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― since. millennium New Year. ー
『 だからさぁ…アレがアレで、これがこうで…』
『おい、もう止めとけ。…絡みすぎだぞ、さっきから』
『良いじゃない、別に。どうせあたしの事なんかどうでも良いんでしょ!?』
『誰もそんな事は言ってねぇ!!…ったく、しょうがねぇなぁ…。護、今日お前んちにみわ子泊めていけよ。これじゃどうしようもねぇ…。悪いけど、頼むわ。』
『ええ!?…大丈夫かなぁ…。』
『こんだけ酔っ払ってるんじゃ多分、今自分がどうしてるのかなんて分かっちゃいねぇんだろ。…何なんだ、今日のコイツは…。』
『そうだよね…。珍しいよね、みわ子さんのこんな状態…。』
『俺、今日はこれで帰るわ。…多分明日になったらケロっと忘れてると思うけどな。……悪いな、護。…お前に迷惑かけちまった。』
『ううん。仕方ないよ、状況が状況だし。また連絡するよ』
『……ああ。』
ーーそう言って殿崎が帰った後、僕は完全に酔い潰れてしまったみわ子さんを連れ、タクシーを呼んで僕の住んでいたアパートに戻った。
「……みわ子さん、大丈夫?」
「……うーん……。あれ、ここ何処?」
「僕のアパート。みわ子さん酔い潰れちゃったから、とりあえず。匠も心配してたよ」
「あー…そう。…ってアイツ!!どうして急にあんな事…っ…!!」
「落ち着いて。詳しい話は僕が聞くから、少し深呼吸しよう。…はい、水」
「……っ……。あ、ありがとう。ごめんね、護くん」
「…それで、みわ子さんはどうなの?…彼に対する気持ちは、今も変わらないんだよね?」
「そりゃあそうよ。だってこんなもの貰っちゃったらもう引き返せないじゃない。…でも、タイミングが悪すぎるのよ」
「……そうだよね。…本気だからこそ渡してる…はずだもんね?」
「そうじゃ無かったら何だってのよ、ただの遊び!?」
「それは無いと思うよ。僕も彼との付き合いは長いけど、ただの遊びだけで渡すとかそういう事は絶対にしないと思う。普段がおちゃらけてるから分かりづらいけど…。」
「それが本当なら、何でそんな大事な時期に……。あたしにだって、それなりの覚悟はあったはず…なのに……。」
そう言うと、みわ子さんは涙を流し始めた。
普段そういう弱いところを見せない人ではあるから、彼女にとってはそれだけショックの大きい出来事だったのだと分かる。
だがこの不意に見せられた彼女の弱さが、僕の心に燻っていた炎を目覚めさせてしまった。
泣き崩れるみわ子さんの身体を無意識のうちに抱きしめ、流れる涙にキスをしてしまったのだ。
ーーだが、気づいた時にはもう遅かった。
「……みわ子さん」
「…え?…待って、護くん……。今、自分が何してるか分かってる…?」
「分かってるよ。……匠だけじゃない。僕も君の事をずっと見守ってきた。…もちろん、今のままの関係を壊したい訳じゃ無いけど……。僕だって何も考えてなかった訳じゃ無い。…例えほんの一瞬だけでも良いから、君に振り向いて欲しかった……!!」
僕は、彼女を抱きしめる腕の力に更に力を込めた。
思いきり抱きしめて、彼女が苦しいから止めて、と言われるまで力を緩めなかった。
……いや、緩めようとしなかったのだ。
それほどまでに、僕の彼女に対する心の気持ちは止められなくなっていた。
みわ子さんに初めて出会った数年前……あの心理学研究サークルでの出来事から、僕は彼女の魅力に惹きつけられ、殿崎との間に男女関係が成立していた事も知らないまま……彼女に対する恋愛感情を抱いてしまっていた。…その邪ともとれる想いは、日々を追うごとに段々と強くなっていった。
そして二人の関係を改めて知った後も、建前では彼らの幸せを祈りながら、本音ではそんな二人の関係に嫉妬している自分自身の醜い想いを、心の奥底に留めていた。
そんな時、殿崎の口から、その場に居る誰も知らなかった話を聞かされたのだ。そして彼女も言っている通り、その知らされたタイミング自体も悪かった。…それが起きたのが、この瞬間の数時間前だった。
すっかりお馴染みとなった僕たち三人の『懇親会』と称した酒の席による集まりは、その時から今までずっと続いていた。もちろん、長く続いているからこそ分かってくるそれぞれの思惑だってあっただろう。その数年の間に二人の距離はさらに縮まっていき、そしてそれを完全なものとする為の証明が、殿崎から彼女に贈られた。
だがしかし、それと同時に彼は唐突に話を持ち出してきたのだ。
その話を聞いた途端、みわ子さんは急激にペースを上げてしまって、結果……。
ーー現在のこの状況を作り上げてしまった。
