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第7話 勘違い

 その夜、咲太はスーパーで買った半額の惣菜と冷凍ご飯を電子レンジで解凍して食べ、ため息をひとつこぼしてから洗い物をしようと立ち上がったときインターホンが鳴った。  嫌な予感とともにドアに向かって返事をした。 「はい」 「俺」 「どなたですか?」 「俺だって」 「俺じゃ分かりません」 「はいはい、もう、淳吾ですっ」 「……なに」 「……ごめん」 「……」  咲太はまたため息が出た。でもさっきとは違う種類のため息のような気がした。 「腹減ったから開けて」 「意味分かりません」 「一緒に食おうぜ」 「もう食べた」 「じゃここ開けてよ」 「だから意味分からないってば」 「怒んなって、ごめんって、マジで」 「今日は帰って」 「無理。こうなったら絶対に帰んない。ここ座ってやるから」  ドアの前にずっと座られると近所に迷惑だし、大家さんに通報されても面倒くさい。咲太はまたため息をついてそろっとドアを開けた。淳吾がドアの横の壁に背をつけ三角座りをして、半分怒ったような半分笑っているような顔でこちらを見上げていた。 「もう」  咲太は唸るように言ってから顎で入るように指示をした。淳吾は急に笑顔になって飛び上がった。  淳吾はコンビニの袋からピザや菓子パンやジュースを取り出して、プリンを二つ差し出してきた。 「いらない」 「冷蔵庫に入れておいていただけますか」 「もう」  咲太はしぶしぶ言う通りにした。 「それ食べたら帰ってよ」 「さあねえ」 「淳吾」 「怒んなって、頼むから。今日疲れたし泊めて、お願い」 「お断りします」 「サクちゃん、お願いっ」 「いやっ」 「じゃドアの前で寝てやるから」 「それズルいんだけど」  淳吾は高笑いをしてから続けた。 「そのプリン食べさせあいっこしようね」 「しないよ、馬鹿じゃないの」  咲太は冷蔵庫のドアを無造作に閉めた。  しばらくして腹も満たされたようで肩ひじをついてテレビを観てくつろぐ淳吾を見ていると、咲太の気持ちの中から怒りの感情がだんだん薄らいでいった。  まあ確かに今日は一応助けに来てくれたんだよね。生徒に手を出そうとする講師に鉄槌を下したってことになるんだよね。でもなんか複雑。  咲太は淳吾の前を横切りベランダに出て洗濯物を取り入れた。背後でドタドタと音がして振り返ると、淳吾がお風呂の前で服を勢いよく脱いで素っ裸になったところだった。 「……えっ……なっ」  淳吾はいたずら少年のような顔をしてお風呂に入って行った。 「淳吾、何してんの!」  咲太は駆けて風呂場まで行き、ドア越しに怒鳴った。 「淳吾! どういうつもりなの?」 「エッチ、見ないで~」  くぐもった声とともにシャワーの音が聞こえた。やばい……。変身しちゃったらどうしよう。うろうろしていたらまたインターホンが鳴った。 「っ……!」  悪いことをしているわけではないのに怯える自分が嫌になる。気を取り直して考えようとすると、再びインターホンが鳴った。郵便や宅配ではないとすれば誰だろう。  ドアに近づくと声がした。 「咲太? 僕、結有。いる?」 「えっ……結有」  結有がここへ来るなんて久しぶりで、滅多に来ない。ちょっと待てよ。淳吾はもうお風呂の中で「圭吾」に変身しているかもしれない。圭吾が咲太の家でシャワーを浴びているという事実は結有の目にはどう映るだろう。  結有は井村淳吾にお熱であって圭吾を好きということではない。シャワーを浴びているのが淳吾だと分かると嫉妬して何を言われるか分からないが、圭吾であれば結有は逆に安心するのではないか。というか男友達が男友達の家でシャワー浴びるくらい普通か……。 「咲太っ、いるんでしょ?」 「あ、あっ、ごめん、結有?」  咲太は今気付いたとばかりにドアノブに手をかけた。