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第105話

「アイツは俺の右腕で副委員長の犬井燐太(りんた)、魔法薬の研究オタクなんよー」 「…オタクで悪いか」 「すまんねぇ、みずっちゃん…コイツ研究ばかりで欲求不満で…」 笑う鳳さんに犬井先輩が机にあったペンを投げた。 軽く避けると、俺のすぐ近くの壁にペンが突き刺さりびっくりして硬直した。 鳳さんは全く気にしていない様子で、ソファーに座り直そうとしたらなにか思い出したように「あっ!」と声を上げた。 犬井先輩はもう興味がなくなったのか、またパソコンに目線を向けていた。 しかし鳳さんは犬井先輩のメガネを懲りずにまた奪おうとしていた。 犬井先輩は今度は取られまいと、鳳さんに足蹴りをした。 さすがに犬井先輩の不意討ちは、鳳さんの腹にヒットした。 「……うぐっ、さ…さすが俺の右腕だ」 「何度も取られてたまるか」 メガネを掛けて、椅子に座ると一瞬だけ俺と目があった。 瓶底メガネからは表情はよく分からなかったが、睨んではいない…多分。 腹を押さえながら鳳さんは犬井先輩に「確かワンコの信者に警戒心なさそうな可愛い子いるやん?」と犬井先輩の肩を抱いて聞いていた。 その肩を犬井先輩に払われて、舌打ちされていた。 犬井先輩の信者?可愛い子というと、もしかして一緒に双子の子に会ってくれる人の事だろうか。 飛鳥くんも探してくれているし、俺もただ見ているだけじゃなくて協力しないと… 「それが何だよ…アイツをどうする気?変な事しようって言うなら…」 「えー…個人的に興味なーいよ、用があるのはこっち!」 そう言って鳳さんは俺を指差して微笑んでいた。 俺は立ち上がって、犬井先輩に近付いてお願いするように頭を下げた。 そこで俺が人間だって事は言ったが、名前はまだ言っていない事を思い出した。 犬井先輩の名前は鳳さんから聞いたが、俺も名乗らないと不公平だ。 「俺の名前は森高瑞樹です」と顔を上げて自己紹介すると、犬井先輩はポカーンと口を開けていた。 学兄さんと同じ苗字だからだろう、俺が説明する前に鳳さんが後ろに立って俺の口を塞いできた。 「彼には俺のお願いを聞いてもらってるん、アイツを姫から取り戻すために」 「…アイツって、まさかまだ生徒会長の事諦めてなかったのかよ」 「俺はまだ友達だと思ってるんよ」 俺は「力を貸してください、お願いします」と頭を下げた。 犬井先輩はジッと俺を見つめて、小さく笑ったような気がした。 椅子から立ち上がり、下げていた頭を上げさせられてさっきのように唇に指を這わせられた。 メガネを外したら豹変する人なのかと思ったら、メガネをしていても何も変わらなかった。 そして、俺の耳元で唇を押し当てて俺にしか聞こえない小さな声で囁いた。 「…俺も協力してくれるならいいよ」と……いったい何の事か俺には分からなかった。 でも俺に出来る事なら、命に関わる事以外なら何でもしようと頷いた。 犬井先輩は満足したように頷いて俺から体を離した。 「いいよ、アイツに協力させる…その代わりこの子借りるよ」 「どうぞどうぞー」 「…ぉ、ぉぃ…っ」 自分の事のように軽い感じで鳳さんが俺を差し出していた。 苦しげに呻きながら、英次が止めたが俺は自分で決めた事だと言った。 何をするのかは分からないが、俺は犬井先輩に夜部屋に呼ばれた。 今日は放課後櫻さん達に鍛えてもらう約束をしたからだ。 それが終わった後に、犬井先輩のところに行こう。 「接待頑張ってねー」と言う鳳さんの言葉が頭に残って離れなかった。 放課後になり、俺は誓司先輩を待つためにマギカクラスの校舎の前にいた。 ここで待っていれば誓司先輩が旧校舎に案内してくれると言っていた。 まるで俺の授業の時間を把握していたかのように、すぐに誓司先輩が満面の笑みで手を振りながらやって来た。 俺と合流したら、エスコートするように手を差し伸ばされた。 「俺、女じゃないのでそんな事しなくていいですよ」 「…女扱いしたわけじゃありませんよ、俺がしたかっただけです」 そう言われたら、断るのも悪いと思い誓司先輩と手を繋ぎながら旧校舎に向かって歩いた。 昼休みに行った旧校舎がある場所と反対方向に旧校舎があるようで、気付かなかった。 旧校舎は今の校舎より少し大きかったが、手入れをしていないからかあちこち外壁が剥がれていた。 窓ガラスも割れていて、少し赤黒いシミのようなのが見えるがあれって… 誓司先輩は制服の内ポケットから小さな鍵を取り出して解錠した。 