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第二章 獣人の国と少年 (六)

「さてお客サン。どのくらいまで切りましょうか?」 首元にタオルを巻きながらジャレットは椅子に座った夜宵の頭上から鏡越しに話しかける。 夜宵の髪はしばらく切っていないせいですっかり伸びてしまい、背中にまで到達している。 夜宵が度々女人と間違われるのは顔や体型だけでなく、その髪の長さにも所以があった。 夜宵が困って少し離れたところで腰を下ろしてこちらを見ているシルヴァンに目を合しても、彼は「好きにするといい」と言わんばかりに頷くだけである。 結局目立って傷んだ部分のみを切るという話でまとまり、シャンプーブースへ移動となった。 シャンプー台が二台と、どうやら奥にはバスタブのようなものがある。 シャンプー台に乗りながら奥を見つめる夜宵。 「奥が気になる?あそこは獣姿でのシャンプーをする時に使うんだ。基本的にはみんな獣人型でいるんだが、獣人型でシャンプー台に横になりづらいとか、好みとかで獣姿でのシャンプーを望む客が居る。そのためのバスタブとシャワーだよ」 ジャレッドの説明に納得したところで、夜宵のシャンプーが始まった。 本当に長いな、とか、こんなに綺麗なのに勿体ない、とか、目隠しをされた夜宵の頭の上で何やらジャレッドがブツブツ言いながら髪を流す。 「多分今お屋敷で使ってるシャンプー、殿下のだろ?狼……肉食獣用のだから多分髪に合ってないんだよ。さっき髪を触った感じからしてこれが合うと思うから、ちょっと使ってみるな」 髪に付けられたのは上品な花の香りがして、風がそよぐ森を連想させられた。 「良い匂い……森みたい」 「気に入ったか?アンタの髪質は肉食獣ほど強くなくて、草食ほどふわふわしてるわけでもないから、近いと感じた鳥の獣人用のシャンプーを使ってみたんだ」 なるほど、と夜宵はジャレッドの指の心地良さに身を委ねた。 お湯で流され、もう一度何やら付けられる。 「これはコンディショナーな。髪長いから傷み防止のケアな。切った後乾かすから、良かったらこのシャンプーとリンスのサンプルをあげるよ」 「ん、ありがとう」 お湯でしっかり流されタオルドライされる。 ガタイのいい狼の獣人であるジャレッドだが、その指先は実に器用で、髪を現れている間優しく包み込まれているかのような感覚だった。 それからはあっという間だった。 髪の長さは鎖骨ほどの長さになり、シャンプーのおかげかつやつやしていた。 ジャレッドは自分の腕により自信を持ったのか胸を張り、シルヴァンもすっかり見惚れてしまっている。 「なあ、少し髪型変えてみてもいいか?」 夜宵が頷くと、ジャレッドは次々と違う髪型を試していった。 ジャレッドは理容師であるため、普段は髪結などはしない。 昔妹たちの髪を結っていたから色々できるようになったのだと話し、懐かしそうに穏やかな笑みを浮かべた。 何度目かのアレンジで顔の横にの髪を垂らして後ろで小さくお団子を作った時「あっ……」と声を漏らしてしまった。 「お……かあさん」 瞬きをすると同時にはらりと涙が音もなく流れ落ちた。 「ヤヨイくん!?」 「夜宵!?」 「大丈夫。ちょっと、お母さんに似ていたんだ」 考えてみれば夜宵は鏡で自分の顔をしっかり見るのはかなり久しぶりである。 夜宵は自分の顔に唯一の家族である母親の面影があり胸が熱くなるのを感じた。 ジャレッドはいくらか試し満足したようで、結局髪は下ろすことになった。 試供品のシャンプーとリンスを受け取った夜宵は、せっかく綺麗にした髪を隠してしまうのは勿体なかったがフード付きのマントを被りジャレッドの店を出た。 それからしばしば夜宵は夕方の閉店時間間際にジャレッドの元を訪れるようになり、シルヴァンもジャレッドの所なら、と許可を出していた。 夜宵が髪を整えてもらって一週間、この日のジャレッドは慌てていた。 どうやら獣姿でのシャンプーを希望する客が来たようだ。 獣種にもよるが獣姿でのシャンプーは時間も手間も体力も使う。それ故先に他の客を回したり、獣姿のシャンプーを先にするために他の客を後に回したりとどうにしてもどちらかを待たせてしまうことになり、手が足りなくなる。 今回は獣姿を希望する客が今日のラストであるが、前の客が押してしまい既に閉店時間は差し迫っていた。 「ねえジャレッド、獣姿のシャンプー僕にやらせてくれないかな」 ジャレッドは大きく目を見開いた後、細めて泳がせた。 「手が足りないのは確かだが、だからといって素人にやってもらうわけには……」 すると夜宵の後ろに待っていた獣人が立ち、肩に手を置いた。 「俺この子にやってもらうでいいぞ。この子がちゃんと出来るか俺が実験台になって見極めてやる」 そう言って実験台を買って出たのは雄のイエイヌの獣人で、獣人の姿であればサラッと流してひとつに結んで纏まっているが、獣姿になってもらうと言っていた意味がわかった。 足や腹部など全身の毛が伸びて引きずってしまう長さだった。 夜宵はジャレッドに教わった通りにシャンプーをしていく。 ジャレッドが前の客のカットを終えた頃様子を見に行くと、中からイエイヌの獣人がジャレッドに飛びついた。 獣人が飛びついたことでバランスを崩したジャレッドはその場で尻もちをつき、その獣人は舌を出してハアハアと息を荒らげている。 「お前!こんな子をどこに隠してやがったんだ!」 ジャレッドは、わからない、といった風に首を傾げる。 「えっと、すまん、ヤヨイくんが何か良くないことでもしたか?」 すると獣人はブンブンと首を左右に振る。 「良くないだなんてとんでもねえ!気持ちよすぎるんだ!素人どころか天才だぞ!」 奥を見ると照れて俯いている夜宵の姿が目に映る。 それからその獣人はカットが終わると上機嫌で店を出て、その様子を見た周りから問い詰められて吐かされてしまい、夜宵にシャンプーをしてもらいたいと評判を聞きつけた客が詰め寄せてきたのは翌朝の開店時間だった。

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