ふと下を見ると淳吾の靴があったのでさっと靴箱に入れた。  ドアをそっと開けると結有が少し困惑した面持ちで立っていた。 「ごめんごめん、奥でイヤホンしてたから」 「あ、うん、こっちこそ突然ごめんね」  結有にしては珍しく弱気な感じだった。 「いいけど、どうかした?」  結有は何かに気付いたように部屋の奥に視線を移した。咲太はドアを隙間を狭くした。 「友達とか……来てた?」 「え、な、んで」 「シャワーの音」 「あ、う、うん、まあ」  次の瞬間、結有は足元に視線を走らせた。結有のことだから靴を確認したのだ。靴箱に入れておいたのでほっとした。 「井村君、じゃ、なくて?」 「ううぅん、ちがう、別の友達ぃ」 「そっか、ならごめんね」 「いいけど、要件は? ごめんね、入ってもらえなさそうだから」 「……うん、今日さ、タッチと井村君が専門でもめたって聞いたんだけど、なんでなのかなって気になってさ……」  何となくそんな気がしていた。 「あ、うん、そうなんだよね。でも淳吾の方はその後も元気だったから心配ないと思う。タッチの方はちゃんとは知らないけど」 「そうなんだ。あのさ、咲太が原因だったってほんと?」 「うーん、どうかな、僕になるのかな」 「なんで咲太が原因で井村君とタッチが言い争いになるの?」  咲太はため息が出そうになるのをぐっと堪えた。どう説明すれば結有は納得してくれるんだろう。咲太としても淳吾に割って入って欲しかったわけではない。タッチに交際を迫られたことも嬉しかったわけではない。  ただ、淳吾のことが好きな結有の気持ちを傷つけるのが嫌で、後々意地悪いことをされるのも嫌だった。 「そうだなぁ、どう言えば、その、たまたま通りかかった淳吾がなんか勘違いしちゃって、あんな性格だからタッチの上から目線の言い方にカチンときただけって感じなんだよね。だから僕が原因っていうわけじゃない」  結有は視線を落とした。何かを考えているような顔つきのまま口を開いた。 「あんな性格……、咲太は井村君のことよく知ってるんだね。僕は井村君が先生に食って掛かるような性格だとは思ってなかった」  そっちに行かれるとまた話が複雑になってしまうのに。なんで。淳吾のせいだ。結有との友情は壊したくない。結有は本当は優しくて純粋でいろいろ世話も焼いてくれる。男子だけど女子みたいで咲太とも何かと話が合う。淳吾にこの大事な友情を壊されたくない。  咲太はちゃんと説明しようと思い、ドアを大きく開いた。 「実はね、」  と言いかけたとき、ヒューバタンという音が背後で響いた。 「あっ……」  結有の視線は咲太の背後に釘付けになった。咲太も慌てて振り返った。しまった……。  圭吾の姿になった淳吾が、腰に小さいタオルを巻いて髪の毛をバスタオルで拭きながら廊下に出てきたところだった。  濡れた短髪に色黒の精悍な顔が映え、体の筋肉が盛り上がり、腰に巻いている湿った小さなタオルにはその奥の形が浮き出ていた。 「け、圭吾、君……?」  結有は玄関に一歩入ってきた。淳吾は一瞬やべっという顔をしたがすぐに演技を始めた。 「あれ、こないだの、結有君だよね?」 「はい、黒木結有です、どうも」  結有はぺこっと軽く頭を下げた後、咲太のことを意味ありげな目で見つめてきた。 「圭吾君がさ、汗かいたまま帰るのはあれだとかでシャワー貸してって言われたんだよね」 「別に僕に言い訳しなくても」  結有はそう言ってくすっと笑った。 「俺、奥で着替えてくるわ」  淳吾は空気を察したのか部屋に向かった。咲太は何するんだろうと不安になりその後ろ姿を目で追った。タオルがやはり小さいのか引き締まったお尻の半分が見えていた。  咲太の肩に手が置かれた。 「うわっ、え……」  振り返ると結有が一層口角を上げて目を細めていた。 「圭吾君って咲太のタイプだもんね、やるじゃん」 「いや、ちょ、ちょっと待って、そうじゃっ」 「いいって、いいって、応援する」 「結有、ちょっと待って、じゃなくて」  結有は急に真剣な表情になった。 