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飲み会にて

一時の猛暑は過ぎたが、じめじめした秋雨空とねばるような残暑が続き、どこにいてもどんよりした空気になっていた。 広瀬は、勢田のことがあった後、元通りたんたんと仕事をしていた。朝早くから夜遅くまで。 なんらかの叱責を上部から受けたようだが、それが何でどのような処分なのかは東城にはわからなかった。 勢田がその後姿を見せることはなかった。東城の同期の話しでは、黙打会は面倒ごとを避けるため、勢田を一時的に海外に出したらしいと言っていた。 広瀬は、自分の席でなにやら書類の整理をしている。目がふせられ、熱心にパソコンをみている。整った顔だ、と東城は思った。 広瀬を見ると、あの時の苦しそうな寝顔を何度も思い出してしまう。何度も寝返りを打ち眉間にしわを寄せていた、陰影が濃く落ちた美しい顔。さらに、広瀬のアパートで、あの透明な目が自分の動きをずっとおっていたこと、灯りの下で見た肌を。なめらかな白い肌とわずかに色づいたつつましい二つの突起。ゆっくりとシャツを脱ぐ動作。シーツを身体に巻きつけて長いまつげをふせ苦しそうに眠る彼。残像のようなイメージが繰り返し浮かんでくる。 「東城さん、東城さん?」と君塚の声がした。 「あ、ああ。すまん。なんだ?」 「ちゃんと話聞いててください」と君塚に注意される。「東城さん、最近ぼうっとしていますよ」 「そうか?」東城はそういいながら広瀬のイメージを頭の中から追い出した。 君塚は、説明をはじめる。黒沼が現在のグループを形成してから、関与したと思われる暴力事件の一覧だった。この被害者は、黒沼に恨みを抱いている。遺体の近くにあった花びらにつながるような人間がいるかどうか、丹念に整理している最中なのだ。 黒沼自身はまだ帰国していないようだった。 黒沼は東城と広瀬が訪問した健康食品を東南アジアから輸入している会社のように普通にビジネスをしている影で、様々な犯罪すれすれのことをしているようだった。ただし、違法なドラッグを扱っているという情報はなかった。だが、彼らが、合法ながらもかなり人体に影響が強いドラッグを扱っていることがわかる。 黒沼を中心にしたグループは、暴力団ではない。年代が若く、暴力的な行動もためらわないようだった。グループといっても明確な組織になっているわけではない。グループが活動する範囲も大井戸署の管轄エリア周辺が中心ではあるが必ずしも決まっているわけではないようだ。 集団での暴行や監禁、レイプの話も多かった。自分たちの収入源を作るためにかなり容赦ない行動をしており、近隣の暴力団からにらまれることもあるようだった。ドラッグがらみの暴行や詐欺事件の被害者も多いが、ドラッグが違法でないことや後々の報復をおそれ、告訴に至らないケースがほとんどだ。 倉庫で殺された被害者が、黒沼の敵に殺されたのか、黒沼側の人間に殺されたのかすらよくわからなかった。どちらも十分にありえた。 遺体の近くの花びらのメッセージの意味はなんなのだろうか。そもそもそれは何かのメッセージなのだろうか。誰にあてたものなのだろうか。黒沼が知れば、それがなにか、わかるのだろうか。東城は気になっていた。 倉庫で使われた凶器の銃が何かは、だいたいわかってきた。東南アジア経由で部品を仕入れ、国内で組み立てられたようだ。組織的に作っているものが大半だが、知識があれば個人でもやってやれないことはない。しかも今ならネットでいくらでも知識を仕入れることができる。対象者を絞りにくくさせていた。 東城が君塚の話をきいている間に、広瀬は立ち上がった。東城は、目の端でどうしても彼を追ってしまう。彼は優雅な動作で水を飲んで、宮田に声をかけられ、一緒にでていった。 「って、東城さん、聞いてますか?」とまた、君塚に注意をされてしまった。 「ああ、聞いてる聞いてる」と東城は答えた。我ながら真剣味のない返事の仕方だ。 「関係者に聞き取りにいきますよ」と君塚に言われた。あきれた口調だ。 東城は立ち上がる。君塚と一緒に可能性のありそうな黒沼のグループの販売の被害者をあたることになった。 