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2人が到着すると君塚は、東城たちの乗る車の後部座席に入ってくる。やっぱり、どことなくうれしそうでニコニコしている。君塚は人がよさそうな好青年だ。柔道が強いらしく、体格がいい。全体的に肉付きがよくずんぐりしている。車の中にいると窮屈そうだ。
「広瀬さん、死体みつけたらしいですね」と言う。「高田さんが、いいものみつけてきたなあ、って誉めてましたよ」君塚は本当に高田が誉めていたと思っているらしい。
「それは、頭をかかえてたんだ」と東城は横から口をだしてきた。「ただでさえ、忙しいのに、仕事が増えただろう」
「えー、そうなんですか?」
「銃で頭をうたれてた」と東城はいう。「刺されたりするより、凶器の入手ルートが問題になるから、やっかいだ」
君塚はうなずく。「でも、久々の殺人事件ですよね」
「事件をよろこぶな。何にもないのが、一番いい仕事してるってことだろ」と東城はまっとうなことをいっていた。
事務所へは、8時半をすぎたころに2人ほどの若い男がやってきた。どことなく先ほどの黒沼産業のオフィスでみた男に似てはいたが、暗いためあまり確信はもてない。君塚が感度のよいビデオカメラをつかい、人の出入りを撮影していく。
10時をまわると、今度は、若い女が数人事務所に入っていく。彼らはそれほど時間をかけず、でてきた。その後もポツポツと人の出入りがある。水商売風のものもいれば、サラリーマン風のものもいる。広瀬は出入りの時間のメモをとっていく。ときどきすぐに出てこないカップルもいた。
「ドラッグですかね」と君塚は東城にいう。「あそこで売買しているんでしょうか」
密売所がこんなところにもあったということなのだろうか。それにしても無防備に売っているものだ。
「合法すれすれのものなんだろ」と東城はいう。「今日行った黒沼産業が扱ってた健康食品のたぐいだと言えるような商品だろうな。強壮剤系もあつかってるみたいだから」
「買ってすぐ出てくるのはわかるんですが、そうじゃないのは仲間なんですかね」
「ドラッグきめて、あの中でエッチしてるんだろう」と東城は言った。「広さ的には、売る以外にもスペースありそうだしな。ドラッグでは無理でも、買春でひっぱれるかもしれん」
同じ頃、宮田がやってきた。食料が入った袋をもってくる。眠そうな顔だ。
「倉庫の方は片付いたか?」
「もう暗いんで、明日朝からになりました」と宮田は言った。「俺臭いついてませんか?シャワー浴びたいですよ、早く」
「臭いなんてついてない、っていうか、もう今日のご遺体の話はやめろ」と東城はいいながら、宮田からおにぎりをうけとる。「思い出すだろうが」
「東城さん、平気じゃないですか」
「平気なわけじゃない」と東城は、広瀬におにぎりを見せる。「食えるか?」
この時間になると、広瀬も空腹を感じられるようになってきた。彼は、宮田からおにぎりをうけとった。お茶ももらって飲むと、やっと人心地つく。
東城は、宮田や君塚と軽口をたたいている。事件とはあまり関係のない、サッカーの話や近隣でおこなわれているイベントの話などもしている。署内の人の噂話も。宮田はかなりの事情通で、本当か嘘かわからないような噂話をいくつも知っている。
東城は、ときどき、笑いながらその話を聞いている。広瀬といるときには見せない顔だ。広瀬といると、たいてい事件の話を手短にして会話が終わる。広瀬は、無口を自認しているのだが、普段、饒舌な東城には、広瀬といると気詰まりだろうと思った。
12時をまわったころに交代の見張り当番がきた。
東城は、高田に連絡をとり、署にもどる、と他の3人に告げた。
運転席には君塚が座り、東城は後ろの席に移った。先ほど君塚が撮影したビデオ映像を確認している。宮田は半分目をとじていた。疲れているのだろう。
しばらく行くと車内の沈黙は、ズズズというスマホのマナーモードのバイブの音でさえぎられた。誰だろうと思っていると、東城がポケットから個人用のスマホをだし、あわてている。
「はい」とすごく小さい声で東城が電話にでた。が、車内は静かで、しかも、盗み聞きをする気まんまんな空気なので、会話ははっきりと聞こえた。東城のひそひそ声より、電話の向こうの女の声のほうが大きい。泣きが3分の1、怒りが3分の2程度のかなり感情的な声だ。どうやら、何度もメールで連絡したが、東城は返事をしなかったらしい。しかも、今日は、なにやら会う約束をしていたらしいのだ。
東城は、何度かあやまっていて、途中で女の声をさえぎった。「今、移動中なんだ。すぐに折り返すから、ちょっとだけ切らせてくれ」
女はさらにヒートアップしたが、東城は強引に電話を切った。そして、君塚にいう。「君塚、その辺でおろしてくれ。俺はタクシーひろってもどるから」
「東城さん、こんな時間にこんな場所でタクシーひろえませんよ。待ちますから、ごゆっくり」君塚は笑いをこらえた声で、路地に車をいれ、駐車をした。東城はため息交じりで外にでていく。車から少し離れた場所で、電話をかけはじめた。今度はひそひそ声でなく、しっかり話をしているようだ。
「あれは、終わりだな」と宮田は身体をおこして言う。寝ているように見えていたが実際は起きて電話を聞いていたのだろう。
あやまっているのに、と広瀬は思った。忙しいから電話できないだけで、ふられるとは、少し東城がかわいそうな気がする。
ところが、宮田は違うことを言った。「君塚、彼女とはどれくらいだった?」
「えー。この前の合コンのときの彼女だとすると、3ヶ月目くらいじゃないんですか。その後、別な子と知り合ってたらもっと短いでしょうけど」
