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きっかけ

広瀬は、現場で指示され、周辺の人の出入りを記録しているに違いない監視カメラを探すため外に出た。宮田と手分けして指定されたエリアを探す。 サブシステムの地図で監視カメラとその持ち主の情報を確認する。これ以外にもあるかもしれない。港湾地帯では暗い場所が多い。広瀬は、広い公園に入った。カメラを探すため入っていく。少し前の時間帯であればジョギングする人や犬の散歩をする人などいる公園だが、今はもう日が落ちており遅い時間で人の気配はない。 奥のほうに進んでいくと、カサっという音が聞こえたような気がした。反射的にそちらのほうに進む。公園の物置があり、人が入って行ったような気がした。 「誰かいますか?」 薄暗い物置に近づく。無用心に扉があいていた。先ほどの人影があけたのだろうか。中を覗き込んだが暗くてよくみえない。広瀬は、懐中電灯をもってこなかったのを後悔しながら自分のスマホの灯りをたよりに中に入ってみる。外見よりも物置は広めで、公園で使う道具が並んでいるだけだった。さっきの気配はなんだったんだろう、と思いながら奥に入ると、ガタっと音が背後でした。続いてカチっという鍵をかける音。振り返ったときには物置の扉はしめられ、外から鍵がかけられていた。 予期しない出来事だった。広瀬は扉に手をかけてゆさぶる。 「広瀬さん」と自分を呼ぶ声が外から聞こえた。知らない若い男の声だった。「こんなかたちでお話して申し訳ない。俺は勢田の使いのものだ」 その名前に扉にかかっていた手が止まった。ここで、閉じ込められてどうされるというのだろうか。あのとき自分の喉下につきつけられたナイフを思い出した。ナイフを避けようとして後ろに倒され軽く意識を失ってしまった。気がついたら勢田が自分の身体に冷たいナイフをつけ意味がわからないことを繰り返し話していたのだ。刺される、と思った瞬間に怖くて抵抗できなくなった。恐怖だけが自分を支配していた。いつもは、誰かに攻撃されたら必ず反撃するのに、本当にその行動が必要なときには何もできなかった。東城が助けに来なかったらどうなっていたのかわからない。自分がなさけなかった。 今も、あのときのことを思い出して、頭から血が引く思いがする。 若い男の声は静かだった。 「危害を加えるつもりはない。ただ、俺の顔をあんたにみられるのはまずいんでこんなかたちをとらせてもらった。勢田は今正気に戻ってる。あんたのことを好きなのは変わらないらしいから俺からするとどこまで正気かはわからないが。で、この前は悪かったといっている。あんたをあんなふうに傷つける気はなかったんだ。もっと、穏やかに話しをしたかったらしい。だから、お詫びをしてほしいといわれて俺がここにきた」若い男は言葉をきった。広瀬が扉の向こうで息をしているのを確かめているようだ。「この先でドラッグの売人が殺された。あんたたちはもう捜査しているんだろう。関係があるかどうかはわからないが、浅井という男がこの界隈の半ぐれやヤクザに話をもちかけてきている。黒沼という男の商売のドラッグの調達と売人のネットワークに興味はないかといってきているらしい」 「二人を殺したのは勢田なのか?」声をだすことができた。 「まさか。今時、殺しなんてわかりやすいことするかよ。浅井って奴の話をしているだけだ。浅井は、黒沼の手下の売人を始末して、調達と販売のネットワークを奪うから、今後のドラッグの取引で協力しないかとふれまわっている」 「どうしてそれを俺に?」 「あんたの役に立ちたいらしい。勢田は本当に悪いことをしたと思ってるんだ。この情報があんたの役に立てるのならと言っている」 「勢田の言うことを信用できるわけないだろう」 「まあ、あんたからするとそうだろうな。だから、信じなくてもいい。まあ、この情報があんたの役にたって、次に勢田に会ったときにはほんの少しでもいいから話をしてくれると勢田はうれしいだろうけどな。それも俺にとってはどうでもいいことだが。俺は伝言役をおおせつかっただけだ。この物置の鍵は入り口においておく」そういうと、足音が遠ざかり男の声は聞こえなくなった。 物置の鍵はかけられたままだった。広瀬は、扉をガンガンたたいたが答えはなかった。 どうしようかと思った。勢田のことがあった後に、上司の高田に何かあればどんなことでもすぐに連絡しろと言われていたことを思い出した。あの時、高田からは静かに注意をされた。広瀬がたいしたことはないと思ったことでも、必ず報告はしなければならないといわれたのだ。高田は東城と違って怒鳴り散らしたりはしないが注意されると迫力がある。深呼吸をして支給されている携帯電話で電話をかけた。 公園の物置に閉じ込められたことを言うと高田は特に驚いた声もださず、理由も聞かず、ただ、迎えにいかせると言った。 広瀬はもう一度物置の中をスマホで照らしてみた。扉以外に隙間はないだろうか。あるいはこじあけるバールみたいなものがあれば。 探している途中でスマホの電源が落ちた。充電してこなかったのが悔やまれる。支給されている携帯電話の方が光源が少ない。いっきに視界が暗くなる。残りはサブシステムのタブレットだったが、これをつけっぱなしにすると電源はあっというまになくなるだろう。しばらく、灯りをつけずに待つことにした。 暗闇の中じっとしていると、色々な音が聞こえてくる。虫の声、葉ずれの音、得体の知れないカサコソという音。