2件の殺人事件についてたいした情報も集まらず、徒労感が強い夜遅くに、宮田がどうしても飲みに行きたいといいだした。東城は、宮田と君塚といういつもの面子でどこかに行こうと思った。 宮田が隣の席で熱心に仕事をしている広瀬に声をかける。「お前もこいよ」。 広瀬は断るだろう、と東城は思っていた。そして、広瀬は予想通り断っていた。「忙しいから」とうつむいてぼそっと言っている。 ところが広瀬に断られるのに慣れてきた宮田はその程度では引き下がらなかった。広瀬の頭に手をおいて髪をぐちゃぐちゃかきまわし、「付き合い悪いこと言うなよ」という。「この前、昼食でサラダわけてやっただろ。俺に借りがあるはずだ」 広瀬は閉口し乱れた髪を直す。そして、あまりにもしつこく言われとうとう「わかったよ」と宮田に返事をし、ついてきた。 夕飯を食べている間、宮田は東城や君塚に仕事の愚痴をもらしている。 広瀬はほとんど話をしない。黙って食事をしているだけだ。宮田に話しかけられると同意や否定の短い単語は話している。広瀬がどんな人物かわかっているのでそのそっけない反応も気にはならなくなっている。 ふと広瀬がこちらを見たため目があった。感情のわからない薄い色の目だ。ひきつけられてそのままずっと見ていてしまいそうになる。あわてて東城は目をそらした。 食事の後、飲み足りないと宮田がいうので、君塚がこじゃれたショットバーを探してきた。広瀬は珍しくついてきた。 バーはやや暗く、気だるげなピアノの曲がかかっていた。店にいる客はみな抑えた声で話をしている。 広瀬は、水割りを頼んでいた。そういえば、さっきの店でも広瀬はビールはそこそこにバーボンに切り替えていた、と東城は思った。 「ビールでもハイボールでもなくて水割り派なんだな、水割りうまい?」と宮田が言っていた。 広瀬の美しい顔がほのかなバーの灯りにうかんでいる。東城は、彼から目を離せなかった。この店は暗く、広瀬は自分の正面に座っているので、彼をみていたとしてもそれほど違和感はないだろう。しかし、内心はものすごく動揺していた。広瀬から目をそらせて、他もみろ、と自分にいう。君塚や宮田が話しているので、そちらに視線をむけるが、気がつくと、また、広瀬をみていた。彼の手がグラスをもち、ゆっくりと水割りを飲んでいる。ウィスキーが飲みほされていくのが喉のわずかな動きでわかる。グラスから口をはなす。唇が少し濡れている。形よい手が優雅にうごく。指先が、手の甲が、腕が、なんでもない身体の部位のわずかな動きが、東城を捉えている。 どうかしている、東城は思った。少し酔っただけだ。最近疲れているせいだ。 だが、そう思う反面、自分でもよくわかっていた。これはまずい、本当にまずい。 宮田は、ビールを追加で飲んでいる。彼は、先ほどの愚痴話を続けさらに、気がありそうなので誘ったが返事がない女の話になる。主語は宮田ではないが、本人の話なのだろう。仕事ではなくこっちでむしゃくしゃしているのかもしれない。東城に言わせれば、そんな一度や二度返事がないからといってここで愚痴っていてもどうしようもないと思う。そんな暇があれば、もっと連絡するか自宅か職場に花でももって行けばいいのに。そこまでするとストーカーになるかもしれないが、ある程度のことをした後でないと本当に無理かどうかはわからないだろうに。しかし、宮田は女のことになると急に押しが弱くなるのだ。今回は、特にコメントはしなかった。何か言っても「もてる人にはわからないんですよ」と言われるだけなのも経験上知っている。 急に宮田は「広瀬は、誰かつきあってる人いないのか?」と広瀬に話題をふる。 宮田は、自分のこと以外については、誰にでも率直に質問をする。捜査向きの男だ。答えをえようと熱心にずうずうしく掘り下げてきくのだ。ここだけの話といって、聞かれると、そのうち誰かに話されるんだろうな、と思いながらもつい宮田には話してしまうのだ。署内の噂に詳しいのもそのせいだ。 「今はいない」と広瀬は、答えた。 広瀬が返事をしたこと自体に宮田も驚いたようだった。ぐっと、顔を広瀬によせる。