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ー since. 21th Century. ー

  ――みわ子さんと僕のたった一夜の蜜月から更に時は過ぎ、紫陽花が美しく咲き乱れる季節を迎えた頃のこと。  僕と殿崎は、買い物がてらに2人で街へと足を運んでいた。 だがしかし、僕の心の中はまるで砂嵐のように荒れ狂い、そして針の筵の上を歩くような気分のまま、彼の隣を歩いていた。  そんな状態のままでも……僕はどうしても、彼に伝えなければならない事があった――。 「……護。…俺に大事な話ってのは……?」 「……ごめん、実は……。今、みわ子さんのお腹の中には……子供が居る。」 「……!!??……それは……。どういう事なのか、説明してくれ」 「このところ、みわ子さんの体調不良が続いている事は匠も知ってるよな?……彼女が言うには、あれはもしかしたら悪阻なんじゃないかって言うんだ。……で、産婦人科で診てもらったらしい。……それで、届いた結果が…」 「……ビンゴだったって訳だ」 「……ああ。…ちなみにその子供の父親は、僕だ。…体調不良が始まった時期から逆算して調べてもらった。……だから間違いない」 「……ちなみに今、何週目なんだ?」 「もうそろそろ12週になるらしい。……恐らく、中絶手術はほぼ不可能になる。だから、彼女にはこのまま無事に産んでもらうしか……解決策が無い」 「まあ、そうだろうな…。」 「みわ子さんには釘を刺されてた。それは確かだ。…もちろん二人の関係を忘れてた訳じゃ無いけど…それでも、僕のひと時の過ちのせいでこんな事になってしまって……。匠には、本当に申し訳ない事をしたと思ってる…。」 「けど、みわ子もまんざらでも無かったんだろ?」 「……それは……。」 「まあ…俺が自分の事に追われていて、あいつの事をちゃんと見てやらなかったから、こういう事態も起きてしまったんだろうしな。……けどお前、意外にやるな?」 「馬鹿な事言ってるんじゃないよ。……僕は今でも反省してる。何であんな事してしまったんだろうって」 「…それで、これからどうするつもりだ?」 「…もう少し彼女の体調が落ち着いて、今の仕事に支障が無くなる程度までになれば……二人で役所に行って来ようと思う」 「…そうだな。……それが正しい選択だ」 「……ねえ、匠。君の本音はどうなの?…みわ子さんの妊娠が発覚して、しかもその相手が僕だと解って……結果、僕が君から彼女を奪った形になってしまったのに……。」  僕はこの事態が発覚するまでずっと気に病んでいた事を殿崎本人に聞いた。 みわ子さんには『一生恨まれる』と言われていたけれど……かと言って、殿崎にしてみれば この現実をどう受け止めるべきなのか、迷う所もあるんじゃないかと思っていた。  ――しかし、そんな彼から返ってきたのは、あまりにも意外すぎる答えだった。 「悔しいかどうかって事か?…それなら答えは『yes』だ。当然だろ?…将来の約束までしていたはずの女を、目の前の親友に寝取られてしかも子供まで孕ませられたんだ。…悔しい気持ちが無いかと言えば、それは嘘になる。……とは言え、事実を認めない訳にはいかないからな。…生まれてくる子供に罪は無い。だったら過ぎた事をグダグダと振り返るよりも、未来を見届けてやった方が良いに決まってるだろ?」 「……匠。僕は君のそのポジティブ思考がとても羨ましいよ」 「……そんなに落ち込むなって。イレギュラーとは言っても、俺はみわ子の子供の父親がお前で良かったと思ってるんだぜ?俺はしばらく会えなくなるけど、それまで無事に育てておけよ?……楽しみに待ってるからな」 「…分かった。約束する」 「よーし。それじゃ、行くか」  そう言った殿崎が指さしたのは、僕たちの仕事で最も重要なアイテムである理美容道具を専門的に取り扱う卸問屋だった。  実のところ、こういう道具はわざわざ自分たちから出向かなくても店舗に定期的に回ってくる専門の業者から買い付けをしようと思えば出来るはずなのだけれど、どうしても、という彼の願いを聞いて、みわ子さんの事を心配しつつも二人で出かける事になったのだ。   「でも何でわざわざこんな所まで?…道具なら、店舗に回ってくる業者から直接買い付ければいいのに」 「…よし、これだな」 「ねえ、聞いてる?」 「ほら、護。これをお前にくれてやる」 「…は?僕は別に今使っている道具だけで、特に不自由はしてないけど…」 「今じゃねぇよ?……俺に何かあった時の為のお守りみたいなもんだ」 「いや、ちょっと待って。……言ってる意味が良く分からないんだけど?」 「そうか?……じゃあ簡単に説明してやる。この鋏は、俺が今の仕事を続けられなくなった時の為の形見にするつもりだ」 「形見って……。」 「いや。今はまだ辞めねぇよ?……けど、俺達だって歳を取ればいつかはそういう時が来る。その時、俺がお前に何かを遺してやりたいと思ったから、わざわざ足を延ばしてきたんだぜ」 「…匠。君は未来を見るのが早すぎる。そんな事、あるはずないだろう?」 「さあ、それはどうかね。なにせ最近は日本も何かと物騒な感じになってきたからなぁ。ついこの前、アメリカでデカい事件があっただろ?……ああいう事がまたいつどこで起きるかも分からないこのご時世に、今から備えておくのも悪くないと思うぜ」 「それはそうかも知れないけど…。」 「ま、ただの冗談だと思っててくれて構わねぇけど…とりあえず買っておくよ。…で、俺が本当にダメになった時には、このシザーはお前への餞別にするからな?」  最初はただの冗談だと思っていたけれど、その後に続けられた言葉が僕の心の奥でグサリ、と刺さって拭いきれなくなった。 『……護。お前は俺の一番の親友だから言うんだぜ。…今後、もし俺に何かあったとしても、お前だけは、絶対に忘れないでくれ。……俺の事を。俺が生きていた、というその証しを。』  ーー何故あの時、殿崎は唐突にそんな言葉を言い出したのか。 当時の僕は、その真意を全く理解できなかったが、実際に歳を取り……そして今――。  世界を揺るがす大きなパンデミックを乗り越え、身近な存在を一瞬で失う怖さを知ったこの時期になって、あの頃の言葉に隠された殿崎の本心を知り……今更ながら、理解できなかった当時の自分に後悔したのだった。  

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