のお節介にひとつため息を溢すと、
隣から袋の擦れる音が小さく聞こえた。
「さくらちゃ~ん...?」
のんびりとした甘い声で蛍が名前を呼んでくる。
プルルルルルッ。
また。先ほどと同じ番号。俺は、手が暑くなるのを感じた。唾を飲み込む。
「..........もしもし。」
『さくら。』
電話越しのせいでいつもより兄の透き通った声は少し霧がかったように聞こえた。
「......うん。」
俺は、緊張して答えた。兄がどんな感情か分からない。
「どうしたの...?...ごめん、さっきでれなくて...、あの、」
『いま、何処にいるの?』
意外な質問だった。何処って、まさかそんなこと兄が聞いてくれると思わなくて、
「外のベンチだよ....。」
素直に答えると、兄からは何も反応がない。
『....どこの、ベンチ?』
「大きな杉の木が.....ある..ところに」
とたん、ブチっと電話が切れた。
「.............。」
あーと、これは....。
俺は、無意識に隣を見た。
蛍は、感情の読めない表情で顎を肘をついた手に乗せて此方をみていた。
「......。」
俺は蛍を凝視した。
にいちゃん多分、この男に会いに来るんだろうな。
そう自分の感が伝えてくる。
ま、そりゃそうか.....。
にいちゃんのことだから、あれくらいの情報でどこに居るかなんてわかるかんじ、やっぱすごいな。
はいはい、邪魔モンは退散しますかね。
「......おれ、もう行くんで。先輩はゆっくりしていってください。」
俺は、携帯をなおしながら立ち上がると蛍の方を向いてそう言った。
「え?もういくの?...さくらちゃんお弁当は?」
また子供のような感じで蛍は俺を不思議そうに見上げる。
「...今日はもう食べません。..ちょっと、気分的に..。」
苦しい言い訳を述べながら、首を触ってじゃあ、と行こうとする俺の手首を蛍が掴んだ。
また、鳥肌が一瞬たつ。
「......じゃ、いこ。」
は?おいおい。
「え。ちょっとッ。先輩は居てくださいよ。」
いねぇとにいちゃんが来るんだよ。
そう思って腕を離そうとするが、全然動かない。
「なんでー。さくらちゃんが行くなら俺もいくけど?」
ほら。そう言って掴んだ手を離さず引っ張ってくる。
俺は、強い力に抵抗できないまま蛍について歩き続けた。
大きな観葉植物が立ち並ぶ天井の高い温室を通る。
夏なので、余計蒸し暑い。
プルルルルルッ。
俺はハッとして立ち止まる。無意識に掴まれていた手を振り払って電話に出た。
「に、にいちゃんッ...、あのッ..」
『...さくら、どこ?』
息が少し詰まった。瞬間また携帯を持たない腕を蛍に掴まれて人二人がすっぽりおさまる木の下に引っ張られていった。
な、なんなんだよ、急に。それより何て言えば良いんだ?
