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ある日、森の中④

「......すみません、ありがとうございました」  慌てて立ち上がると床に置かれた鞄を手に取り、その場から脱兎の如く逃げ出そうとした。  でもすぐに彼に腕を掴まれ、今度は困り顔で笑って言われた。 「まだ、フラフラじゃねぇか。  それにこの時間だと、終電も出た後だろ?  今夜はもう、泊まってけ」  壁に掛けられた、シンプルな木製の時計に目をやると、時刻は深夜の2時半。  ...僕ってば、どんだけこの人に迷惑を掛けてるんだ。  かなり情けない気分になりながら、ちらりと彼の顔を盗み見る。  すると課長とちょうど視線が合った。  そして次の瞬間。  ......彼は腹を抱え、大笑いした。 「俺さ、入社した当初はお前ってなんか、感情のない人形みたいだなって思ってたんだけどさ。  ......よくよく見てると、すげぇ表情豊かだよな」  ひぃひぃとなおも笑いながら目元から溢れた涙を拭い、彼は言った。  それは、褒められてるのだろうか?  それとも、貶されてる?  その言葉の意図するところが理解出来ず、何となく居心地が悪くなり、またしても視線をそらした。  すると彼は不愉快そうに、大きな溜め息を吐き出した。  反転する、視界。  そして再び僕の目に映ったのは、真っ白な天井。  えっと......これは一体、どういう状況だ?  理解すら出来ていない僕を置き去りにして、景色がまた変わる。  背景の白はそのままに、気が付くと視線の先には、田畑課長の顔があった。 「っ!?」  ベッドに押し倒されたのだと気付き、自然と顔がひきつる。 「あはは......、あの、課長?  僕はこういう冗談、好きじゃないです」  課長の口元が、意地悪く歪む。 「そっか、そっか。奇遇だな。  ......俺もこういう冗談、大嫌いだよ」  真意が見えず戸惑う僕を尻目に、その唇はゆっくりと降りてきて。  ......そのまま僕の唇を、覆った。

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