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異動の事情

大井戸署の事務所内で喧嘩騒ぎになりかけたことが耳に入り、東城は上司の高田に呼ばれた。 高田は、50代のベテラン刑事で、穏やかに話しをする男だ。喫茶店で座っていたりするとサボっている哀愁のサラリーマンのようだ。だが、実際は強盗殺人を管轄する部署に30年近くいる経験豊富な敏腕刑事だ。 「東城、困るなあ。異動者に乱暴したら」とストレートに注意された。「しかも、事務所内で。パワハラがあったって問題にされるぞ」 「申し訳ありません」東城は素直にわびた。悪いことをしたと思う。広瀬に対してではなく、高田や他のメンバーに対してだ。 「来たばっかりの目下の奴を殴ったりしたら、お前の方が見識を疑われるからな。気をつけろよ。まあ、初回だからいいが、今度やったらペナルティだな」といわれる。 「はい」 実際のところ殴り合いになりそうな喧嘩沙汰はこれが2回目だとはいいだせなかった。 「広瀬にも少しは問題があるのはわかってはいるんだがな。どうも、彼は、人をいらだたせることがあるみたいだ」 高田は書類をみている。どこからか回ってきた広瀬のプロフィールのようだ。 「北池でも、同僚と殴り合いになってるみたいだし、何かの研修のときも、喧嘩をしてる。いつも、本人から手をだしてはいないので、厳重注意くらいにしかならないようだが。犯人確保のときも、かなり自由度高く身体はってくるらしいから、手を焼いてたみたいだな。なんでだろうな。おとなしく見えるんだが」 「あいつは、全然おとなしくはないですよ、高田さん」と東城は思わず言った。 高田は、まあまあと手で東城をなだめる。「そういらいらするなよ」 「そもそも、なんで、こっちに異動になってきたんですか?なんとなく不自然な気がするんですが」 「前の勤務先の北池署で、問題があったらしい」 「やっぱり、なんで懲戒にならないんですか」 「本人は悪くないトラブルらしい」と高田は言った。 「なんですか?」 「詳しくは知らないんだが、ストーカーまがいのことがおきたらしいくらいしか知らない。それだけで異動ってのも変だけどな」何かを知っていても東城に話す気はないのだろう。高田はのらりくらりと話をし、核心には触れないタイプだ。 「なんで、大井戸署に来たんですか?」 「いろいろ事情があるんだろう。押し付けられたか、引き取ったかだろうけどな。とにかく、喧嘩するなよ。俺が広瀬に喧嘩するなって注意できなくなるからな」 気をつけます、と東城は再度言った。だが、あまり自信はなかった。広瀬の無表情な顔や透明な目を見ていると、不安定な気持ちになるのだ。何を見て、何を考えているのか問いただしたくなる。どこまでも追い詰めて知りたくなる。焦燥のような不安感だ。東城が今まで知らない感覚だった。 東城は、広瀬の前の部署でどんなトラブルがあったのか知るため、事情を知っていそうな友人に電話をした。自分でもどうしてそこまで広瀬にこだわるのかわからないが、あんなあいまいな高田の話だけでは納得ができなくなったのだ。 「東城、久しぶりだな」 同期の男で広瀬が以前いた北池署にいる男だ。刑事部なので、おそらく広瀬と一緒に働いていたはずだ。 「ちょっと、聞きたいことがあってな」 「だろうな。わかるよ。広瀬のことだろう」と言ってきた。 「よくわかったな」 「最近、大井戸署に行ったと思ったらお前から連絡だから、それ以外ないだろう。あいつ、どうしてる?」 「よく知ってるのか?」 「知ってるも何も、ずっと隣の席だった」 「そうか。どういう奴なんだ?」 「お前が思ったままのやつ。仕事熱心だけど、扱いにこまる。勝手に行動するし、やや暴力傾向がある。なんというか、どっか、おかしい部分があるけど、ものすごく異常ってわけでもなくて、そのおかしさが何か特定できないんだよな」 「大井戸署に来た理由って知ってるのか?」 「当たり前だ。俺がみつけたんだから」 「みつけたって何を?」 「手紙だよ。勢田の」 広瀬の机の隅に、置いてあったという話だった。3通ほどの手紙。個人宛に来た郵便物を係りがそれぞれの机の上においているのだ。そのとき、広瀬は、手伝いで他の署に行っており、1週間ほど北池署にはきていなかった。だから手紙は封をあけられることなく、机に積みあがっていた。 最初は、今時、ダイレクトメール以外の紙の手紙なんて珍しいくらいにしか思っていなかった。気がつくと、5通、6通と増えていた。 「宛名の字が全部同じ字で、差出人の名前はないんだ。あんまり気になって、よくないなとは思ったんだが、封をあけたんだ。私的な手紙だったらまずいとは思ったんだけどな。でも、不自然だったから」 そこには、広瀬の写真が入っていた。署からでてくるいつもの無表情な広瀬だ。他にも、道を歩いたり、食事をしたりする彼が撮影されたいた。 「鳥肌がたったね、俺は」 「それで?」 「手紙も入ってたんだが、これが熱烈な恋文だったんだ。尋常じゃないなって思ってたら、最後に差出人が書いてあって、それが、北池で最近勢力を伸ばしている黙打会の幹部の勢田だったんだ。それで、あわてて、課長に知らせたんだ」 「他の手紙は?」 