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第11話

△ サクッ、サクッ。 小さな刃物を左手に持って、外のベンチに座っていた。 サクッ、サクッ。サクッ。サクッ。 「左利きなんだね。」 ベンチに、屈むように、前のめりに座って、黙々と彫っていた俺の頭上から 声が聞こえてきた。 「................。」 少し間が空いて、俺は返事に遅れてしまい、 咄嗟に、顔を上げる。 「海野先輩.....。」 「こんにちわぁ、さくらちゃん。」 のんびりとした甘く低い声で蛍はまたにこりと笑った。 スラリとした長身の男が軽やかに立っている。 「..こんにちは。」 ぼうっと、そう答えた俺にくすりと笑うと、 「隣座っても、いい〜?」 「..どうぞ。」 俺は、すこし端に身体をずらし寄せる。 「それ、なんのお花?」 蛍は、俺が先ほどから手に持っている木彫りの塊に 目を移して問うてきた。 「..これですか...、..アカシアです。季節でもないですけど。」 右手に握るそれを俺は少し自分の前にかざすようにしていった。 「きれいだね〜、難しくない?」 「はは。てきとうですよ...こんなのは。」 かわいらしく質問してくる蛍の質問文に、 思わず笑みを溢して答えた。 こうやって、年上っぽくない蛍の言い方が俺は最近、かわいいな、と 思ってしまう。 春とは真逆で、またおもしろい。 「いいな〜。」 何が?とは聞かなかったけど、綺麗な垂れ目気味の目が彫り物を見つめていたので、 そんなもんかと自分の手元を見つめる。 「アカシアって数種類あるみたいなんですけど、葉っぱも花の形も色や香りも違うみたい  なんですよ。でも、いちいちその種類、見も、調べもしないから....」 そういって、はたと思う。 「というか、先輩は花好きです?...」 隣で、ぼうっとこちらの言う事を聞いていたらしい蛍は、急に質問を振られて 少し不思議そうに俺を見た。 「ええ〜、お花?そうだなぁ、きれいだな〜と思う時はあるよ?」 でも、そんだけかなぁ、なんて言ってまた俺を見つめ返してきた。 この人は、何が好きなんだろ。 「へえ。」 なんとなく、そう返すしか言葉が出てこなかった。 急に口がおもくなる。 別に、人が何が好きかなんて普通に聞いてもいいことだろうに、 蛍の返答を聞いて何故か質問したのが、悔やまれた。 何故?わからん。そう瞬時に感じただけだ。 俺は、黙ってベンチから外の景色を見た。 小さな彫刻刀を厚布にくるめ仕舞って、一息つく。 そんな俺をみて蛍は口を開く。 「ココちゃんには、招待、申請してもらったの?」 「............。」 思いがけない、蛍からの質問。 俺は、罰が悪そうに前を向いたまま答えた。 「...それなんですけど..、駄目でした。  俺が、授業あれから結構サボり気味だったんで...。」 「え?」 そう。俺はと言うとここ最近ほんとに結構な頻度で授業をサボり ぎみで、早退する日もあって、 その度に、教師から注意を受けたが何も変えなかった。 もちろん、日々の生活態度込みで、教師が判断するのは当たり前だし、そこまで 校則やらなんやらに寛容な学校でもない。 頑張る奴はおすが、やる気のない奴は放任になるし要望も通されない。 まぁ、そんなもんだと俺も納得だった。 兄に一生懸命話して、せっかく招待を出してもらったのに、俺の為体でこれだ。 あんなに、喜んでいた自分が嘘のようで、 俺自身、最近どうしてこうなってしまったのかよく分からなかった。 近頃、兄を想うと苦しすぎて現実逃避するように、何かを作ろうと躍起になっていて、 彫り物でもいいし、料理でもいいし、何か集中して作れればなんでもよかった。 兄が好きな自分自身を抹殺したいような衝動にも駆られ、 いよいよいかんなと自分でもどうすれば良いのか困っていた。 ぼうっとベンチの背もたれに背中を預けて、俺は力を抜いて言葉を続ける。 「俺、いよいよ不良の仲間入りですかね?」 以前冗談で言っていた、津田の言葉を思い出して、失笑しながら隣を見る。 ぶふ、と蛍が軽く吹き出す。 「ふはは...さくらちゃんが不良って〜。