酔っているのかもしれない。「『今は』ってことは、いつまでつきあってたんだ?」 広瀬は、宮田の酒臭い息がかかるのが嫌だったのか、少しだけ身体をよけた。 宮田は、彼が答えるまで待つようにじっと広瀬をみている。 「1年半くらい前」とまた、広瀬は答えた。もしかすると、広瀬もちょっと酔っているのかもしれない、と東城は思った。だから、珍しくこんなプライベートな質問にこたえているのだ。 「結構最近だな。どこで知り合ったんだ?」 「街で歩いてたら、声かけられた」 「えー。逆ナン?さすが、顔がいい男は出会いが違う。いいなあ。って、お前、声かけられてついてったのか?よっぽどいい女だったんだな」いいなあ、と宮田が繰り返しいう。 「声かけられて、よくついていきましたね」と君塚は感心している。「そんなの、なんか裏がありそうで、怖くないですか?」 「声かけられるのはよくあるから」とあっさり広瀬は言った。「ヤバイのはだいたいわかるよ」 「本当かよ」と宮田が返事をする。「お前、『ヤバイ』ってことの意味がわかってないだけじゃないのか。ヤバイこと絶対に今まであっただろう」とかなり強めにいった。さらに、宮田は完全に好奇心まるだしだった。いいなあ、といいながら、「お前ってデートとかどこいくんだ?あまり女の子をどこかに連れて行くとか、楽しくすごそうと努力するとか、サービスしそうになさそうだけど」酔いもあってか、かなり失礼なことを言っている。 広瀬は、首を横にふった。「どこにも行かないよ」と答える。 「うそだろ、だって、つきあってたんだろ」 「街で会って、ホテルでセックスして、わかれるだけだから」と広瀬は答えた。 宮田の手がとまった。君塚はその発言にかなり引いている。 「え、お前それって」と宮田は言った。「ただの、セフレってこと?」なんだよ、それ、と宮田はあきれている。「お前、そんなんばっかなの?」 広瀬はちょっと首をかしげた。「セフレ?」言葉の意味がわからないようだ。 宮田は丁寧に説明している。「知らないのかよ。広瀬、どこの国からきたんだよ。セックスするだけの関係のことだよ。セックスする友達だからセックスフレンドでセフレ。で、セックスしかしないの?」 広瀬はああ、とうなずき、平然としている。「他にすることないだろ」とまで言った。 「だって、彼女が、どこか行きたいとか、なにかしたいとか言わないのか?女の子ってそういうもんだろ。それに、そういうの楽しいだろうに」宮田は納得していない。 「言われたことない」と広瀬はこたえた。 「なんだよ、それ」と宮田は何度も言う。「お前、女もそれで満足って、どんなテクニックの持ち主なんだ」 「おい、それくらいにしろよ」と東城はあからさまな方向に話をもっていきそうな宮田にいった。「もう、遅いから、帰るぞ」腕時計を示す。 そして、立ち上がった。 帰り道、みんなと別れた後、東城は今日の広瀬の話を思い出していた。あんなすました顔をして、どんなふうに女とやるんだろうと考える。セックスのとき、彼の手や唇がどんなふうに動くのか、想像してしまう。いくときの表情はどんなだろう。あの感情のない目も情欲に濡れることがあるのだろうか。 みてみたい、と東城は思った。 自分は、広瀬のことを好きなのだ。彼を抱いてみたい、と。彼の身体を抱きしめ、裸にしてすみずみまで味わってみたい。あの濡れた唇を自分のものにしてみたい。 自分は、広瀬にとらわれてしまったのだ。勢田が広瀬にとらわれたのと同じように。まずいな、と東城は思った。正気を保つようしないと。 とにかく、今は押し殺して距離をとり広瀬にかかわらないでいることだ、と彼は思った。しばらくしていれば、こんな感情は消え去るはずだ。この気持ちが落ち着くまでの間、自分の感情がもれないように、とにかく慎重にして、隠しとおすことができれば、それでいい。広瀬のことは避けていればいいはずだ。どうせ今までだってそんなに親しい間柄ではなかったのだから。だが、その反面、そんな抵抗はできないだろうとどこかでわかっていた。

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