「だいたい、もって3ヶ月だよな」と宮田がにやにやしている。「東城さんあきっぽいから、続かないんだ」
広瀬はバックミラー越しの宮田と目があった。頼みもしていないのに宮田が解説してくれる。「あの人、かなりもてるんだけど、続かないんだよ。最初の1~2ヶ月は、すごく相手のことを大事にして、時間かけてかなりサービスするんだけど、3ヶ月目頃から、あきちゃうんだろうけどその過剰サービスが続かなくなるんだ。女の方は、うまくいくって思ってるから最初のうちは仕事のせいって思ってかなりもめる。もめると東城さんはまた女を遠ざけるようになって、続かなくなるんだ。もう、何度も色んな女が泣かされてるからな」
「東城さんと付き合う人ってちょっと野心家っぽいから、それがすけてみえちゃうと続かないんじゃないんですか」と君塚は自分の解釈を説明する。「だいたい東城さんの好きになるタイプって専門職のかなりな美人っていうのが多いから。東城さんが金持ちの坊ちゃんって知ってて、上昇志向でつきあおうとする子も多いみたいだし」
「それは、あるよな」と宮田も同意する。「まあ、最終的に修羅場にならないのは、女の方もどこかでビジネスライクだからかもな。自分にあきた男にこだわるより、他のいい男を探そう、と」
東城は、金持ちの坊ちゃんなんだ、と広瀬は知った。そんな雰囲気ではあったが。
宮田は、さらに広瀬に説明してくれる。「東城さん、大きい病院グループの一族の御曹司なんだぜ。御曹司っていうと、怒るけど。市朋会っていう全国展開してる医療グループの一族らしい。落ちこぼれで医者になれなかったから警官になったっていってたけど、時々、生活レベルが俺たちとずれるんだよな」
見ると、東城は結構いらいらした様子で電話にはなし、こちらにむかってきながら、電話を切った。
後部座席に戻ると、東城は「お待たせ」とだけいって君塚に車をださせた。
広瀬はバックミラー越しに東城をみる。彼は、黙って、何も映っていないスマホの画面をなでていた。そして、ふと、視線に気づいたのか、顔をあげた。目があったので、広瀬は、目をふせた。
倉庫で発見された被害者の身元は指紋のデータベースに照合してわかった。傷害の前科があった。記録では、20歳のときに、事件をおこしている。
広瀬たちは、彼の関係者を探った。
倉庫を捜索していてわかったのは、どうやらドラッグを置いていたらしいということだった。残されたダンボールや床のほこりからわずかだが、ドラッグらしき化学物質が検出されたのだ。ただし、化学物質というだけでそれは風邪薬にすることもできるため、ドラッグそのものとは言い切れなかった。
倉庫に会ったドラッグは被害者を殺した人物が持ち去ったのかもしれない。今まで把握していなかったドラッグの販売ルートとそれに関係する殺人の可能性があった。
不動産屋の殺人事件は大きな事件になり本庁や関係する部署から捜査員が集まり、情報収集がはじまった。
連日遅くまで情報収集と整理、報告会が続いている。
君塚が書類仕事を終えるとかなり遅い時間になっていた。事務室には自分と数人しかいなかった。ふとみると、広瀬の上着がまだ椅子にかかっている。広瀬さんは仕事熱心だなあ、と君塚は思った。だいたい朝早く来て夜遅く帰る。書類などはいつもきちんと出し、誰よりもよく動いて聞き込みや情報確認をしていた。喧嘩したり騒ぎをおこしてもクビにならないのはこのせいだろうか、と君塚は思う。生活そのものが仕事なのだ。自分はああはなれないなあ、と思った。仕事は嫌いではないが、私生活も楽しみたい。
身支度をして、事務室をでると、廊下の向こうの打ち合わせ用の部屋から明かりがもれている。こんな時間に、と思っていってみると、ドアが半分開いていて、低い声の会話がポツポツと聞こえてきた。不審に思って軽くノックをすると、「どうぞ」といわれる。東城の声だった。
入ると、プロジェクタが壁に地図をうつしていた。広瀬が地図の近くに立ち、東城が座ってそれをみている。時々手に持っている書類に目をやっていた。穏やかに二人は話をしていた。
プロジェクタの光の中に立っている広瀬は楽しそうに見える。君塚はまぶしくて目を細めた。きれいな人だなあと広瀬のことを改めて思う。こんなふうに柔らかい表情をしているとなおさらきれいだ。
広瀬は東城を見ていた視線を君塚に動かす。
どれくらいの時間ここにいたのだろうか。この二人はあんなに仲悪そうだったのに、いつのまに親しくなっているのだろうか。
壁に映る大きな地図を示して「これ、なんですか?」と君塚はきいた。地図は精密なもので、そこにさらに細かい点がついている。写真がいくつか画面上をただよっていた。
「広瀬の地図だ。サブシステムのを追加修正してるんだ」と東城は言った。君塚にはよく意味がわからなかったが、それ以上の説明はなかった。東城は、腕時計をみた。「わ。こんな遅い時間だったのか。広瀬、今日はもうおしまいにしよう」と言った。
広瀬は、うなずいてタブレットをプロジェクタからはずした。プロジェクタの電源も落とされる。広瀬の美しい姿は影になり、君塚は残念な気持ちになる。
東城は、机の上においた書類を片付けた。
「君塚、お前、軽く飲む?」と東城が聞いてくる。
「はい」と君塚はこたえる。
「広瀬は?」と東城はきいた。
「俺はもう少し整理してから帰ります」と広瀬はこたえた。
東城も広瀬が来るという答えは全く思っていなかったらしく、「そうか。じゃあ、また明日」と普通にいうと、君塚と一緒に部屋をでた。
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