なにそれ、かわいいねぇ。」 かわいいってなんだよ。 まぁ、笑ってるからいいかと、おれも軽く笑う。 「先輩は、不良ですね。制服も着崩して、遊びまくって、学生する気ないんですか?」 そう嫌味を軽く言う。 全く、春と言い蛍と言い、高校生っぽくない。 蛍は、ちゃんと授業を受けているんだろうか? この前も、知らない生徒とまたなにやらいちゃいちゃしてたし。 「さくらちゃん、ご機嫌斜めー。俺はちゃんと高校生してるよぉ〜?」 そういって甘く笑ってくる蛍の雰囲気は高校生らしかぬ色気を 纏っている。 これが?ほんとに世の中どうなってんだ。 平凡な俺には分からない世界。 ただ美しいものをただ純粋に美しいと言えるほど俺は素直にもなれんし、 馴染むことも出来ない。 「先輩は、自分の容姿が普通とかけ離れて綺麗って理解してます?」 隣の蛍は、先ほどから笑顔を崩さず俺をただ見つめてくる。 なんか、楽しそうだ。 「ええ〜?、そんなこと聞かないでよぉ。」 少し眉をハの字に寄せて、柔らかく瞳を細めて首を傾げて笑った。 「なんでですか..、。」 だって、そう言って蛍はベンチの椅子に手を付いて、こちらに少し近寄ってきた。 「だって、そんなこと言われたら....。」 身動きせずじっと蛍の顔を見ていたら、 お互いの距離が縮まる。 「綺麗だなんて今のさくらちゃんに言われたら、たまらなくなっちゃう。  さっきから、悩んでるさくらちゃんも、  怒ってるさくらちゃんもすごくかわいいんだもん。」 「....だもん。」 そう極上の甘い笑顔をよこす蛍をみて、俺は静かに呆気にとられた。 もんって、かわいいって、俺男だけど普通の。まったくこの人は、 「つくづく、お気楽な人ですね。」 無表情で、そう言うと、蛍は、ひどーい。と笑っていた。 いつの間にか、蛍の綺麗に整った大きな手が、俺の左手に触れている。 なびく風に身体を任せていて、風がくすぐるように触れられた蛍の 手に全く気づかなかった。 ぴくり、と遅い自分の反応に少し笑えて、 俺は、先ほどより近い蛍の美しい顔をただじっと直視していた。 「さくらちゃんさ〜。」 そう言った蛍の肩が俺の肩に擦れるように当たってきて、 そして、風になびく髪同士が重なり嵩張る。 「なんですか...。」 「..どうして、まえみたいに、背けようとしないの。」 そう、耳元に心地の良い低い声が届く。 俺の目線は、少し俯きがちで、たくましくしなやかな首元が目に写っていた。 どうして.....。 「..俺が、また落ち込んじゃうかもなんて、心配してる?」 落ち込む?..そんなこと、思っていない。多分。 だって、この人はきまぐれでこんな事、平気で誰にでもする人だ。 人との距離が近い人なんだと、この前の蓮池の所でも思った。 だから、俺は、 おれは、いちいち蛍のこんな行動に腹を立てる必要も...ない、と、 「...........。」 答えられずに、ぼうっとしていると大きな手が、優しく頬に触れてきた。 「....悲しそうなかお..。」 悲しくなどない。別に、どうして突然そんなこと、言ってくるのか。 「さくらちゃんって、意外と人の感情が気になってしょうがない?  この前みたいに、俺の行動に驚いたり怒ったりしないのはなんでなんだろうね。」 蛍はそう話しながら、頬を優しく撫で続ける。 心地よい空間。 蛍の言われたことは、自分でも分からない。 けれど、この手が嫌いじゃない。暖かい太陽に晒されて、冷たい海が 運んできた、自分に馴染んでくる風のような手だった。 自分が、蛍に甘え頼っている感覚が少しだけ心に芽生え、罪悪感がつのる。 その瞬間、俺は右手で頬にある蛍の手を掴んで離した。 その手は、熱くも冷たくもないよく分からない温度をしている。 なんとなく、俺の掴む手の肌と一体化したような、境目がなくなったような 奇妙な感覚だった。 「じゃあ、離します。」 しずかに、言ってその手と自分の身体を引く。 「......そういうわけで、言ったんじゃないんだけど。」 ざんねん。そう言って蛍は笑う。 でも、俺の手と蛍の手は離れない。それに、先ほどから椅子に付いた 左の手はずっと触れ合っている。 なんだか、不思議な感覚だった。 