ギィィ…と大きな音を立てて、旧校舎の扉が開いた。 その瞬間、物凄く寒い冷気が全身を包み込んで、いろんな悲鳴とかが聞こえてきて耳を塞ぐ。 鍵が閉まっていて旧校舎なのに、こんなに人がいるはずがない。 「ここは人間が大量虐殺されて、修復不可能なほどに血がこびりついて閉鎖されたんですよ」 「…じゃ、じゃあ…ここは夜の時と同じ…」 「そうですよ、まぁ人間の残像しかいないので危害は加えませんから安心して下さい」 そう言って誓司先輩は微笑んでいたが、俺は顔が引きつった笑い方しか出来なかった。 人の恐怖や怒りや悲しみの気持ちがごちゃごちゃになって気持ち悪い。 この学院に通うなら慣れなきゃいけないんだ、これも強くなるためだ。 誓司先輩が心配して「櫻さんからは俺から言っとくので日を改めますか?」と言ってくれたが首を横に振った。 早く櫻さんが待っている場所に行こうと、誓司先輩の手を引いた。 旧校舎の廊下を進んでいたら、裏庭に出る扉を誓司先輩が開けた。 「昔は外から行けたみたいですけど、今は旧校舎を通らないと裏庭に行けないんですよ」 「そういえば旧校舎の横に大きな木がいくつも生えてましたね」 「そうです、折ろうと思ったら折れるんですが旧校舎を使う人が俺達以外居なくなった今…わざわざ木を取り除こうとする奴はいないし、俺達も部外者が来られないようにするには都合がいいので、そのままにしています」 「ここに櫻さんがいます」と誓司先輩に言われて、道場の前で繋いでいた手を離された。 誓司先輩は行かないのか?てっきり一緒に行くと思っていた。 誓司先輩は俺が万が一櫻さんに殴られているところを見たくないようだった。 修行だからそのくらい覚悟していたが、俺も大切な人が鍛えるとはいえ殴られていたら嫌かもしれない。 誓司先輩に見送られて、道場の中に足を踏み出した。 道場の真ん中には櫻さんが座っていて、俺の方に振り返った。 「来たね」 「はい、お願いします」 「まずは動きやすい服装に着替えようか」 そう言った櫻さんは隣に置いていた紙袋を掴んで俺の目の前に持ってきた。 それを受け取り、中身を覗き込むようにして開けた。 そこには紺色の上下のジャージと真っ白なシャツが入っていた。 すぐに着替えようと奥にある更衣室に急いで向かった。 旧校舎だからいろいろと壊れたものとかが散乱していると思っていたが、そんな事は全然なくてロッカーやベンチは埃一つ被っていない綺麗な状態だった。 櫻さんが掃除してくれたのかな、俺も期待に応えられるように頑張ろう。 制服を脱いで、シャツの袖に手を通してズボンを穿いた。 上着を着ると、脱いだ制服をロッカーに入れて櫻さんが待つ場所に向かった。 「お待たせしました」 「良かった、ぴったりのようだね」 櫻さんは立ち上がって優しい顔で俺に微笑んでくれた。 道場の壁には誓司先輩が寄りかかっていたが、やはり修行は見たくないのか顔を逸らしていたが俺にお辞儀をしていた。 櫻さんはやれやれといった呆れ顔をして、俺に手招きされた。 近付くと、見えない速さで手首を捕まれてそのまま引っ張られた。 よろける足を絡ませるとバランスが取れなくなり床に押し倒された。 その技は一秒よりも速くて、なにが起きたか分からなかった。 「じゃあ、最初の授業だよ…君の姫の力を使って脱出してみせて」 「……ひ、め…の?」 「誓司くんから聞いたよ、食堂で誓司くんと森高学くんの言い争いを君が止めたって」 誓司先輩と学兄さんといえば、まだこの学院に来て間もない頃に見た乱闘騒ぎの事だろうか。 でもあれは学兄さんが自ら止めたんじゃ……いや、学兄さんが人間ならそれはあり得ないか。 あの時の俺はどうしたんだっけ、くそっ…ダメだ…思い出せない。 あの時はなにかに必死だったんだ、だからなにかをしたという自覚はない。 とりあえず俺はなにか手から出ないかと、手に力を込めてみたが何も出なかった。 コツさえ分かればいいのに、焦ってしまい自分でも何をしたらいいのか混乱してくる。 そんな俺の手を櫻さんが包み込むように、ゆっくりと握った。 「大丈夫、最初から出来るとは思っていないからゆっくりマスターしていけばいいよ」 「櫻さん…」 「この力は姫によって違うやり方があるみたいだから正解はない、君にとってなにが大切か…それが大事だ」 俺にとって大切なもの、命とは別に守りたいもの。 俺を慕って傍に居てくれる、大切な仲間達が真っ先に頭に浮かんだ。

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