「.....ッ..」
『..さくら?』
兄の少しトーンの落ちた綺麗な高めの声が耳元から聞こえる。
俺は、戸惑うように隣の蛍を見た。
大きくて綺麗な長い指を美しい口元に当てている。
『シー』
音にならない動作でそう俺に伝えてきた。
どうして、ここに隠れる?なんて疑問に思っていると温室の外に一人小柄な学生があたりを見回しながら歩いていた。
にいちゃんだ。
向こうからは死角になっていて此方が見えないのだろうか。
大きな木周りはたくさんの大きな葉で包まれるように頭上に茂っていた。
なんでにいちゃんから逃げるみたいに。
隣にいる蛍と身体が制服越しに密着している。先ほどから鳥肌が止まらなかったが。
俺は、携帯に意識を引っ張られていたので蛍と俺の手が触れ合っていることに
気がつかなかった。
きっと、こんな機会じゃないと兄はまともに俺と話してさえくれないだろう。
隣に蛍がいるから兄は俺に興味を向けてくれていると思うと悲しくなったが、それでもいいと思った。
『さくら?』
意を決して、俺は口を開いた。頬に熱が集まるのを感じる。
「...にいちゃん、おれ。聞きたいことあるんだ。」
遠くで、兄が立ち止まるのを見ながら俺は体育座りするように体を丸く縮こませた。
『......なに。』
間を置いて、兄が聞いてくる。
「.......9月に個展発表会があるでしょう?」
『.....。』
「それ、俺も見に...いっても...いい?」
兄の作品が複数にわたって見られる特別な機会。
当日は兄本人が作品解説とプレゼンを多くの人々の前で行う。学園以外からの芸術関係者も参加する、兄が専攻している科にとっては大事な公開授業だ。
学年が違う俺は、一学年の授業を休んで参加しないといけない。それをするためには兄本人から招待を受けて書類を提出して申請する必要がある。だから、俺は兄に招待を受けたかった。
俺は、手が震えるのを感じて携帯を持っている手にもう片方の手を添えた。
『....さくら。』
兄のちいさなため息が携帯の向こうから聞こえてきた。
「だッ、ダメならいいんだッ...あのッ..でも...」
そうやって籠っていると、携帯に添えていた右手に大きな綺麗なが覆うように触れてきた。
俺は、びくり として隣を見た。
気づけば、蛍と身体が密着していて先ほどよりさらに蛍の身体の体温やかたちを感じた。
至近距離で恐ろしいほど綺麗な顔が俺を覗き込んできていた。
「..............。」
『...いいよ。招待する』
その声が聞こえたと同時に俺は瞳を外の兄に向けた。
至近距離にいる蛍はまだ俺をじっとみていた。
「.........え...」
信じられない。断られると覚悟していた。まさか、う、うれしい。
自然と顔が綻ぶ。自分の顔があつい。
「あ、ありがとう...にいちゃん..」
『.......さくら。今何処にいるのか知らないけど授業はちゃんと受けるんだよ。
もうすぐ昼休みも終わる。じゃあ。』
「う、うんッ」
兄は、ため息をついて抑揚の少ない声色でそう俺に伝えると素早く携帯を切った。
俺は、向こうで小さく見える兄が校舎へ帰ってゆくのを見送りながら、高鳴る鼓動を
どうすることもできずに携帯を両手でギュッと掴んで縮こまった。
すご。久しぶりに兄からそうんな風に言われた。
俺のこと心配してくれたのかな。いや、多分違うけども。
久しぶりに兄の作品を沢山みれる。こんな嬉しい事ない。
嬉しすぎて、顔を真っ赤に染めていた俺の耳にいきなり声が届く。
あ、そうだ。先輩が、
「さくらちゃん。きみってば、ココちゃんのこと大好きなんだね。」
美しい蛍の瞳が妖艶に細められている。
俺は眼を見開いて蛍を見た。
「かお、まっかだよ?」
頬をするりと撫でられ、唇を軽く長い指が押してくる。
その、性的な触り方が嫌で俺は顔を背けた。
なんだ、この雰囲気。いやだ。
瞬間、大きな手が俺の顎を掴んで蛍の方に向きなおされる。
相変わらず、甘い美しい笑顔が俺を間近で見下ろしていた。
「さくらちゃんってさぁ、髪の毛さらさらだよねぇ、ココちゃんとおんなじー。」
それにぃ、そう言いながら顎を掴む蛍の手の親指がやわやわと唇を触ってきた。
「くちびるの形や柔らかさとか、顔が小さくて色白の可愛い肌も、ココちゃんと一緒でやらしー。」
俺は、唖然として蛍を見ていた。
この平凡の俺が?美しすぎる兄とは似ても似つかない。
「....急に、何言ってんですか...」
俺は怪訝な目をして蛍を直視した。
それに、さっきからにいちゃんにいちゃんってやっぱりまだ関係続けてんのかよ。