「その代わり、井村君は僕にちょうだいね、お願いね」 「え、う、うん……っていうか、さ」 「咲太、邪魔してごめんね。僕帰るね」  奥から淳吾の足音と声が聞こえた。 「もう帰んの? 結有君」 「あ、うん、咲太にちょっと用事があったんだけどもう済んだから……え……」  結有の目が点になった。咲太は、淳吾がまだ裸のような状態なのかと淳吾の方を見たとき、結有の表情の意味が分かった。  淳吾は、圭吾の体のサイズのままぴちぴちのグンゼ下着と短パンをはいていた。短パンのファスナーをなんとか途中まで上げてボタンが留まってない状態だった。 「それ……井村君の短パン……だよね」  咲太はため息をついた。淳吾は慌てて頭を掻きながら自分の下半身を見た。 「えっ、あっ、そ、そう、淳吾からもらったんだよねぇ、今さぁ金なくてさぁ」 「でも、それ、今日、井村君がはいてたと思うんだけど……もらった……?」  結有は記憶力もいい分、何もかもが鋭く感じてしまう。 「もしかして、奥に井村君もいるの?」 「ううん、いないよ。中、見てもいいよ」  咲太は目に見える事実なので自信たっぷりに答えた。結有は咲太の目の奥をじっと見つめてきた。揺るがない咲太を信用したのか、しばらくして視線を逸らしたが考える顔つきのままぼそぼそと言葉を出した。 「なんんっか、変っていうか違和感がある」 「え……」  咲太と淳吾は黙った。結有は改めて二人を交互に見ながら口を開いた。 「あのさ、なんか僕に隠してない? もちろんそれが井村君以外のことなら追及するつもりはないんだけど、なんか井村君に関係あることのような気がしてしょうがないんだよね」  結有は指を顎に添えてじっと見つめてきた。咲太は視線を落とすしかなく、話しても信じてもらえないだろうし、圭吾が淳吾だって知ったら結有は余計に辛く当たってくるかもしれない。 「実はさ……」  淳吾がおもむろに話し始めた。咲太は淳吾の方を見た。まさか話すの……。 「実は、何?」  結有は淳吾を凝視している。 「実は、俺が淳吾なの」 「……は、い……?」  結有は眉間にしわを寄せて答えた。 「だから俺は圭吾じゃなくて淳吾なわけ」 「……いやいや、ど、いうこ、と?」 「変身してるんだよね、この姿に、一時的に」 「……ん?……もしかして……僕のこと馬鹿にしてる?」 「してないって、マジなんだって、結有君」 「ここで僕がきゃはははって笑えばいいの?」 「やっぱ信じてもらえないよな……」  淳吾は咲太の方を見て眉毛を下げた。 「咲太、二人して僕のこと馬鹿にするの? ねえ、どういうこと?」 「馬鹿になんてしてないよ、結有。なんていうか、その、じゅ、いや、圭吾君の言ってることはあながち嘘ではないと、いうか」 「もういい。要は二人の邪魔するなってことでしょ。井村君のこともけむに巻いてそうやって僕から遠ざけようとしてるんでしょ」 「そうじゃないってば」 「……どうせ井村君に言われてるんでしょ」 「な、何のこと?」 「僕から何か聞かれたら誤魔化してって」 「そんなっ」 「いいよっ、分かってるからっ、井村君が僕のこと何とも思ってないことくらい分かってるから! そうやって三人で作戦立てて僕のことはみごにしてるんでしょ!」 「結有! いい加減にしなよ」 「井村君は……井村君は咲太のことが好きなの僕だって分かってるよ! 咲太のこと羨ましいよ、憎いよ……でも、でも井村君の気持ちがそこまでして僕に向かないならもういい! 言っといて、井村君に。もう諦めるからって! 咲太は二人から思われていいね! じゃっ」 「結有、ちょっと待ってよ!」  結有は涙声で叫んで一目散に駆け出した。その姿はあっという間に夜の中に隠れた。

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