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第二章 獣人の国と少年 (十一)

手招きをされるままシルヴァンの傍へ夜宵が歩いていくと、手招きをした彼が耳まで真っ赤になっているのが見えてくる。 彼の隣に行ったらまずは礼を取るようにトーマスに言われていたため、夜宵はシルヴァンの隣に立ちその場で片膝をつき頭を垂れる。 挨拶の言葉は第一王子が去ったあとトーマスに教わった。 「お初にお目にかかります、夜宵と申します。本日の謁見をお許し頂きありがとうございます」 生まれてこの方敬語など習ったことがない夜宵だったが、今回の挨拶は誰が見ても完璧であった。 シルヴァンはベスティアの正装を身に纏い片膝をついて挨拶する夜宵の様子を見て頬を緩ませている。 「面を上げよ」 低く落ち着いた声に従い顔を上げると、玉座でニンマリする体躯の良い男が視界に入る。 若く見えるがシルヴァンの父であるからにはそれなりに大人であろう。 ――そういえばシルヴァンっていくつなんだろう? 「なるほど、愛らしい顔をしているな。礼を習ったことがないと聞いていたがしっかりできているではないか」 付け焼き刃ではあるが褒められるとは思っていなかったため夜宵はどう反応したら良いかわからず、照れやら喜びやら羞恥やらで顔が火照るのを感じてシルヴァンに助けてもらおうとそちらに目をやると、向いた先でもニンマリした顔が視界に飛び込んできて向く先がもう床しかなかった。 すると王は大口を開けて笑い出し、シルヴァンは夜宵の肩を抱き寄せた。 「ほら父上言ったでしょう?夜宵はそれはもう可愛くて可愛くて仕方がないと。わかっていただけましたか?」 「ああ、十分にわかった。ヤヨイは可愛いよ。俺の負けだ」 夜宵は話の流れがよくわからなかったが、シルヴァンは嬉しそうである。 その日からしばらく王宮で厄介になることになり、謁見の前に休ませてもらった客室ではなくシルヴァンの部屋に通された。 別の部屋を用意する、と言われたがシルヴァンは頑として譲らなかった。 「夜宵、お疲れさま。よく頑張ったね」 部屋に入るなりドアが閉まるのとほぼ同時にシルヴァンは夜宵を抱きしめた。 器ができないほどの抱擁に夜宵がバシバシ背中を叩くと両手を緩め、その手は腰のベルトに移動する。 背中の紐が緩められると全身の緊張も一緒に緩められ脱力感に襲われた。 シルヴァンの匂いに包まれながら深く吸い込んだ空気が肺を満たしていく。 夜宵が上を向くとシルヴァンも夜宵の顔を見下ろしており、目が合うとどちらともなく触れるだけの口付けをする。 「脱がすのが勿体ないな」 そう言いながらもシルヴァンの手は止まることなく、ただゆっくりと夜宵の肌を露わにしていく。 パサッと夜宵が身に付けていたシャツが床に落ち、シルヴァンは夜宵の腕に手のひらを近付ける。 「触ってもいいか?」 その問いに夜宵は口をキュっと結び、小さく「うん」と答えた。 肩から布を被せられるように手のひらをとても優しく触れさせる。 触れられたところからじんわり温かさが伝わり、しっかり自分の腕に繊細な感覚がまだ残っていることを自覚する。 するすると傷跡の上をなぞられついにその手は夜宵の手首にまで到達、そのまま手を取り両手の甲へキスを落とされる。 「へっ?」 「もっと早く夜宵と出会いたかった。そうしたらこんな傷を付けられなかったかもしれないのに」 「そんなことないよ。この傷があったから僕はあの小屋で暮らしてたんだから、もしこの傷ができる前だとしたら僕とみそらは出会えなかったと思うんだ」 夜宵が笑顔を見せるとシルヴァンは再び抱きしめた。 トントンとドアが叩かれ、トーマスが入ってきた。 「シルヴァン殿下、ヤヨイ様、夕餉(ゆうげ)の支度が出来たそうですがいかが……これは、失礼致しました」 「わ!待って行かないで!ご飯、食べるから!みそらも離してぇぇ――」 夕飯は国王が一緒を希望されたため国王、レオナルド、シルヴァン、夜宵の四人で食べることになった。 ダイニングルームに入って正面の一番奥の座席には国王が座り、国王の左手側に先程の謁見にはいなかった王妃が座っている。 王妃は狼の獣人であり、どことなくシルヴァンに雰囲気が似ている。 