68 / 110

第68話

「すごーい!こんなに気持ちよく歌えたの何時ぶりだろう」 「俺も楽しかった」 時計の針も8時を差していて、そろそろ空腹で体が訴えていた。 飛鳥くんにも遅くなる事を連絡していたが、あまり遅いと飛鳥くんに迷惑だな。 紅葉さんにタオルを借りて、顔の汗を拭う。 これから平日は毎日通って練習しなくては…もうライブは近いから… 喉にいい飴を食べていた紅葉さんに貰い、口に入れる。 口の中で甘く爽やかな味が広がっていく。 「じゃあ、今日はこのくらいにしよっか!」 紅葉さんがそう言うと「お疲れ」という声が重なる。 紅野さんと紫音さんは談笑していて、まだ帰る気配はなかった。 俺はメジャーを持つ紅葉さんに本番で着る衣装の寸法を測って先に帰る事にした。 皆が残る中気まずかったが紅葉さんが「お兄様達に付き合う事ないよ、また明日よろしくね」と手を振ってくれた。 正直飛鳥くんとの用事があるから紅葉さんの優しさに助けられて「お疲れ様でした」とお辞儀して音楽室を後にした。 ※紅葉視点 瑞樹くんが帰った後、会話を止めて少し沈黙した後私から言った。 「ねぇ皆、瑞樹くんの事どう思う?」 「…どうって?」 「俺は絶対に認めないからな!」 私はこんな格好を好んでいるが、別に女の子になりたいとかは思っていない…貴族の次男だって事はよく分かっている。 だけどお兄様は私がずっとこんな格好をしているから、たまに妹のような扱いを受けている。 だから男の友達にはかなり厳しい、私も男なんだけど… 普段は神崎家の次男なんだから女の格好を止めろとか言うくせに、弟がほしいのか妹がほしいのか分からない。 本当にお兄様は頭が硬いんだから… 過保護すぎるお兄様はほっといて、まともに会話が出来る紫音くんを見た。 「私的には瑞樹くんって優しくてカッコ良くて、理想の王子様だと思うの!」 「…あれ、それ去年は架院様じゃなかったっけ?」 「うぐっ……架院の話は良いじゃない」 苦い過去を思い出させるような紫音くんの発言に話題を戻そうと必死になる。 確かに私の初恋は架院で去年までは架院が一番理想の王子様だと思ってたけど……好みは突然変わるしね。 それに架院とは従兄弟だし、あれはただの憧れだって気付いたからもう終わった話。 瑞樹くんは容姿は架院に劣るが、あのニコニコ顔で信じてもらえないだろうけど身内にも優しくない架院と違い、瑞樹くんは初対面の私を庇ってくれるほど優しい。 お兄様は架院にも嫉妬してるが、さすがに相手が架院だから睨むだけで何も言わない。 でも瑞樹くんには遠慮なく敵意を向けている、私は二人共大好きだから仲良くしてほしいのに… 「…良いんじゃない?僕は彼の音は嫌いじゃない」 「私もそう!なんか優しい音色よね、上総とは大違い」 「……」 つい口が滑ってしまい皆無言になった。 上総は元メンバーでギターをやっていて、今現在姫の取り巻きになってしまった架院の弟。 架院に劣るが上総もかなりの美形なのに、残念過ぎる。 私としてはもっと瑞樹くんといたいから、このままでもいいんだけどね。 でも、やっぱりずっと一緒に喜怒哀楽を分かち合っていた相手がいないのは寂しい。 少なくとも紫音くんは瑞樹くんを気に入ってくれて嬉しかった。 なんか瑞樹くんがいるとぽかぽかした気分になる。 架院にも感じた事がないこれはなんだろう。 そろそろ私達も帰ろうかと立ち上がったら、タイミングよく音楽室の扉は開かれた。 「随分盛り上がってるね」 「架院、用事終わったの?」 いつもは練習場の中には来ない架院が珍しく顔を出していた。 そのせいでお兄様が直立したまま固まっちゃった。 お兄様は昔から架院が苦手だったからね。 紫音くんは架院に興味がないから自分の楽器のドラムの手入れをしていた。 架院はキョロキョロ周りを見渡していた。 あれ?私達に用事じゃなかったの? 「架院、今日はどうしたの?」 「…ん?いや…用事がなきゃ来ちゃいけないの?」 そんな事はないが架院の態度から分かるがそれは嘘だろう….だって用事がなきゃ架院は来ない。 私にあんなにライブをしてと言っていたが本当は興味がない事を知っている、ただローズ祭の余興にぴったりだと適当に選んだのだろう。 だから歌を聞きに来たというのは絶対にない、長い付き合いだから断言出来る。 架院って自分の事に関しても無関心だから、いったい何に興味があるのか気になる…興味という感情があるのかは分からないけど… それに誰かを探している。 ……此処にいない人なんて居たっけ?あ…まさか… 「もしかして瑞樹くんに会いに来たの?」 「…瑞樹……あぁうん、もう帰ってしまったの?」 「10分前くらいにね…瑞樹くんのギター凄いかっこ良くて聞き惚れちゃったよ!!」 「………そう」 さっきまでの熱いセッションを思い出して興奮気味に言うと架院は何故か複雑そうな顔をしていた。 私でさえ見た事がない貴重な架院の顔だった。 なんで架院がそんな顔するの?架院と瑞樹くんってまだ二回しか会ってないよね? 架院にとって印象薄そうに思えたが、なにがそんなに架院の感情を揺さぶるのだろう。 なんか気になってしまって、架院の顔をジッと見る。 名前が分からない感情がぐるぐると気持ちをざわつかせる。 「…架院はなんで瑞樹くんを探してるの?架院が人探しなんて珍しいね」 「いや……少し確認したい事があったんだけど、いないならいいんだ」 そう言って架院は音楽室から出た。 確認したい事って、なんだろう。 いつもなら従者を使いに出すのにわざわざ自分でなんて… だけど架院は気まぐれなところがあるし、深い意味はないのかもしれないね。 だってあの架院が平凡な瑞樹くんに興味があるわけないよね。 私も架院と同じくらいしか瑞樹くんと会ってはいないが音を通して瑞樹くんを知れたから架院とは違う。 あ、そうだ…明日クッキーを差し入れに持ってこよう。 瑞樹くん、甘いものは好きかな?…そう考えるだけでもやもやした気持ちは晴れていった。

ともだちにシェアしよう!