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第9話
△
8月の下旬。朝。教室にて。
俺は。前の席の津田と話をしていた。
「あつい。」
「そりゃ、そうだ。夏だもんよ。」
「......悠木よぉ。」
「なんだよ、友達一号。」
「.................。」
「今週ある花火、みにいく?」
「..................いかん。」
「...すごい間、あったけど。」
俺は、津田の座ってる椅子に足先をぶつけて遊んでいた。
「..行儀、悪い。」
俺は、足を止めて少しふてくされた顔をした。
「お前、最近不良だな。また、授業出なかったし。
俺、お前の将来が心配だよ。」
「ふ。心にもねぇことを。」
映画のセリフのようにふざけて言い返した。
「二回ほど授業参加しなかっただけで、不良とか...。」
そう言いながら、首をゴキゴキならし、小さく欠伸する。
あー、首がこっとるわ。だるい。
最近、睡眠の質が悪い。
津田はため息をつきながらそんな俺を見てくる。
「まぁ、行くのが嫌なら無理にとは言わんけど。」
そう言って一瞬瞳を床に移した津田を見て俺は言った。
「好きなもん言え。安いやつな。」
急な俺の提案に、津田は瞬時に理解したようでニヤリと笑い、
「しょうがないなぁ。じゃあ、今日昼飯一緒に食お。」
「おう。」
わかった、そう言って俺は授業の準備をし始める。
頭の片隅でそういえば雪とかいうあの小動物も誘おうかなんて考えが過ぎった。
あれから、蛍とは会うこともない。
俺がわざわざ避けているのが大きいけれども。
にいちゃんからの電話も勿論ない。
「はぁあ。」
俺は、ため息をつきぼうっと何も書かれていない黒板を眺めた。
△
「は?なんのつもり?」
俺は津田を連れて素直に雪を昼食に誘った。
そんな俺たちを、雪は椅子に座ったまま訝しげに見てくる。
仏頂面でもくるくると天然がかった栗色の髪が小動物みたいで可愛い。
「あ、先約あった?なら、無理にとはいわないけど。
せっかく知り合ったんだし...。」
「.......................。」
雪がそう言った俺を凝視して黙っているので、
居た堪れなくなって俺は口を開いた。
「まぁ、いやならいいんだけどさ。じゃ、俺らいくわ。また、今度な。」
そう言って通り過ぎようとすると、
「まって!」
バンッ。と自分の机に振り下ろした小さめの雪の手が音を鳴らす。
「..................。」
「.....行かないとは、誰もいってない。」
そう言って少し拗ねたように言ってくる雪の頬はほんのり赤かった。
隣にいる津田が少し身動きして何か言っていた様だったが聞き取れない。
「おう。じゃあ、ゆきちゃん外行こ。」
なれなれしいッ、そう言いながら雪は弁当を持って先に教室を出ようとする。
「お、おい。広野!俺の名前知ってる?」
なんて、少し顔を赤らめた津田が後ろから小走りで追いかけるのを
側で見ながら俺はふと思った。
ゆきちゃんって何時も誰かと食べてんのかな。
俺、考えずに誘ってしまったけど。
大丈夫だったかな。
「おおー、ゆきちゃんの弁当すご。」
俺ら三人は学園内の湖付近の松林の並ぶベンチに座っていた。
雪の膝にのっている弁当はそれはそれは綺麗に色鮮やかなものが敷き詰まっている。
「そういう悠木桜のは質素でふつうだね。」
なんで、ふるねーむ?
ふんといって、雪は綺麗な箸遣いで小さな口元にご飯を運んでいる。
「ふつうで悪かったな。...おい、津田。ぼうっとしてないではよ食え。
せっかく俺が、甘いもん奢ってやったっていうのに。」
そんなことも、忘れて津田はさっきから雪を見てぼうっとしてる。
なんだこいつ。大丈夫か。
何時と様子の違う津田を横目に俺も弁当を食べ始めた。
「....そう言えば、雪ちゃんは何時も誰かと食べてんの?」
「.....別に、僕はお前らと違って忙しいから。」
答えになっていない雪の返事を聞いた俺は、意外と口が悪いんだよなと初めて喋った時のことを思い出す。
「ふうん。あ、ゆきちゃんは今週ある花火見に行くの?」
「......悠木桜。食事中に何度も質問するな。食べづらい。」
そう言って雪はまた静かに綺麗な所作で食事を続けた。
「......へーい。」
そんなお堅い事を言う雪に適当に返事をし、
俺らはいよいよ黙って昼食をとり始めた。
ゆきちゃんも食事は黙る派なのか?
