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第5話 演技という変身

 え……じゅ……ジュ……淳吾……!?  金曜日の晩に咲太を抱いた男、淳吾が変身していた男がそこに立っていた。自動ドアの方から射す光で淳吾の瞳が光った。  ここに来るのは従兄のはずじゃ……。え、まさか正真正銘の従兄? え、でも変身したの目の前で見たし、うん見た見た。咲太は混乱し始めた。それに服装がこの体格に合っているものを着ている。淳吾はこの変身した姿では外を出歩かないはずなのに。 「あっ、やっぱそうだ、あのぉ、井村淳吾の従兄さんですよね?」  奈江が尋ねた。 「どうも、こんちは。そうです」 「よかった、私高橋です。じゃ、これ」  奈江は書類の入った封筒を渡した。 「淳吾に渡しておきます」  淳吾はそう言って咲太の方にちらっと目をやった。一瞬だったけれど淳吾の口がにやっと動いた気がした。やっぱり淳吾なのだ。だとして何のためにこんな真似を。 「あのー、お名前は?」  首を少し傾げた結有が突然口を開いた。 「俺っすか? あ、井村です」 「従兄さんだからそうでしょうけど、下のお名前なんかも聞いていいですか?」 「えっと、あ、け、圭吾です、井村圭吾」 「なんか淳吾と双子っぽいお名前なんですね」 「あ、うん、淳吾とは同じ月に生まれたから親たちが同じような名前にしようみたいなノリになったらしいです」  淳吾は頭を掻いた。違う人間の振りをしようと思った割には名前を用意してなかったと見える。淳吾らしい。  結有は目を細めた。咲太はタイプの男性が目の前に立っているせいで中身が淳吾で一回抱かれていたとしても少し緊張した。結有の好みのタイプは淳吾の元の姿のカッコ可愛い系の男性なのだ。だからこんなに平気な感じでいられるのかもしれない。 「よっ、咲太、お久」 「っ……!?」  よりによって淳吾は咲太に話しかけてきた。これで従兄なんかではなく、金曜日の晩の淳吾だと確信ができたが、この後の処理を考えるとめまいがしそうだった。 「咲太、知り合いだったの?」  予想通り結有の詰問が始まった。 「う、うん、そうだよ」 「さっき教室でなんで言わなかったの?」 「あ、だって、その圭吾君かどうか分からなかったっていうか? 従兄って他にもいるらしいから」 「ふーん」  結有は咲太に対しても目を細めた。 「淳吾通して仲良くなってさ、数カ月前くらいから三人で時々遊んでたし、なっ」  淳吾は一応の助け舟を出してくれた。 「え、うぅん、そぅだねぇ」  咲太はそう答えて目を泳がせた。結有が何か言いかけると奈江が遮った。 「じゃあさ、みんなでお茶行きませんか? ところで淳吾はどうしたんだろ? 休むとか結構珍しいですよね?」 「淳吾は親戚の用事で呼ばれて。大事な課題だから代わりに行ってくれって頼まれたので」 「タッチってああ見えて、課題出す量がドSだからね」  奈江の言葉にみんなで笑った。  カフェを探すのに奈江と結有がスマホを一緒に見ながら前を並んで歩き始めた。咲太は横にいる淳吾を見上げ言葉を出さずに口だけで「なんで」と問いかけた。淳吾は「あとで」と口の動きだけで答えた。  その時、結有がさっと振り返った。 「今二人でこそこそなんかしゃべってた?」 「うぅうぅん、なぁんにもぉ、なんでぇ」 「なんか息遣いみたいなのが聞こえたから」 「またまた結有はいつもそれだから。僕たち知り合いなんだからしゃべるときは普通にしゃべるよぉ」 「まあ、そうだけ、ど」  結有はぷいっと前に向き直した。咲太が淳吾を見上げて睨むと、淳吾は明後日の方向に顔を向けた。  カフェを出る頃には、淳吾は圭吾の姿のままで結有と奈江とも仲良くなっていた。咲太も必死に話を合わせ、何とか結有の視線や詰問も潜り抜けることができた。  結有と奈江はアルバイトがあるということでカフェの前で別れ、咲太と淳吾は駅に向かって歩き始めた。 「どういうこと」 「こういうこと」 「は?」 「だから、俺のこの圭吾の姿であの二人と仲良くなっておけば、これから咲太が圭吾と一緒にいるところを見られても自然でいられるでしょってこと」 「……どういう、こと、えっ? まさか」 「そういうこと」 「元の姿に戻らなくなったってことじゃないよね?」 