俺は、いらっとして蛍の手から顎を引き離そうと手首を掴んだ。
「離せよ。」
「..................。」
び、びくともせん....。とんだ怪力野郎。くそが。
俺は、舌打ちしながら、蛍を睨む。
そんな俺を見て蛍は、愉快そうに笑った。
「ふはは。......ねぇ、さくらちゃん。実の兄弟に恋しちゃってるの?」
それを聞いた俺の瞳が動揺で揺れたのをやつは眼を細めて笑う。
「ばればれだよねぇ、というか、俺に怒ってるようだったのはそれ?ココちゃんとセックスしてたから?」
聞いて、カッと顔が赤くなる。
なにが、いいたい。
力の敵わぬ相手に好きな様に言われて腹が立った。
「......だから、何だよ.....。」
美しく微笑む目の前の男は何を言いたいのか。
「そんなわかりやすくてココちゃん気づいちゃわないの?」
俺の眉間にシワが寄る。
「....ない。ずっと距離置いてるし。」
今まで、そうしてきた。兄が急に人が変わったように冷たくなった理由は知らないけど少なくともそれは俺だけにじゃない。
俺に対してというより兄自身が周りに対してそうなったように思う。
ふうん、そう言って蛍はまだ俺の唇を指で押したりなんかして遊んでいる。
「以前、俺にココちゃんから離れてって言ったよねぇ?」
覚えてんじゃねぇか。何も言わなかったくせに。
「そう....ですけど......でも、もしかしたら兄は..」
そう言いながら、先ほどの兄からの電話を思い出す。
俺は、兄の邪魔をしているのも…って。
色々とぐるぐる考えていたら蛍が口を開いた。
「じゃあ、遊び相手が一人へっちゃうなぁ~」
「.............。」
そう言えば、この男は遊びで他人と寝る男だった。
俺は、手を離そうと掴んでいた蛍の手首から手を離す。
だんだん抵抗する気力が無くなってゆくのを感じた。
「........いくらでも、いるでしょ。また見つければいいじゃないですか。」
目を合わせずにそう言う。
温室に先ほどからいるせいでかいているじっとりとした全身の汗に今更ながら気づく。
「えぇ~、さくらちゃんのお願い聞いてあげるのにぃ、
さくらちゃんは俺に何もしてくれないの?」
そうかわいくわざと困ったように笑って、
蛍の綺麗にほどよくついた筋肉のある身体がさらに密着してきて、
顎を掴まれたまま、もう片方の長い腕が俺の腰にまわってくる。
蛍の体温が汗ばんだ自分の身体の体温に重なって、俺は身震いした。
制服の擦れる音がやけに大きく聞こえる。
「.....ッ....。」
怖い。
俺は抵抗することも叶わずに、眼をぎゅっとつぶる。
耳に軽い息が触る。彼の唇が自分の耳に触れるか触れないかの所で動いた。
蛍の柔らかい髪が自分の肌に擦れて触れる。
「ココちゃんには触らないよ?...でも、そのかわり
俺がさくらちゃんに触ること受け入れてくれる?」
甘い艶のある声が耳に響く。ぞくりと背中が震え、
あまえる様な口調に有無を言わさない雰囲気が混じっていて、
「......ッなんで......」
そのまま、柔らかい唇が俺の耳付近に触れてきた。
耳元に触れる唇の感触や熱い息が俺を動かなくさせる。
色気を含んだ低く甘い声で囁く様に蛍は言った。
「....ダメ?」
........なんで、おれ?
気紛れで俺にこんな事....。
抵抗できない力に絡め取られながら頭でそんなことを考えて混乱していた。
気づかぬうちに、蛍の大きな両手が俺の顔を包み込んで移動してくる。
「.........ッン...。」
美しい顔が視界いっぱいに広がっていて、
俺は驚いて目を見開いてしまった。
初めて近くで見た蛍の瞳はとても美しく透き通っていて宝石のよう。
重ねられたやわらかい唇が、一気に熱を伝えてくる。胸が苦しい。
また、眼をきつく閉じた。頬を優しく指が伝ってゆく。
先ほどのように強い力で抑えられていなかったのに俺は抵抗出来ず、
心の奥に薄暗い膜が覆いかぶさってくるのを感じる。
蛍は兄との事をお互い遊びだといった。でも、きっとそうじゃない。
あの時、兄のこの男を見る瞳の奥に俺はあるものを見た。
海野蛍が近くにいるのなら、兄もまた近くにくる。
そう思った。
この男を通して兄に関われるかもしれない。
そう思うと、蛍の行動がただのきまぐれからの遊びでも俺には意味のあるもののように
感じる。
『......最悪。』
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