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夜の告白

その日の夜広瀬は、久しぶりに早めに自分のアパートに戻ることができた。夕飯はありあわせのもので適当にすませた。広瀬は、バーボンをロックでゆっくりと飲んでいると玄関のチャイムがなった。 宅急便でもないだろう。来客の予定があったことは一度もない。セールスかもしれないので、居留守でも使おうかと思ったが、気持ちが揺れた。まさか、という思いが頭をよぎったのだ。 そして、玄関をあけると、そのまさかの東城がたっていた。 彼はぶっきらぼうにあいさつしてきた。どこかで飲んでいたのだろう、少しだけ酒臭い。だが、完全に酔ってはいないようだった。 「どうぞ」 広瀬は、なんの問いも投げかけず、東城を部屋にあげた。 東城は、部屋を見渡した。「殺風景だな」と失礼な感想を独りで述べている。 手には、紙袋。中からウイスキーの瓶をとりだし、広瀬に渡した。広瀬がたった今飲んでいるのと同じ銘柄のバーボンだ。いや、普段飲んでいるのよりワンランク上の製品だったから、東城が選んで買ってきたのがわかる。 しばらく間が空いた後、特に頼まれもしなかったが、広瀬は、東城に氷の入ったグラスをもってきて手わたした。東城は、自分で、買ってきたバーボンの封をあけ、かなりな量をドバドバと注いでいた。 東城は、立ったまま一口飲む。ぐいっと全部行くのかと思ったが、そんな映画のようなことはしなかった。 「突然きて、悪いな」と、らしくないことを言った。 「もう来てるんだから、いいですよ」 「それもそうだな」東城は、さらに一口飲んだ。椅子を勧めるべきかと思っていたら、ソファーに座る広瀬の隣に当たり前のように座ってきた。かなり距離は近い。 「話があってきたんだ」と東城は言った。 そういったくせに、東城は無言でうつむいていた。どれくらいの時間だっただろうか。ずいぶん長い時間だ。居心地が悪いなあと思う。立ち上がって、この雰囲気を紛らわせたい。なにかこちらから言うべきなんだろうか。あの時のことなら気にしないでくださいとか、誰にも言いませんからとか。いや、これから何かを言われてもなんのことですか、と忘れたふりをしたほうがいいのか。 身じろぎしたら、東城が顔をあげた。 彼は残ったバーボンを今度こそ一気に飲み干し、グラスを足元の床の上においた。 「この前のことだ」とうとう、東城は口火を切った。 「あの時、あやまったが、撤回する。いや、お前が弱ってたところにつけこんだのは悪かった。それはあやまる。だけど、その、キスしたこと自体にあやまったことは撤回する」 東城の右手が、広瀬の肩にかかった。 「あの後、ずっと考えてた。俺は、お前が好きなんだ。だから、キスをした」自分で言いながら徐々に自分を納得させているようだ。「お前を好きなことが悪いことだとは思えない」 こんな真正面からの告白をされるなんて。言われるのはもっと別な、当たり障りのない言葉から入ってくると思っていた。なんて返事をしたらいいんだろう。 東城は広瀬の返事を求めてはいなさそうだ。それどころか、肩をつかんで動けなくして、顔をよせてきた。 そのまま何をされるのかよくわかっていたが、広瀬は避けなかった。 唇が重ねられた。舌が差し入れられた。広瀬の舌とからめ、口の中を探ってくる。味わうように、食べられるように、舌を吸われ、唾液を飲み込まれた。それでも足りないように口の中をくまなく舌が動く。下唇も軽く噛まれ吸われた。長いキスだった。広瀬は息ができず頭がぼうっとしてきた。 しばらくしてやっと口が離れ、息をつけたと思ったら、東城は自分の表情をみて、またキスをしてくる。大きな身体がだんだんのしかかってくる。 カチャっと音がした。床においた東城のグラスが倒れる音だ。東城がソファーからはみだした足で蹴飛ばしたのだろう。