広瀬は不安になってくる。また、勢田に襲われたときのことを思い出す。あのときの恐怖を。ナイフの冷たい感触を。そして、抗えなかった自分に対して自己嫌悪に陥る。 さっき高田に電話をしてからかなり時間がたっているはずだ。もう一度電話をしようか迷う。ところが時計を見るとまだ10分ほどしかたっていない。こちらに向かっているとはいえ、この物置を探すのにも時間はかかるのだろう。 時々暗闇が不安になって、タブレットの電源をいれあたりを見回してみる。自分で脱出できないだろうか。そう思う反面、ここであわてる必要はない。今、誰も助けに来なくても朝になれば誰かがきて鍵をあけてくれるはずだ、とはわかっている。頭でははっきりわかっているのに心は不安でざわざわしている。 自分が、暗闇と狭い場所がこれほど苦手だとは思わなかった。もしかすると暗い中で勢田に襲われたことが恐怖の回路を頭の中に作ってしまったのかもしれない。 落ち着こうと目を閉じてみるが、かえって不安になる。「はっ、はっ、」という自分のやや荒い呼吸音だけを聞いているとますます息苦しくなってくる。怖いという思いが増幅し、何度も深呼吸する必要がでてくる。だが、やがて深呼吸するたびに胸やわき腹に痛みが走る。まずいな、と思った。こんなに深呼吸しすぎるのはよくない。呼吸困難になる予兆だ。 1時間程度がたっていたはずだ。広瀬には何十時間にも感じられた。 やっと外の草を踏み分ける足音のようなものが聞こえた。扉の外に人の気配がする。扉を軽くたたかれた。「広瀬?」 東城の声だった。広瀬は扉をたたきかえした。とっさに声をだせなかった。東城は外からガタガタと扉をゆすっている。 「鍵かかってるな」と東城が言いながら扉を確認しているようだ。 「下に落ちていませんか?」と広瀬は途切れ途切れに言った。口で呼吸していたため、喉がカラカラ声がでない。 東城はしばらく無言だった。探しているのだろう。そして、カチっと鍵を開ける音がし、扉が開いた。懐中電灯で照らされる。新しい空気がながれこむ。彼の顔は灯りの向こうでよく見えない。 「お前、こんなとこでなにやって」といつもの乱暴な口調できたが、広瀬がせわしなく呼吸している様子に彼は言葉を途切れさせた。 「どうした?」心配そうな声にかわった。手が伸ばされた。広瀬はその手をとった。しがみつくという表現の方があっていたのかもしれない。 広瀬のその動作に東城がとまどったようにしたのは一瞬だけだった。彼は広瀬をひきよせ、自分にだきこんだ。懐中電灯が手放され地面に落ちた。 「もう、大丈夫だから」と耳元で言われた。 東城の肩に額をつけ、目を閉じて息を吸った。勢田に襲われたときに貸してくれたスーツと同じ、フレグランスと彼の体臭がかすかにする。安心できる気がした。しばらくして呼吸がやっとおさまってきた。 広瀬は、頭を動かした。顔をあげることができた。東城と目があう。心配そうな顔だ、と思った。 「すみません。もう、戻りました」 「あ、ああ」東城も身体を離してくる。 だが、広瀬は、自分の手がまだ、東城の左腕をがっちりつかんでいることに気づいた。手がこわばっていて自分の意思では放すことができなさそうだ。もう少し落ち着いたら大丈夫なのだが。どうしようか。 東城もその手に目をやる。そして、広瀬の顔を見た。目があったのだとおもう。自分はどんな目で東城を見たのだろうか。心細いなさけない顔をしているのだろう。勢田に襲われたときと同じだ。あの時も東城が来て安心して力が抜けてしまった。 東城の表情は懐中電灯のわずかな明かりで見えにくい。 東城が、もう一度手をのばしてきて、広瀬のあごにふれた。 何がおこったのか、広瀬には最初はわからなかった。 東城の顔が自分の顔によせられ、唇が口につけられた。東城の舌が口の中に入ってきて、動いた。ほんの数秒のことだ。穏やかに口の中を舌が巡り、広瀬の舌にそっと絡ませてきた。その感触に、また広瀬の身体に緊張で力が入る。 あわてたように東城の顔が離れた。彼自身が、自分のしたことがなにかわからずとまどっているようだった。 「すまない」東城が言った。「その、ほんとうに、悪かった」 広瀬は、ぼうっとして、返事もできない。 東城は立ち上がり、広瀬をそっと支えてたたせた。そして、水をもってくるから、しばらくまってろ、といって、急ぎ足でその場を立ち去った。 ペットボトルの水を持ってきてくれた後、車で署にもどった。東城が黙って運転している。 東城の様子にはいつもの自信も余裕も全くなかった。前を向いて機械的にハンドルを動かしている。キスされた広瀬よりキスした東城の方がはるかに動揺していた。正直、このまま運転していたら事故るんじゃないか、と広瀬が思うくらいだった。だが、自分も先ほどのパニックのせいで手足にまだ力が入らず、仕方ないので、助手席に座っていた。 あやまるなんて、と広瀬は思った。東城らしくもない。あやまるべきじゃなかったのだ。冗談といいはるか、全く逆に傲慢な態度を見せるべきだったのだ。あやまってしまったことで、彼の不安とその後ろにある本気が広瀬にも見えてしまうではないか。 その後、数日、二人とも事件の情報収集にかりだされバタバタと忙しい時間を別々にすごした。その間、東城とは一度も同席することはなかった。いや、明らかに東城は広瀬を避けていた。彼と同じ部屋にいることさえ恐れているようだった。

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