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第二章 獣人の国と少年(二十八-前)

「せめて、せめても、この腕の傷を治させてもらえないだろうか」  里長の提案だった。 人の肌とは言えないそれは、もう何年も染み付いて、何をつけても治らなかったのだ。それを、治す? 「できるの?」  里長は首を縦に振る。 「とはいえ少し時間はかかるだろうがな。受胎薬を飲みながらでも塗るといい。効いてくるはずだ。……私はこんなことしかしてやれない。父親らしいことは何もしてやれなかった。だからこそ、今やれることをやらせてほしいのだ」  夜宵もそれを受け入れた。  里長は襖に近づきボソボソと何かを呟くとすぐに戻ってきた。 「十二年、長かった。生きた心地がしなかったが、良かった。本当に良かった」  再度彼は夜宵を抱きしめた。背中の羽を広げ、丸めるようにして外からふわりと囲う。ふさふさと頬を羽根がくすぐり、柔らかい温かさが伝わってきた。懐かしい記憶と共に。幼い頃の、まだ家族三人だった頃の記憶。昔もこうして誰かに抱きしめてもらった記憶がある。この柔らかな、人の肌ではないこの感覚。柔らかい羽根の感触をどうやらまだ覚えていたようだ。 「もう、大丈夫だよ。僕は元気で生きてる。母さんも、頑張って生きてた。それでいいんだ。それとさ、ここ、結構居心地がいいんだよね。また来てもいい?」 「ああ、ああ。もちろんだ。いくらでも来るといい。ここはお前の家でもあるのだから」  風がひゅおと二人の髪を揺らした。まるで里も、夜宵を歓迎しているようだった。 「それじゃあ、僕たちは行くね」 「ああ、気をつけるんだぞ」  話の後呼び戻したシルヴァンはかなり動揺しており、部屋を出てからじわりじわりと話の実感が湧いてきたそう。夜宵のことが気がかりで、別の部屋を用意されたにも関わらず廊下を行ったり来たりと忙しなかったとお付きの野鳥獣人が教えてくれた。  無事に授胎薬を貰い、また夜宵の腕に塗る塗り薬も貰うことが出来た。以前タルデが夜宵の足裏に塗ってくれたものとほぼ同じものだそうだ。同じような緑色の軟膏が詰められている。 「無くなったらまた来るといい。その、いつでもな」 「わかったよ。ありがとう、おとさん」  昔の呼び方。ただそれだけ。だが里長にはまたも深く刺さったようで泣き崩れてしまった。  もしかしたら里長に対して淡白な対応しかできていなかったかもしれない。謝罪も、どう受けていいか分からなかった。けれど自分は捨てられた訳では無い、それがわかっただけでも夜宵の心はもうそれで良かったのだ。ひとつ、区切りがついたのだ。  故郷がひとつ増えた。拠り所が増えた。夜宵はもう、満足だった。  辺りがやや白んでくる頃、二人は里を後にし前回同様風に導かれながら帰路についた。

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