「ちげーよ、大丈夫だよ」 「じゃ、やっぱりどういうこと?」 「そういうとこほんと鈍感だよなサクは。サクのタイプの男の姿でサクと一緒に時間を過ごしてやりたいってこと!」 「え……なっ、いっ」 「まあまあまあ」 「ちょっと待ってよ、ジュン」 「今は圭吾っ、ケイでもいいけど」 「そういう問題じゃないからっ」 「別にいいじゃん、俺が好きでやってることだし?」  咲太は反論することができず黙った後、話題を変えた。 「体格にぴったりの服いつの間に」 「昨日」 「だから用事あるって言ってたの?」 「まあね、そんで今日のタッチの授業はどうだった?」  淳吾は進行方向を向きながら聞いてきた。 「どうって?」 「だからその、いろんな意味で」 「いろんなって……いつも通りだった」 「タッチはされたの?」  淳吾は今度は咲太に真剣な眼差しを向けてきた。 「されてない。結有と同じこと言うねジュンも、それやめてくんない」 「だからケイだっつうの。ジュンって呼んでて結有とかが急に現れたらそれこそサクも困るだろ?」 「……まあね、確かに」 「タッチにタッチされたら教えろよ」 「なんで?」 「俺がしないように言ってやるから」 「ケイの姿で?」 「そん時はジュンで」 「ややこしいわ」 「いいから」 「どっちにしろタッチが僕に興味あるなんて勘違いしすぎだってみんな。ほとんどの男がノンケなんだし、こっちでもタイプそれぞれだし、どんだけ可能性低いと思ってんの」  咲太の怒りを含んだ言葉を聞いているのか聞いていないのか、駅の改札が見える場所まで来ると淳吾は両手をポケットを入れておどけた感じで顔だけをこちらに向けた。 「じゃタッチの授業次から取るのやめる?」 「ええ、なんでそうなるの。タッチは簿記の先生の中では一番分かりやすいし、僕は簿記が苦手なの知ってるでしょ。タッチの教え方が一番しっくりくるんだよね。他の先生じゃ理解できなかったこともタッチで初めて理解できたしさ。クラスまで替えるなんておかしいよ。僕はこれからも簿記はタッチがいい」  その時、咲太の左肩に温かいものが乗った。 「誰がタッチだって?」  左後からふいに声が聞こえ振り返った。すると講師の立中伸樹が薄い笑みを浮かべて立っていた。 「た、立中先生……っ」 「藤野、俺の授業を気に入ってくれてるみたいで嬉しいな」 「え、いや、あの、その……」  咲太がもじもじしていると肩から大きな手が離れ、立中は淳吾の方へ視線を移した。 「こちらお友達?」 「え、あ、はい」 「井村圭吾と言います。井村淳吾の従兄です」 「ああ井村君って確か別校舎から飛び入り参加した……従兄さん。初めまして、講師の立中です。そう言えば今日井村君欠席してたね。あ、もしかしてその封筒は今日の課題かな?」 「そうです。代わりに届けますので」 「そりゃどうも。そうだ、ちょうど良かった。藤野、明日の昼休みに職員室まで来てくれないか?」 「え、あ、はい、でもなんでですか?」 「うん、この間の課題で気になったところがあったから。ちょっと理解してもらってないかなと思ってさ」 「ああ、すみません。社債償還のところですよね。未だによく理解できてなくて」 「うん、まあ、そうだな、じゃよろしく」 「はい、お疲れ様です」 「おう。じゃ井村君にもよろしくお伝え下さい、では」  立中は淳吾に軽くお辞儀をした。 「……はい」  淳吾は急に暗い顔になって頭を少し下げた。  立中の姿が駅の改札の雑踏に紛れると、淳吾は咲太の前に立ち塞がった。 「行くの?」 「何が?」 「明日タッチのとこに」 「うん、だって、呼ばれたんだし」  咲太はそう言って歩き始め、先に改札を通った。後ろから来た淳吾が階段の前でまた咲太の前に回った。 「やめろって言ったら?」 「もうなんでよ、そんなこと言わないでよ。みんなが考えてるようなことないからっ」  淳吾は前に向き直ってため息をついた。 「なにそのため息。なんか僕が悪いみたいじゃん」 「別に。俺もバイトあっから、じゃここで」  淳吾はそう言って大きな背中を見せたまま片手を上げ、咲太の行く先とは逆方向のホームの階段を二段飛ばしで上って行った。

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