冷静に考えれば、してはいけない事だとすぐに分かるはずなのに、この時の僕にはそんな余裕も無く、ただいつもの明るい彼女とは違う弱い一面を目の当たりにして、二人の為だとこれまで必死に隠してきた想いをついに曝け出してしまったのだ。
「……護くん、苦しいよ…。君の気持ちは解ったから……もう、離して……。」
「…嫌だよ。…ここで離したら、君はきっとこのまま僕の前から消えてしまう…。そんなのは嫌です。…僕自身、みわ子さんと匠との間に男女の関係が成立していた事は、薄々ながら感じ取っていました。僕はそんな二人を友人の一人として、将来までずっと見届けられるはずだと…そう思っていました。…そんな時、匠から君にこの贈り物が渡された。…その瞬間、もうこれ以上の我慢は出来ない…そう、悟りました。…みわ子さんにとってはただの友人が勝手に横恋慕をしているだけの、単なる迷惑行為かも知れない。……許してください」
――それは、全ての覚悟を決めた、僕自身の最初で最後の賭けみたいなものだった。――
「……みわ子さん。……僕は君の事が好きなんです。友人としてでは無く、一人の女性として。……出来る事なら今すぐにでも僕一人だけのものにしたい。……察しの良い君の事だから…こんな僕の気持ちだって何となく分かっていたんでしょう…?」
僕はみわ子さんに対する自分の気持ちが本気であることの証拠に、その懐の中へ彼女の身体を引き寄せ、そして強く抱きしめた。
それは、これまで言いたくても言えなかった、僕自身の彼女に対する本当の気持ちの全てだった。…だがしかし、そんな僕の本気の告白に対する彼女からの答えもまた……僕の想像通りだった。
「……分かってたわよ。…最近の護くん、いつもの冷静さが全然無かったもの……。でもね、申し訳ないけど、護くんの気持ちには応えられない……。あたしは既に匠くんだけのものになってしまったんだもの」
「……だからこそ、なんです。確かに君は、匠からの贈り物を受け取った。…とは言え、今はまだ将来に向けての約束をしたという事実が出来ただけ。……今はまだ、君を僕のものにするチャンスが失われた訳じゃ無いんだって……そう思っては駄目なんですか?」
「護くん。……大失態を曝しておいて、そんなあたしが言うのも何だけど…今日は何か変よ?護くんこそ酔ってるんじゃないの?」
「僕は至って普通です。…僕がいくら飲んでも酔わない体質だって知ってるでしょう?……それとも……こんな醜い僕のことを、君は軽蔑しますか?」
「……それは……。ごめん、出来ない。……だって、そうやって真剣に告白しちゃうくらい、本気だって事なんだもんね……?」
「……はい。申し訳ないのですが」
こういう真剣な話の時につい敬語になってしまうのは、僕の昔からの悪い癖だ。
『親しき仲にも礼儀あり』。それは、この世に僕が生まれた時からずっと教えられてきた、両親からの言葉だった。本当の事を言おうと思えば思うほど、他人行儀のような対応でつい距離を置いてしまいがちになってしまう僕の、何とも言えない部分であった。
「……護くん。もしあたしがここで良いよって言ったら、どうする……?」
「…え。…それは、どういう…?」
「だってさ、それだけ君のあたしへ対する気持ちが本気だってことでしょ?」
「それは……確かにそうです。…でも…。」
「あたしには匠くんとの約束があるから、自分の中に抱えてきた気持ちをどこにぶつけたら良いのか分からなくなっちゃった。……そういう事なのよね?」
「……みわ子さん……。」
「…もう良いよ。そんなに無理しなくても」
「え、それは…?…許してくれる…って事、なんですか?」
「……許す、許さないの前にまず…その堅苦しい話し方を止めなさい。これじゃまるであたしが護くんを問い詰めてるみたいな気持ちになってくるわ」
「あ…、ごめん……。」
「ね。だから…。」
今度は、みわ子さんの方から僕の手の甲にキスを返された。
しかも一度だけではなく…二度、三度と、僕への敬意を示すような……優しい気持ちで。
「……みわ子さん…?」
「あたしもね。君への想いが無かった訳じゃ無いのよ?……匠くんはあの通りの自由気ままな性格でしょう。…あたし以外に付き合ってた女の子や男の子なんて、何人居るか分かったもんじゃないわ」
「女の子や、男の子…?それはどういう…?」
「あーアイツね、バイなの。アイツの恋愛対象に男女はあまり関係なくて、自分が好きになった人間なら性別はどっちでも良いんだ。…だから過去に付き合ってた女の子はもちろん、男の子とでも平気で愛し合えちゃうわけ。当然ながら、身体の関係もね」
「そんな感じ、どこにも…。」
「見えなかったでしょ?…だってアイツ、人を騙すのとかめっちゃ上手いしね」
「じゃあ、それが分かってて……?」
「そうよ。……まあ、ここ最近はずっとあたしだけにその感情を注いでたみたいだけど。…とは言え、そんなアイツの実態を知ってたから、あたしも気が気じゃ無かったわ。それでいて、さっきのアレ。……それを匠くんの本気だと捉えるには、悪いけど疑問が残るわ」