ああやって面と向かって言われた時から何となく
仲良く出来そうだなんて勝手に思ってた。
ま、よかった。よかった。
8月の風が松の葉を震わして、俺たちの座るベンチを通り過ぎて行く。
湖の水面に頭を擡げた数羽の白鷺がその美しい身体をゆらりと映していた。
△
昼食を終えて、津田や雪と解散してからまだ時間があったので
俺は学園内の外をふらりと散歩してた。
「あ。」
俺は、ピタリと足を止め向こうに見える景色を黙ってみつめた。
あれは、海野先輩....と、
大きなガラス張りの温室の近くにあるハスの池の所に、
蛍ともう一人の男子生徒が一緒に立っている。
隣にいる子は、何やら蛍を見上げて楽しそうに話していて、
「.................。」
なんか.......、他人の逢瀬を覗き見しているような気分だな。
はやく、退散しよ。
そう思って、足を引き返そうとすると、瞬間蛍が此方を向いた。
隣の生徒に笑いかけた笑顔のまま流れるように俺に気づく。
あたりに広がる水蓮の大きな茎や葉が広がるなか、
背の高い蛍は包まれるようにして立っていた。
「.........................。」
俺は、なぜだか動けなかった。
残念ながら、俺のいた距離からは蛍の表情が分かってしまう。
彼の纏う雰囲気は何処となく消えいりそうで優しいものがあった。
ああもう、苦手なんだよな。困る。
俺が自然に感じるものと同じ気持ちが蛍のそれに感じえた。
人から、それを感じとる時、俺はいつも人に関心を寄せてしまう。
それは、自分にとってとても大変な事で、とても不安な事だった。
おれが、ああやってわかりやすく避けていたから
気分を害しただろうに。
蛍のあの気まぐれや軽さは彼の元からの性格なんだろう。
それは、俺が勝手に気分を害そうとも蛍に悪気はない。
それが、分かっていたから余計あの表情を見ると居た堪れない。
避けていた事は謝っておこう。
もう一度、蛍の方を見る。
いつの間にか、隣にいたはずの男子生徒は居なかった。
その代わり、蛍が先ほどと同じ所でまだ此方をみている。
ひとつ舌打ちして、俺は蛍の方へ脚を進めた。
なんていうかな。
蛍の所へ着いた後の事を俺は考えなが歩いていった。
△
「こんにちは.....。」
久しぶりに蛍を近くで見た。
相変わらずの容姿で、日に当たる肌は健康的で美しい。
「さくらちゃん。」
思った以上にしっかりとした声色だったので少しほっとして、
俺はポケットに手を入れたまま、罰が悪そうに顔をあげる。
「..すいません。あんな、避けたりして。」
居た堪れず、無意識に首をさする。
風に吹かれて、水蓮の重たい大きな葉が低めの音を囁かせる。
「...どうして、謝るの?....いやだったんでしょう?」
おれと会うの。そう静かな落ち着いた声が届いた。自然に馴染む声色、そう感じた。
俺は、顔を上げて蛍を見る。
「嫌じゃありません。....だから、そう落ち込まないでください。
もうしませんから...。」
「..................。」
蛍は、驚いた顔をした。
少し見開いた垂れ目気味の綺麗な眼が風によってなびいて
触れられた艶やかな髪によって細められる。
猫のようにくすぐったそうに細められた美しい瞳に繊細で長い睫毛が薄く影を落とす。
自然光に照らされ見事な芸術品のような動きをみせる蛍の容姿に、
俺はつい笑いが溢れてしまった。
すごいなこの人。まるで、全てが精密に創り上げられた甘い極上の宝石のようだ。
ホント驚く。
「さくらちゃん...、わらってる。」
そう言って蛍はいつものように甘く美しい笑顔を髪を靡かせながらみせた。
「はは。.....みんなが先輩のことみて、騒ぐ気持ちが少しわかりますよ。」
「...................。」
右手を口元に持っていった俺は下向きがちに笑っていた。
だからといって、海野先輩と寝れるわけじゃないけど、
話す分にはとても落ち着く人だ。
「じゃあ、謝ったんで、俺のこと許してくれます?」
それを聞いた蛍は、う〜ん、と言いながら一歩近づいてきた。
「おれ、とくに怒ってはいなかったんだけど..。」
でも。と、そう言って俺のすぐ近くにすっとただ佇んで蛍は顔を俯かせた。
やわらかい声を耳に入れながら、
目線の正面にある蛍の少し開いた首元を俺はただじっと見つめていた。
「でも、そうやって俺のこと気にかけてくれたの、すごく嬉しいなぁ。」
「....................。」
気に、かけていたんだろうか、おれは。
蛍は、今どんな顔をしているんだろうか。
頭上から降ってくる安心を滲ませた柔らかく低い声がそう耳に届いて、
俺の瞳の奥から何か温かいものが押し寄せていた。
目頭が、熱く痛んだ。
人と心を通わせる密かな瞬間を俺は久々に蛍から感じたようで、
胸が苦しい。
「.....................。」
俺の喉は何も動かず、蛍ももう何も言わなかった。
自然が包む外の世界にふたり佇んで、目の前にいる自分のものでない意識と意識が
風に吹かれながら交差しているのを、その空間に存在しているのを、全身で感じた。
「..........................。」
また、授業.....遅れるな。
遠くで、透明の羽が細かく空気を刻んで飛び立つ音が聞こえたような気がする。
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