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第6話 正直、困ります
職員室のドアを開けた途端に、こちらを向いた立中と目が合った。咲太が軽く会釈をして入ろうとすると、立中は「向こうで」と言いたげに、小会議室の方向に指を向けた。
廊下で待っていると立中がファイルとビニール袋を手にしてすぐに出てきた。
「悪いな昼に。授業が詰まってて時間取れなくて。別の校舎にも行くこと増えてさ」
「あ、いえ、大丈夫です」
「その代わりといってはなんだけど、コンビニのサンドイッチとナゲットと野菜ジュースおごるから」
立中はそう言ってビニール袋を掲げて見せた。咲太は一応笑顔でお礼を言った。
十席程の会議室の窓のすぐ外には生い茂る緑が迫っていて涼しさを感じた。
「まずは食おう」
立中の言葉に応えるように隣り合って世間話をしながらランチを食べた。そうして立中がおもむろにファイルを机の上に置き、咲太の間違っていた箇所を指摘し始めた。
よく聞くと、根本的な理解をしていなかったわけではなく勘違いだったことが分かった。昼休みにわざわざ呼び出してまで教えてくれるようなことでもないような気がしたが、これは立中の親切心なのだと咲太は自分に言い聞かせた。
「立中先生、わざわざありがとうございました。よく理解できました。次からは間違わないようにします」
咲太はそう言って頭を下げた。ランチのゴミを片付けようとすると、
「俺が捨てるからいいよ」
と言われたが、
「僕がやります。ごちそうになりましたし」
と言って微笑んだ。すると立中の顔がなぜか強張った気がしたが、咲太は深く考えないようにしてビニール袋に全て詰め込んだ。
「じゃ、僕これ捨てて戻りますね」
咲太が立ち上がろうとすると、
「あ、そうだ、藤野、もうちょっとだけいいか?」
立中は咲太の方ではなく、宙を見ながらそう言った。
「え、はい、まだ時間はありますけど」
咲太は座り直した。立中はそろっと自分のスマホをポケットから取り出し操作すると、黙ったまま画面を咲太に向けてきた。
「……」
咲太は息が止まったように言葉も止まった。画面に映っていたのはゲイ向けSNSの自分が書いた恋人募集の掲示板だった。
咲太は恐る恐る立中の顔を見た。立中の表情は真剣だった。何が言いたいのか真意が推し量れずにいると、立中はスマホを机の上に置き、静かに咲太の方を向いた。
「正直に言う。俺もこっちなんだ」
「……っ……?!」
「これ見たときはびっくりしたけど、それで……その、俺はお前のことタイプなんだ。まだ募集中なら俺にもチャンスくれないか?」
「えっ、や、っていうか、その」
「驚くのも無理ないよな」
「はあ、まあ、だって、あの」
「俺みたいな年上は、嫌か?」
「そ、そういうことじゃなくてっ、ですね」
「言いたいことは分かってるよ。同じ学校の中で、講師と生徒が、だろ?」
「は、はい……いやっ、ていうか」
咲太は恥ずかしさと困惑で俯いてしまった。
「俺さ、別の学校に移ってもいいと思ってる。別の専門学校でも募集いろいろあるしさ」
咲太は慌てて顔を上げた。
「ちょっと待って下さい、先生。なんで先生がそこまでするんですか? 僕は、」
「こう見えても俺、真剣なんだよ」
立中は咲太の言葉を遮って一気に言い切った。咲太は視線を逸らして黙った。
「藤野のこと最初に見た日から可愛いなってずっと思ってた。でもノンケだったらこっちが想っても意味ないし、こっちでも俺に興味なかったら意味ないしってずっと考えてた。だけどこの掲示板見て気が変わった。こんなこと自分で言うのはおかしいけど、俺は藤野の好きなタイプの範疇に入ってるような気がした。だから諦めることできなくなった。こう見えても学生時代は野球一筋だったから筋肉だってまだあるし、それに、」
「やめて下さいっ」
咲太は思わず強い口調になった。
「藤野……?」
「あれは理想のタイプを言っただけでそこまで筋肉にこだわってるわけじゃありませんっ」
「ご、ごめん、そういう意味じゃないんだ、ごめんな」
立中は咲太の左肩に手を置いた。優しくそっと添えられた大きな手の温もりが咲太の肩に沁み込んだ。
握るわけでもさするわけでもない手の心地よい重さが咲太の胸を高鳴らせた。
「どうした? そんなぼーっとして」
立中が咲太の顔を覗き込んだ。いえ別に、と言おうとしているのに瞼と唇がすぐには動いてくれない。