「全部すぐにあけた。大半は恋文なんだけど、中にはすごいのも入っててな、脅迫に近いっていうか、犯罪だろ、これっていうことが書かれてて」 「なんだよ」 「広瀬を監禁して、とじこめて、レイプするっていう内容だ。脅迫でもないな。妄想みたいなものだ。まあ、でも手紙くらいだったら、それほど問題にはなってなかった。頭変な奴はいるのはみんなよくわかってるしな。それに、広瀬は、あれだ、相当美形だろ。粉かけられてもおかしくないっていうか、美人は大変だよな、とか言って半分笑い話だったんだ。ところが、広瀬が戻ってきてわかったのは、奴の個人の携帯にも、どこで調べたのかしらないが電話やメールが山のようにきてて、署の外や家の前で、勢田がやつを待ってることもあったってことだ。それも頻繁に。そんなことがあるなんてずっと黙ってたらしい」 「広瀬が隠してたってことか?」 「いや、そうじゃないんだよな、それが」 「なんで?」 「あいつ、なんとも思ってなかったみたいなんだ、本当に。手紙も、最初のうちは開けてたらしいんだけど、途中からそのまま捨ててたらしい。俺が気づくまえから、何通も実はきてたそうだ。知らない人の電話にはでないし、メールは迷惑メールと一緒ですぐに削除してた。勢田が署の前にいても無視してたそうだ。自分のところにだけ来てるとはおもってもみなくって、暇人が何かしてるか、嫌がらせの一種くらいにしか思ってなかったらしい」 「嘘だろ」 「そう。俺もあいつにそういった。嘘つくなって。でも、あの無表情だろ。真剣に、なにが問題になっているのかよくわからないって言ってたんだ」 「その、勢田ってやつと広瀬はどこで知り合ったんだ?」 「不明だ。知り合いじゃあなかったんじゃないか、多分。広瀬は面識はないって言ってた。俺の推定じゃあ、知り合いってほどの間柄じゃないな。勢田は、どこかで広瀬をみたんだろ。どこかの事件かなんかで。一目惚れっていうんじゃないのか。そう思うと、ちょっと勢田がかわいそうでもあるよな。広瀬は、全く勢田のことをなんとも思ってないかったんだから。嫌いとも怖いともだ。名前だって何回言っても覚えてなかったし。今頃は勢田のことなんて忘れてる。こっちが聞くまで電話もメールも忘れてたくらいだから。家にきたこともあったって言ってたのにだ。勢田は一人で来たらしい。でも、夜遅いから用事があるなら明日、署に来いといって帰したらしい。怖くなかったのか?ってきいたらきょとんとしてるんだ。それで、こいつに何かいっても無駄だってことになってな。最初は、課長も説明しようとしてたんだが、あんまりくだらないというか、説明するのも気恥ずかしいんで、やめたんだ。で、このままほおっておいて、勢田が広瀬に本当になにかしでかしたり、逆に広瀬が襲われそうになって勢田に反撃したら、新聞沙汰だろ。対応を考えてたら、黙打会の若いのが何人かきたんだ。勢田は今頭がおかしくなってるから、広瀬をよそにやれっていわれてな。なんでヤクザの黙打会にいわれて警官が部署を異動しなきゃならないんだって反対も多かったんだが、最終的には上が判断して、おまえんとこに行ったんだ」そこで同期は言葉をきった。いうまいかどうか迷っていたようだが、話を続ける。「これは、あくまでも俺の個人的な見解なんだが、勢田みたいなストーカー、他にもいたんじゃないかな。広瀬はそんなようなこともチラッといってた。こんなことはよくあることで、気にしなくていい、みたいなこと言ってたんだ。それに、俺には知らされなかったが、どうも、前にもここまでひどくはないが、似たようなことがあったみたいなんだ。言葉ではいいにくいんだが、広瀬には、どうしても離れられなくなるなにかがあるんだと思う。美形だからとかそういう外見のせいだけじゃなくて、あいつの持ってる雰囲気というか、なんというか。うまくいえないんだが。ふっとはまってしまうと逃れられなくなる何かが。今回は勢田がヤクザだったから、問題になったんだけど」 「広瀬は、なんていってたんだ」 「なにに?」 「異動するってことだ。自分に落ち度はないんだろ、この件では」 「ああ、そうだな。でも、特に何もいわなかったぞ」そう答えられた。「なんにも考えなかったんじゃないか。あいつが、自分のこと何かいうって聞いたことなかったぞ。つらいとか悲しいとか、そういう感情ってあいつにはないんじゃないのか」 それはないだろう、と東城は思った。広瀬だって考えるだろう。そう思って、感情がないという意見は自分が言ったことと同じだと思い出した。 同期は続ける。「いつも、命令には従うんだ、あいつは。逆らったりはない。だけど、時々、その態度が相手を挑発するように思えるのか喧嘩になったりしてる。こっちに来たときは慣れなくてかなり手を焼いたんだ」そういいながら同期はしんみりした半笑い声になる。「まあ、今となっては異動して少しさびしいけどな。あいつ、とにかく仕事は熱心にしてたからな。なにがあっても愚痴一つ言わないで、早くから遅くまでいつも仕事してた」 悪い奴じゃないから、面倒みてやってくれよ、と最後には頼まれた。

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