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ー since. millennium Years. ―

  ーー時は流れ、目前に新たな世紀を迎えようとしている、年の瀬迫る冬のこと。   僕と殿崎、そしてみわ子さんの3人は、僕の実家であるヘアサロンの近くにある小さな居酒屋で忘年会と称して集まって、酒を酌み交わしていた。 「何か信じられないよねー。ついこの前まで一緒に勉強してたと思ったら、もう20世紀も終わりとか。……護くんはあの実家のサロンを継ぐの?」 「うーん…。いずれは継がなければならないんだろうけど、今はまだ祖父も現役だしね……。もう少しだけ、我儘を許してもらおうかと。それにまだ、覚えなくちゃならない事も多数ある訳だし」 「あー、そっか。あたしたちと違って護くんは理容過程じゃなかったもんね。…でも実家は床屋なのに、どうして美容師を選んでたの?」 「確かに。家が家なだけに、普通に考えたら本来取るべき資格は理容師のはずだもんな?」 「そうなんだよ。…だけど僕が思うに、今後は『理容師』だろうが『美容師』だろうが、そういう仕事の住み分けみたいなものって、無くなっていくような気がするんだよね。僕の実家は所謂『床屋』なんだけれども、最近のこの界隈って『床屋』よりも『美容室』の方が増えてきてる感じしない?」 「あー……確かに。名目上は『トータルサロン』と名乗ってるが、その蓋を開けてみりゃ俺らのよく知る『美容室』とか『パーマ屋』ってのがほとんどだよな」 「あはははは!!匠くん面白過ぎる!!…今時『パーマ屋』とか言う人居るー!?…それほぼ死語じゃないのよ!!……でも、言われてみれば確かに一理あるわ。…まあ店舗ごとにそれぞれが切磋琢磨していって、競争率が高くなってサロン業界が盛り上がるのは悪いことじゃ無いとは思ってるけど…かと言って、増えすぎるのもどうかって思うわね」 「そう。店舗が増えれば増えるほど、利用する客層は変わってくる。…最近は男女関係なくそうした『トータルサロン』を利用する若年世代は多い。…とは言え、自分の髪を整えてもらうならやっぱり『床屋』や『美容室』で…っていう中高年層が居るのも実状。…そう考えると、昔ながらの『床屋』や『美容室』ってのも、一定数は残しておかないといけない。…僕はたまたまそんな『床屋』の跡取りとしてここに居る訳だけど、今後の世相の流れを鑑みるに、『理容師』の技術だけじゃなくて、『美容師』の技術にも対応できる。そういうある意味便利な存在になれるような資格保持者が居ても良いんじゃないかな?って思うんだ」 「なるほどねー。それはそれで有りって事か。一つの店舗だけでどちらにも対応してくれれば利用客は目的ごとに店舗を変えなくて済むし、何より楽だからな」 「うん、そう。だから僕はいずれはそういうサロンにしていきたいと思ってる。その為にはもっと勉強しなくちゃならない事もたくさんある。店舗経営に関する事とかね。……技術なんかより、そっちの方がよっぽど大変なんだけどね」 「偉いなー、護くんは。……でも店舗経営の為の知識って?」 「うん。それは僕の母親に聞いてみれば何とかなるかなって。……昔、それに近い事をやってたから」 「あー、キャンプ場とか何とか…ってアレか」 「え、そうなの?…初耳なんだけど」 「あれ?言ってなかったかな。僕は今でこそあのサロンの跡取りになってるけど、元々は違う所に住んでたんだよ。現社長の祖父は、実は僕の母方の系統なんだ」 「へぇー、そうなんだ。じゃあ今の『芝崎』っていう苗字は、お母様の方の名前なのね。……あれ?じゃあ、メディア上でよく名乗ってるあの苗字は…?」 「あれは僕の本家姓であって、僕が生まれた時の戸籍上の名前でもある。メディア上で敢えて本家姓の方の苗字を名乗る事で、その本家姓のバックボーンを武器にしてメディア向けにインパクトを与えられるなら、それはそれで見ている人達も面白くなるでしょう?」 「あ、言われてみれば確かにそうかも。…何だ、けっこう楽しんでるんじゃない」 「あれは仕事だからね、あくまでも。本来はそういう『誰かになりたい』っていう願望は願望のままにしておいて、ありのままの自分自身を認めて欲しい…っていう僕自身の心持ちは変わらないから」  当時の僕は、この時すでに『理美容師』としての実力を買われ、いくつかのメディアから声を掛けられていて、主婦層向けの情報番組のコーナーの一部においてその技術を披露していた事があった。  だがそうして受ける依頼のほとんどが、『芸能人の誰かみたいになりたい』『実年齢より若見えさせて旦那や子供を見返してやりたい』という、あまりにも私利私欲に満ちたものばかりだったのも事実だった。    そういった『誰かに憧れる』気持ちや、『自分の一番輝いていた』であろう時代を取り戻したい気持ちを持つ事を悪いとは言わないが、そうした依頼者の人達にだって、これまで歩んできたであろう人生の中にも『誰かに憧れられて』いたり、『自分が一番輝いている』時代もあったはずなのだ。それなのに、時を経たからといって何故そんな自分を過小評価してしまうのか。時を経たからこそ、新しい自分を発見出来たり、過去の経験が現在の自分に繋がっているかも知れないはずなのに、どうしてそんな自分を素直に認めてあげないのだろうーー。 …と、未熟な僕はそんな事ばかり思っていた。  だがその後、自分自身がそういう憧れや輝きというものを全て失う出来事を経験した事で、皮肉にも当時の依頼者の人達の気持ちを理解できてしまったのだーー。  ーーそれは、この忘年会と称した飲み会集まりから、数ヶ月後の出来事だったーー。          

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