蛍を見ても、じっと抵抗もなく俺を笑顔で見つめてくるだけ。 「..................。」 眉をしかめて俺は黙っていた。 どうして、離れないんだ。自分の行動も何もかもが理解できない。 「....先輩は、好きでもない人とでも寝れますよね。」 急な俺の質問に、微かに触れる手が動いた気がした。 「......どうしたの。」 「.....こんな風に、肌と肌が馴染む感覚。  それが、先輩は好きですか。」 そう言うと同時に、長い腕が自分の首元を触って包むように近づいてきた。 俯きがちに、蛍に向けていた体をベンチの背もたれに預ける。 「....一番最初は、先輩の近くにいれば、兄にも近づけるかなと  そう思って抵抗しなかったんです。」 「もしかすると、兄は先輩が好きなのかもと思っていたから....」 「.................。」 蛍は黙っている。 「だけど、思ったはいいけどまた次、先輩と会おうなんて、  全く思えなかったし、逆に不安で怖くて自然と避けちゃったんです。」 首元を緩やかに撫でるそれが気持ち良くて、自然と眼を閉じた。 「それで、俺、先輩のように遊んだことなんかないから、わかんないですけど、  先輩の触れる手は嫌いじゃないんです。」 そう伝えた時、目の前の蛍の気配が一瞬変わった気がした。 「さくらちゃん。」 低い蛍の声。この声を一体どんな表情で言っているのだろう。 ああ、そうか。いま、俺。人の感情を気にしてるな。 「先輩も、こんな風にいろんな人と....兄と触れ合う時、感じていたんですか。」 もしそうだったら、俺にも少しだけわかった気がした。 そして、兄が蛍と触れ合った気持ちも同時にほんの少し理解できた気がした。 ........兄は、寂しい気持ちがあったんだろうか。それとも、悲しい気持ちだろうか。 今、こうやって優しい手に、肌が浸透するような心地よさに、無意識に 頼りたくなってしまう。その気持ちが少しでもあったのなら、俺は、 瞬間、強い力で身体が引き寄せられる。 俺は、驚いて閉じていた眼を開いた。 「ッ............。」 首元をしっかり固定されて、肩を掴まれた。 「せ.....、せんぱ..。」 至近距離にある蛍の瞳が間近にある。 近すぎて、表情も読めない。 蛍の綺麗な瞳に目を見開いた自分がいた。 「さくらちゃん。」 唇に息がかかって、背中が震えた。 低い、声だった。 「さくらちゃんは、今、誰のことを考えてるの?」 驚いて、蛍の程よく美しい筋肉の付いた自分より広い胸板を制服越しに両手で押していた。 びくともしない蛍からの拘束に少し不安感が広がりつつあって、 お、怒っているんだろう。どうして、いつ、どんな言葉で 怒らせてしまったんだろうか。 「さくらちゃん。」 もう一度、先ほどと同じように蛍が名前を呼んだ。 「俺は、確かにいろんな子と寝ていたけど、  その子たちとこんな風に触れあったことは、一度もないとおもうよ?」 ない?それはどういうことなんだろうか。 首にある蛍の手が、首元から俺の耳裏や顎をすうっと撫であげる。 自分の口から微かに息がもれた。 「ッ.......。」 「人と肌を重ねるって気持ちいいよ。でも...。」 俺の顔の肌すれすれのところで、息をかけるように蛍の唇が首元の方へ 降りてゆく。 「さくらちゃんが嫌いじゃないっていってくれた触れ方を、  俺、ほかの子たちにしたことはないんだけど。」 柔らかい唇を首元で感じた瞬間、チクリと少しだけ痛みを感じた。 唇が離れたと同時に顔を大きな手で包まれる。 「だから、もしこうやって俺と触れ合っている時に  違う誰かをおもっていたんだとしら、...。」 そう言って美しい蛍が瞳を細めて、俺の顔を覗き込んで言った。 「おれ、すごく悲しいなぁ。」 「......かな...し..い....?」 俺が、そう呟くと、綺麗な目の前の男は、うん、悲しい。といって、 俺の唇に綺麗に弧を描いたそれを、そっと重ねてきた。 蛍の伝えようとしていることを、規則的な鼓動と熱を手に感じながら、 必死で考えた。

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