「ああ、それは確かに…。」
「それに……ご無沙汰でもあるしね……。」
「…ご無沙汰って……?」
「……もう、少しは察しなさいよ。……分からない年齢でも無いでしょ?」
「……あ、そういう事か……。」
「恐らく、自分の目先の事だけに追われてたんだろうって事は何となく想像も付くけど、あたしだってもう年齢が年齢な訳だし、例えば今後、本当に結婚は出来たとしても、子供を作れるかどうかってのも不安が残るし…。」
「…そっか。みわ子さん、子供が欲しいんだ」
「そりゃそうよ。女性なら誰だって一度くらいは経験してみたいもの」
「…そういうもの?」
「まあ、少なくともあたしはそう考えてるってこと。…なのにアイツ、全然相手してくれなかったの。だからもうイライラしちゃって……。」
「え…!?……男がついついそういう事をしたくなる時がある、ってのは聞いた事あるけど……女性でも、そういう時ってあるんだ……?」
「…と、思うわよ。男性が所謂『大人の風俗店』みたいな場所に行って、自分自身を満たしたくなる時があるのと同じように、女性の中にもそういう気分になる時ってのはあるんじゃないかしら」
「そういう時って、どうしてる?」
「多分、護くんが考えてる事と同じだと思うわよ。そういう人間の芯の部分というか、生物学的な観点から考えれば、自分の子孫を残す為の根幹の部分は……男性でも女性でも変わらないのね。多分、だけど」
そんなみわ子さんの哲学のような話を、最初はただ何となく聞いていた。
その言葉自体は一見とても綺麗なものなんだけれども、実はその言葉の裏には彼女自身の焦りや不安のようなものが見え隠れしているのでは無いか?と感じて、これはもしかしたら僕に助けを求めているのかも知れないと勝手に解釈して、自分の中に芽生えていた醜い想いを再び晒すことになってしまった。
「……みわ子さん…っ!」
「え、何?……っ……ん、んー…っ!?」
僕は再びみわ子さんの身体を抱き寄せ……彼女の唇を奪いながら、そのままの勢いで押し倒すような恰好になってしまった。
「……君の中にあるその心の空洞を、僕が埋めたら駄目なのか?」
「……っ…ちょっと!!…いきなり何す……っ!?……っううっ……!」
僕の身体の下で、必死に抵抗を試みる彼女のその姿は、まさに僕に対する恐怖そのもの、だっただろう。
だが僕自身、お互いに心を通わせた関係なのに全然自分の相手をしてくれない、と嘆く彼女の苦しみや悲しみを味わわせている殿崎の態度が許せなくなっていた事も、また事実だった。
ならばそんな彼女の心の空洞を埋められるのは、長く彼女への想いを募らせてきたこの僕しか居ない。……当時の僕は、そう思っていた。
「みわ子さん。…僕への想いが無かった訳じゃ無いって、さっきそう言ったよね」
「でも、それとこれとは意味が違うの!!…護くんあなた、今自分があたしにやってる事がどういうことなのか解ってるの!!??」
「…もちろん。だって子供、欲しいんでしょう?…例え、匠との間には出来なかったとしても、僕との間には出来るかも知れない。…それがみわ子さんの願いなら、僕は本気で君の願いを叶えられるだけの事はするよ?」
「……いい加減にしなさいっ!!」
ピシャリ、という軽快な音が、僕の頬を直撃した。
みわ子さんが僕の身体を押し退け、そのままの勢いで思いきり平手打ちを喰らわされたのだ。
「……少しは冷静になりなさい。あなたらしくもない」
「……ごめん。つい……。」
「…でも、良いわよ。……どうせもう限界なんでしょう。……こんなにパンパンに膨らませちゃってさ」
「……う…っ…」
そう言って、みわ子さんは僕の最も恥ずかしい所を指し示してくる。
そして更に意地の悪い事をして、これまでポーカーフェイスを決め込んでいたはずの僕の余裕を一瞬にして奪い去ってしまった。
さっきまでの不同意性交のようなやり取りの中で、不覚にも僕は彼女に対しての欲求を大きく募らせてしまっていたのだ。
「…先に言っとくけど、あたしがあなたとの行為をを許すのは……今回だけよ?」
「…みわ子さん……。」
「本当に今回だけ、だからね?…でもこれで本当に子供が出来ちゃったらあなた、匠くんに一生恨まれるわよ。…その事だけは、ちゃんと覚悟しときなさいよね?」
ーーそして、僕とみわ子さんのたった一夜だけの蜜月は終わった。
だが、あれ程までにみわ子さんに念押しをされていたはずなのに、自身の欲求に耐えられなかった僕の根幹は、彼女が恐れていた最悪の事態を免れる事は出来なかったーー。
ーー僕の中に眠っていたはずの静かな炎が、全て燃えだした瞬間だったーー。
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