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実証実験
東城は、上司の高田警部補に、広瀬と一緒に管内を回り、現在部署が抱えている事件を一通り説明しろと命じられていた。だいたい、自分は誰に対してもおせっかいだから異動者や新人の面倒をみるようを命令されやすいのだ。いつもはその指示に不満はないが、今回は、気が進まなかった。広瀬は、無表情で、話しかけてもほとんど会話が続かず、一緒にいると気がめいるかいらいらさせられるのだ。話していてもつい注意口調になることも多い。おまけに、広瀬は「はい」と返事はするが、目が反抗的だ。
車に乗る前に高田に頼まれていた注意ごとを広瀬に伝えた。俺が頭ごなしにいうより先輩のお前がいうほうが感じがいいから、と高田には言われたのだ。だが、実際口に出そうとすると自分が言うほうがはるかに感じが悪い気がする。他の後輩相手なら、なんでも気軽に冗談と一緒に言えるのだが、広瀬には言いにくい。
「お前、髪、少し長いから切れよ。特に、前髪と襟足」
「はい」広瀬は返事をした。髪の毛は自覚があるのだろう、無表情のままだ。
「それと」と言いにくい話に移る。高田から絶対に確認してほしいといわれている。「お前、カラコンしてるのか?」
広瀬の目は、薄い色だ。白目に対して瞳の比率も大きい。昼間太陽の日のしたで見ると、薄い灰色に見え、かなり人工的な感じがする。ガラス玉みたいだ、と広瀬の目をみるたびに思う。おしゃれをするタイプではないとは思うが、最初に聞いておいて注意すべきところはしないと、後からは難しくなる。
「別に、規則で明記はされてないかもしれないが、カラコンは」と東城が続ける。
「つけていません」と広瀬は即答してきた。「視力はいいので、コンタクトも使っていません」
よく聞かれる質問なのかもしれない。こちらをきっぱり見上げる目を覗き込むと確かにコンタクトは使っていないようだった。だが、何も映してない目は、感情もない様子で、東城を少しだけうろたえさせた。
「そうか。じゃあ、いい。疑って悪かったな」と東城は言った。
同行の最初からこの調子だ。先が思いやられるな、と東城は思った。
車を運転しながら場所の説明をしていると、助手席の広瀬が内ポケットからなにやらとりだしている。スマホより一回り大きいタブレット端末だ。起動させて、画面をみている。窓の外と見比べることもある。
東城は、つい3日前に起こった強盗事件の現場付近の駐車場に車をとめた。わかっていることをかいつまんで解説する。
広瀬は、熱心に聴いていて、タブレットになにか打ち込んだり、写真をとったりしている。
「それ、なんだ?」と東城がきいた。「お前のそのタブレット」
広瀬の無表情がはじめて動いた。警戒しているような顔になる。「支給されて使っているものです」タブレットを抱え込むように持ち替えている。とられるとでも思っているのだろうか。
俺はジャイアンか、と東城は思った。こういう広瀬のしぐさもイライラの原因の一つだ。「お前の持ち物をいきなり取り上げたりはしない」とむっとしながら広瀬に言った。「支給品ってなんだ?」みたことがないタイプの情報端末だ。
「実証実験に参加しているんです」と広瀬はこたえた。まだ、タブレットを持つ姿勢をかえない。
「実証実験?」
「はい。サブシステムの」
「なんだ、それ?サブシステム?」好奇心がでてきて興味深く聞いてしまう。
広瀬は、タブレット端末の画面を見せた。地図が入っている。普通利用する地図とは異なり、写真やコメントがいくつか浮かんでいる。赤や青の点がついていて、おそらく点をおすと、情報がでてくるのだろう。
さきほど広瀬が撮影した写真も反映されていた。
「人間の記憶には限界があるので、このサブシステムになんでも覚えさせるんです。いつでも取り出しやすくしたり、他の情報と統合して分析します。この顔はなんとなく覚えがあるとかいった記憶をもとに分析すると、どこで会ったのかや関連情報を抽出できます。実際には頭の中で行っていることなのですが、このシステムはより正確で情報量を多くできます」
画面をタップすると、管轄区域の全域図がでてくる。3分の1くらいには、さきほどの赤や青の点がびっしりついていた。のこりはまだだ。
「これは?」と東城は指差して聞いた。「なんで中途半端なんだ?」
「地図は、俺がつくっているんです。こちらに異動になると聞いたので、作業を進めていました。残りも今週中にはできます」
東城がしげしげと見ていると、画面をタップし、タブレットを東城にわたしてくれた。今いる地点が拡大されている。先ほど東城が説明していた事件の概要がでてくる。広瀬が入力していたのだろう。
広瀬は聞いてもいないのにボタンの説明や記録の手順の話をしはじめる。広瀬からこんなに長いフレーズを聞くのは初めてだった。しばらく東城はおとなしく聞いていた。
東城は言った。「残りは今週中って、いつ作るんだ?」
「出勤前と就業後です」と広瀬はこたえた。「休みがあればそこでもできます」
「お前、そんなことしてたら身体壊すぞ」と東城はあきれて言った。「休みの日は休めよ。遊びに行くとかしないと頭おかしくなるだろう」