「……な、なんでも、ないです」
「藤野、今晩良かったら俺んちに遊びに来ないか?」
「え……それは、ちょっと」
「な、来いよ、飼ってる豆柴見せたいんだ」
そのとき、ドアが勢いよく開けられた。そこに立っていたのは淳吾だった。元の姿の淳吾が険しい顔をしてこちらを睨んでいた。
「井村君、ど、どうした?」
立中はそう言って咲太の肩から手を離した。
「校舎内でナンパすか、タッチ先生」
「いや……そういう、わけでは」
咲太は何も言えず二人を見つめるしかできなくなった。淳吾は急に咲太の肩を組んできた。
「俺たち、付き合ってるんすよ、な、咲太」
「えっ、いや、ちょっと、なっ」
「だからタッチ先生の入る隙はございません」
「井村君、藤野は否定してるみたいだけど」
「そんなことないっす、だって俺たちエッチした仲なんで」
「淳吾っ!」
咲太は淳吾の手を払いのけて立ち上がった。
「だって本当のことじゃん」
「淳吾、やめてそれ、マジで怒るよ」
それでも何か言おうとする淳吾の口を咲太は必死に手で塞ごうとした。淳吾は何がおかしいのか口を塞がれたまま笑い始めた。
立中の咳払いが聞こえ、咲太は手を離した。淳吾は勝ち誇ったような表情で口を開いた。
「こういうことなんで俺の咲太には手を出さないで下さいね。タッチ好きのタッチ先生」
「ちょっと待ってくれ」
立中も立ち上がった。鋭い目つきで続けた。
「本当はこんなこと言いたくないが、藤野のタイプは長身で男っぽい奴なんだよ。井村君は長身じゃないし決して男っぽくはない。あ、失礼、でも言わせてもらう。どちかというと可愛い系じゃないか。藤野の動揺から見ても本当は付き合ってなんかないんだろ?」
「っるせぇ! 付き合ってんだよ!」
淳吾は怒鳴りながら立中の胸倉を掴んだ。淳吾の必死さとは裏腹にまるで子供が大人にじゃれついているように見える。立中は余裕の表情で淳吾を見下ろし、口元に笑みを浮かべた。
「分かったからとりあえずその手を離せよ」
淳吾は上目遣いで睨みながら手を離そうとしなかった。すると立中が淳吾の手を握りゆっくりと引きはがしていった。淳吾は力んで震えながら声を絞った。
「力や背丈ではお前に負けてるかもしんないけど、咲太への気持ちだけは絶対にお前には負けてなんかない。それだけは覚えておけよ。咲太は俺のもんだからな」
立中は盛大なため息を吐いた。
「めんどくさいな、お前。俺だって藤野がタイプなんだよ。それだけは誰にも否定できないし、そう簡単に諦められることじゃない。俺だって真剣なんだよ」
「だったらなんで急に家に誘うんだよ。単にやりたいだけだろ? 背が高くてモテるんだろうから他の奴探せよ! ロリってんじゃねえよ、このエロタッチ野郎がよ!」
「な、なんだとっ、このチビ野郎!」
淳吾の目の色が変わったのが分かったので咲太は息を吸い込んで叫んだ。
「もうやめてっ!」
淳吾と立中の動きが止まった。ドアが開きっぱなしだったので咲太の叫び声に反応して生徒や講師が数人集まってきた。
「何でもありませんから大丈夫です」
と立中がドアを閉めてばつが悪そうに振り返った。
「……すまない、年甲斐もなく」
「……俺も、目上の人にすみませんでした」
「二人とも、お願いだからそういうこと言うのはもうやめてね。ちっとも嬉しくないし、僕が原因なら僕は違う校舎に籍を替えます」
「ちょっ、待てよ、サク」
「藤野がそこまでしなくていいよ」
「だったら、もうこういうことはしないって約束して下さい。二人ともっ」
「わぁったって」
「分かった、約束する」
咲太は荷物とゴミの入ったビニール袋を手に取った。
「僕はこれで失礼します」
軽く頭を下げてから会議室を出た。淳吾が弾けるようにすぐに付いて来た。数人の好奇な目線をよそに咲太は早歩きで廊下を抜けた。
「サク待てって、悪かったって、なぁ」
淳吾は咲太の肩を掴んだが、咲太はそれを肩だけで振りほどいた。
「ごめんって、マジで、ちょマジでっ」
咲太は自分でも怒りを抑えることができなかった。階段の前で急に立ち止まった。同時に立ち止まって驚く淳吾の方を向いた。
「最低」
と言い放って淳吾にビニール袋を押し付けた。それを受け取ってぽかんとしている淳吾を後目に階段を駆け下りた。背中に「おい!」という声が届いたが、言葉も淳吾も置き去りにした。
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