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第二章 獣人の国と少年 (九)
街灯が灯り始める頃、シルヴァンと夜宵は二人で湯浴みをしていた。
目を覚ましてからしばらく夢現だった夜宵も、今はしっかり意識を保っている。
どうやら体に不調は無いようで、むしろスッキリしているとシルヴァンの胸に背中を寄せ、腕の中で湯に浸かりながら元気に笑顔を見せている。
ただ一つ浴室に入った時からシルヴァンが気にしていたのは昨夜のことではなく夜宵の両腕のアームカバーだった。
べスティアに来てから夜宵の風呂は新たに雇った下男かトーマスが請け負っており、シルヴァンと共に湯浴みをするのは初めてだった。
シャツの下には身に付けていなかったが、肩から手首までしっかり覆われたそれをわざわざ夜宵は風呂の前にトーマスに付けさせたのである。
実の所昨晩夜宵の体を拭いた時に両腕の傷をシルヴァンは目にしていた。
それだけでなく、初めてこの屋敷でトーマスに手伝わせて風呂に入れた時、夜宵が傷を隠したがっていたこともトーマスから報告を受けていた。
確かにレンにいた頃もアームカバーを着けており、ただの狼だった時にすら隠されていた。
それ程までに隠し通したいのだろうと意思を汲みこれまで何も言わなかったが、実際に目の前でアームカバーを付けさせてまで当人から隠し事をされることが悲しく思えてつい口をついて出てしまった。
何よりトーマスが知っていて自分が知らないというのが何よりも悔しく思えたのだ。
「夜宵、そのアームカバーを外して貰えないか」
「えっ……」
「その、トーマスや下男は知っているのに俺だけ知らないから……もっと夜宵を知りたいんだ。俺だけ隠されているのが少しだけ辛い」
その表情はシルヴァンが予想していたものとは違う反応だった。
単純に嫌がられるか或いは誤魔化して躱されるかのどちらかであろうと予想していたのだが、夜宵の浮かべた表情は怯えや恐怖といった類のものであった。
湯に浸かって温かいはずなのに青ざめる夜宵にそれ以上何も言えず、悪かった、忘れてくれ。とだけ伝えて背中から抱えるように抱きしめると、大きく息を吸った夜宵がおずおずとアームカバーに指をかけた。
湯を吸ったその布はぺったり夜宵の腕に張り付きなかなか離れず、怯えた様子で手を震わせている今の夜宵にはかなり強敵だった。
思うようにいかないせいで涙を浮かべる夜宵に背後から声をかける。
「……手伝ってもいいか?」
こくんと夜宵が頷くのを確認し、シルヴァンは夜宵のアームカバーを片腕ずつ、両手でゆっくり外していった。
始めは左、次に右。
大人しくシルヴァンに手伝ってもらっていた夜宵だったが、全て外し終わるとその腕を腹に折りたたみ抱え込む。
「やよ……」
「触らないで!!!」
二の腕に指先が触れた時、ビクッと肩を震わせ弾かれたようにシルヴァンから離れた。
バシャッ!とお湯が波打ち夜宵は腕を湯に沈めてその目はシルヴァンを正面から睨みつけていた。
恐怖、憎悪、怒り、悲しみ、痛み。夜宵が放つそんな感情がシルヴァンの肌を突き刺していく。
「やっぱりごめん!できない!……嫌われるのは嫌だ」
「……夜宵」
シルヴァンはその場から動かず夜宵の目をしっかり見つめて両手を広げた。
夜宵がそのまま浴室を出るならもう二度と腕に関しての話題は振らない、もし腕の中に戻ってくるあら精一杯抱きしめよう。シルヴァンは一人心の中で誓う。
夜宵は自身の腕に目を落とす。
「僕の腕は、醜い。できれば見せたくない」
消えそうな声だったが幸い浴室だったこともありしっかりと夜宵の言葉はシルヴァンの耳に届いている。
「それでも見せてほしい。どんな夜宵でも受け止める」
夜宵は黙り込む。その間もシルヴァンは腕を広げて夜宵から目を離さなかった。
どれくらい経ったか正確な時間はわからないが、それなりの時間悩んでいた夜宵はゆっくりシルヴァンの近くに戻り、
抱きかかえるようにしていた腕を解いた。
ガバっとシルヴァンは夜宵を強く強く抱きしめた。
「ありがとう、夜宵」
緊張していた身体がシルヴァンの腕の中で僅かずつ和らいでいく。
あまり長い間見ないでね、と夜宵がシルヴァンから体を離す。
昨晩の着替えのときは眠っている夜宵を気遣い部屋の明かりを最小限にしていたが今は煌々と電気のつけられた浴室のため、腕の傷一つ一つ、その深さや皮膚の厚さでさえよく見える。
夜宵は母親が亡くなって孤児となってしまったことでもとからあった村人たちからの迫害が悪化、今から三年前にその村の住民たちにつけられたものだとシルヴァンに話し、迫害を受けていた理由や母親の死についてはそれ以上語ることはなかった。
シルヴァンはもういちど抱きしめると今度は夜宵も応えるように震えの止まった手をシルヴァンの背中へ回した。
お互いの距離が近くなったことをシルヴァンは喜び、またそれは夜宵も同じであり夜宵の腕を見ても反応を変えることなくその腕に抱いてくれたことでよりシルヴァンへの信頼が高まり一つ胸のつかえが下りた気がした。
その後なかなか風呂から上がってこない二人を心配して声をかけに来たトーマスに促されて浴室から出た。
トーマスがドライヤーを準備しているとシルヴァンが夜宵の髪を乾かしたいと言い出しトーマスは再び追い出され、夜宵とシルヴァンの二人になった。
ドライヤーの温かい風を当てながらシルヴァンは夜宵に王宮に一緒に行ってほしいこと、更にはシルヴァンの父親である現国王に番、つまりは婚約者として紹介したいと何事もない会話のように提案する。
元気づけるための冗談だと思ってケラケラ笑いながら承諾した夜宵だが、翌日しっかり荷物がまとめられてあれよあれよと進められ、ジャレッドの店まで手を引かれていくとしばらく暇をもらうことだけ手短に伝え、馬車に乗せられた。
遠くなる街を窓から見ているうちに実感が伴い、狭い馬車の中で狼狽する羽目になったのである。
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