広瀬は返事をしなかった。おそらく、この地図をつくるほうが楽しいのだろう。ふと最初に会ったあの乱闘騒ぎの日も地図を作っている途中だったのだろうか、と東城は思った。
東城が画面を指ですべらせると、別なアプリが立ち上がった。「これは?」見ていると、人の写真が並んでいる。北池署の関係者だろうか。写真には氏名と部署名、役職、簡単な略歴が記載されている。顔の特徴などの短いコメントがついているものとそうでないものがある。写真はどうやって撮影したのだろうか、必ずしも正面から撮影されたものではない。身分証のものとは異なり、普段の顔をしている。広瀬がどこかで撮影したのだろうか。写真をみるだけで、個性が浮かんでくる。いや個性というよりも、撮影した広瀬がその相手をどう思っているのかを表しているようだ。
「記憶の補助なので」と広瀬は地図の説明とはうってかわって口ごもった。「当然、地図だけではないです。覚えにくいものは全てサポートされます。例えば、その人物ファイルのように」
「あー。なるほどな」と東城は言った。指をすべらせていくと、大井戸署のファイルに入る。いつのまに撮影したのか、課長や高田、部署の他のメンバーの写真も入れ込まれていた。自分の写真も。横から撮影された写真だった。誰かに話しかけているようだ。こんな怖い顔しているのか、と意外に思った。写真には「東城」と苗字だけが記録されていた。そこで、名前まで記録されているものとそうでないものがいるのに気づく。宮田や君塚はフルネームだった。
「人事ファイルを反映させたりはしないのか?」と聞いた。
「これは記憶のサブシステムなので、俺の行動や記憶に連動するようになっています。全く知らない相手の顔や名前を知るというのは、今回の実証実験のサブシステムの役割とは異なります。あくまでも記憶の補助なので」
「ふうん」東城はタブレットを広瀬にかえした。
「北池の連中は、これみてなにも言ってなかったのか?」
「実証実験なのは皆さんご存知でしたので。大井戸署にも報告はしています」
「いつからやってるんだ?」
「1年前です。実証実験は3年間続きます。最初の半年は、使い方説明や俺の行動履歴の方が多くて、実際に地図や人などの記録をはじめたのは半年前です」
「なるほど、な」と東城はうなずいた。「それはそうと、俺の下の名前は、弘一郎。そのサブシステムに記録しておくといい」
広瀬は、返事をしなかった。東城の口調から、サブシステムをみて気分を害したと思ったのだろう。
見回り兼現場確認を続けていると、遠くで、女性の軽い悲鳴のような声が上がった気がした。広瀬はさっとそちらに視線を走らせる。そして、何も言わずに走っていった。
「おい、まてよ」と東城はいって、追いかける。
広瀬は、一瞬立ち止まり上をみあげている。悲鳴の方向を思い出そうとしているのだ。そして、どんどんと路地を走りぬけ、古い3階だての建物をみあげると、外階段をかけのぼった。
東城もすぐに追いついて広瀬を追う。「広瀬、こら、勝手にいくな」
階段を上りきり屋上にでると、悲鳴の主がいた。30代くらいの女性で、目の前には鳥の死骸がある。びっくりして悲鳴をあげただけだろう。
広瀬が突然現れたことのほうに彼女は驚いている。続いて東城がきて、さらにびっくりしている。
「すみません。声が聞こえたので、なにごとかと思いまして」と東城がいって、警察の身分証を出した。
「え?」と女性はまたおどろいている。「こんなことで、警察の人?」
「ええ、まあ。近くにいたので」と東城はいう。「保健所には連絡されましたか?」
「はい、今」と女性はいった。
「そうですか。お騒がせしました」東城はあたまをさげ、階段に向かう。広瀬も後ろからついてきた。
下まで降りると、振り向いて、「お前なあ、勝手に走るな。状況を考えろ」といってうっかり手が出て、広瀬を軽くこづこうとした。
広瀬は予想もしなかった反応をしてきた。すばやく東城の手を右の腕でさえぎってきたのだ。それどころか反撃しようとしてくる。動きは素早い。喧嘩慣れしているのだろう。相手が体勢を整える前にでてくる。
こいつ、俺とやる気なのか、と東城は思った。これだけ体格が違うと、細身の広瀬は圧倒的に不利だ。バカじゃないのかと頭にきて、殴り倒してやろうかと思ったが、つかみあげた右手首が思っていたよりも細かったので、思わず手を離した。
「わかった、わかった」と東城は広瀬に両手をあげてみせた。「いきなり手をだしたのは悪かったよ。言葉で言えばよかったな」
東城が闘わない意思を示したので、広瀬も、手や足をひっこめた。
「あんな声くらいで、急に動くな。状況を考えてから動け。何事もないからいいようなものの、もし、犯罪現場だったら、あんなふうに飛び込んだら、さらに事態を悪化させてたかもしれないだろう」という。自分で平静な声をだそうとしたが、無理そうだった。いらだちがあからさまにでる。
「わかりました」広瀬はこたえた。彼はもとの無表情に戻っていた。
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