本来であれば長男であるレオナルドが王妃の正面に座るのだが、夜宵はシルヴァンの隣が良いだろうという配慮があり王妃の隣にレオナルド、王妃の正面にシルヴァンが座りその隣に夜宵が座る座席配置となった。 提供された食事は港街のシルヴァンの邸宅で出されていたものより格段に高級な食材が使われており、真っ白い皿の上に乗る料理が全てシャンデリアのように輝いていた。 口に運ぶと肉も野菜も柔らかくホロホロ解けていくようで、夢中で食べているうちにあっという間に食べきってしまった。 満足してテーブルから顔を上げると、テーブルを囲んだ全員が夜宵に視線を向けていたことに気づく。 皿を見ると皆さほど減っていないように見える。 夜宵は自分がなにか粗相をしてしまったのではないかと不安に襲われたが、王妃からは優しい言葉が投げなれた。 「ヤヨイ様、本当に美味しそうに食べるわね。ついつい見惚れてしまったわ。私のお肉もお食べになって」 「夜宵、俺のも食べていいぞ」 「うむ、私のもやろう」 「仕方ないなぁ。私のも食べて良いぞ」 「えっ、ええ!?」 結局夜宵は自分以外の人から肉を差し出されたが自分の分で十分に腹は満たされていたため気持ちだけ受け取ることにした。 シルヴァンは夜宵について国王に「ヒト族だ」と伝えてあるらしい。 それなのに他の獣人と変わらず接してくれる態度がとてもおおらかな人柄を思わせ、印象が良かった。 王妃にも伝わっているかはわからないが食事の様子からとりあえずは受け入れられたようである。 シルヴァンの兄であるレオナルドはつかめない感じではあるが、あからさまな拒否などは示していない。 それから揃ってデザートを食べ、この日の晩餐はお開きとなった。 膨れた腹を抱えながらシルヴァンと夜宵は二人で入浴を済ませ、同じベッドに入る。 とはいっても夜宵はもともと昼間寝ている生活リズムもあるが、謁見前に夕刻まで仮眠をとっていたため寝付けるはずもなく、シルヴァンの頭を撫でながら彼が眠っている様子をじっと眺め、明け方ようやく布団を被った。 シルヴァンが王宮に帰ってきたという噂は瞬く間に広がり、なんと翌日それも朝から派手に着飾った雌のライオンの獣人が大勢のメイドを連れて訪ねてきたのだそうだ。 彼女は訪ねてくるやいなやシルヴァンにべったりだそうで、夕方になって目を覚ました夜宵は部屋でトーマスから聞かされたのだった。 夜宵の生活スタイルは既にシルヴァンが伝えており夕食のみ全員でとろう、ということになっていた。 トーマスは仕事があるとのことで、港街の屋敷から連れてきた下男に手伝ってもらい身支度を済ませる。 すると突然部屋の扉が叩かれ、前日庭で見た金色の髪が顔を覗かせた。 「やあ。シルヴァンがいなくて寂しがっているかと思って。夕餉の前に散歩にでも行かないか?」 言われるがままレオナルドについていった夜宵は昨日夜宵とレオナルドが顔を合わせた庭に来ていた。 「しっ。静かに、ここでしゃがんでて」 レオナルドはバラの木の陰に隠れて夜宵を隣に呼んだ。 少しだけ頭を上げて廊下をじっと、それも不気味な笑みを浮かべながら見つめている。 夜宵も同じように廊下を見ていると、見覚えのある獣人が歩いてくるではないか。 「あ、みそら――じゃなかった。シルヴァン殿下。……と、あれは?」 シルヴァンの右腕に胸を押し当てるように腕に抱きついている着飾った雌の獣人がいる。 あれがトーマスから聞かされた獣人か、と夜宵が予想を立てたところでレオナルドが夜宵の耳元で囁いた。 「あれはアリア・リアンドラ。うちの分家の礼譲で、シルの婚約者」 ――婚約者 その響きを聞いてサーッと頭の先から血の気が引いていくのがわかる。 それもそうだ。シルヴァンはこの国の第二王子。婚約者がいて当然だ。 しかし、そう納得しても心はついてこずモヤモヤとした気持ちを抱えたまま夕食の時間になり、レオナルドに手を引かれてダイニングルームへ入ると昨日夜宵が座っていた席に先程の婚約者の女性が座っていた。 アリアという女性と楽しげに話しているシルヴァンを目にし、胸が押しつぶされそうに苦しくなった。 「――っ!!」 夜宵はそのままダイニングルームに背を向けて部屋に向かって歩き出した。 その時のレオナルドの悦に入った表情を夜宵は見ることはなかった。

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