グラスの氷が床にしみを作りそうだ。 「ちょっと、まってください」と広瀬は東城をなんとかおしのけ小さく声をだした。 東城は思いっきりむっとした顔をする。いまここで拒否をするのか?といいたげだ。わがままな人だなあと、こんなときなのに広瀬は少しだけ可笑しくなった。 「なんだよ」広瀬がかすかに笑ったことも気にくわなかったようだ。 「いえ、そうじゃなくて、グラス」と広瀬はいい、起き上がると、床のグラスと散らばる氷を拾い上げた。立ち上がって、机の上におき、ティッシュで床を軽くふいた。 東城は、彼が動く様子をみていた。うなだれている。「いやだったら、いやってはっきりいってくれよ」と言った。「一大決心をしてきてるっていうのに」とブツブツいっている。 だが、一大決心をしてきただけのことはあって、東城は思い切って立ち上がると、広瀬の前に立った。広瀬を見下ろしてくる。背の高さがいつも以上に圧迫感を感じさせる。彼は、じっと広瀬の目を覗き込んできた。広瀬はまばたきした。 「どうしたいんですか?」と答えはわかっているのに聞いた。 広瀬の質問に東城は苦笑した。広瀬の声が少し震えていたことが、いつもの自信と余裕を少しだけとりもどさせたのかもしれない。「どうしたいって、まあ、端的に言えば、お前とやりたい」頬からあごにかけて、人差し指でなでられ、くっとあごを上にむけられた。「今ならまだやめられると思うから、ダメならそうと言ってくれ」広瀬からの拒否はない、と思っている顔だった。 このまま帰ってもらうべきだ、と冷静な部分が自分に警告してくる。東城は酔っている。キスしたりやりたいと言ったりしているが、それは酔った上のことだ。今ここで東城を帰らせておけば、明日になって、あれは酒のせいだったと彼は言うことができる。 そう思う広瀬の考えを否定するように東城はずうずうしくもう一度、唇をかさねてきた。広瀬の口の中をゆっくりとかきまぜ、舌で上あごの裏をなでてくる。何度も何度も東城の舌が優しく強くを繰り返して刺激をしてくる。こんなところに感じる場所があるなんて思わなかった。さらに、彼の舌は歯列をたどってくる。彼の舌が口の中を自在に行き来すると頭の中の冷静な部分が白く飛んでしまうような感じがする。 「なあ、お前も少しはその気があるんだろ?逃げないもんな。あんまり頭で考えてないで、うなずけよ」頭の奥に届く声で言われた。 このまま東城に圧倒され、彼の前でどうにかなってしまいそうだった。キスされたくらいで身体が熱くなっている。いいように扱われてしまいそうだ。 頭の中で、ガンガン警告がなっている。相手は男だぞ、とそれは言う。 勢田のように広瀬にいいよってくる男は何人もいたが、今まで一度も関係を持ちたいと思ったことはなかった。男とセックスするなんて、想像だってしたことはなかった。強引にせまられてもいつもきっぱり拒否していたはずだ。なのに、なんで東城には許してしまっているんだ。とにかくすぐにやめさせるべきだ。 だけど、こうしてキスされるのは嫌じゃない。それどころかもっとして欲しくなっている。自分よりも熱いだろう彼の体温を感じてみたい。東城が言うとおり自分はその気があるってことなんじゃないのか。それとも、今までしたことがないようなたぐいのキスをされてわけがわからなくなっているだけなのか。 警告は義務を果たそうとして、広瀬に伝えてくる。ここでやめにしろ、帰ってもらったほうがいい。この状況はいい結果にはならない。 だが、警告には従わず、広瀬は東城に返事をした。発した自分の声は思いのままにはならず、どうしたって小さい。「このソファーは東城さんには狭いから、 寝室に案内しますよ」広瀬は目で寝室につながるドアを示した。広瀬は自分でドアをあけて、東城を招きいれた。 広瀬はベッドに腰掛けて、わざと荒い動作でシャツを首から脱いだ。ぐずぐずしていたら自分の中の警告に占拠されてしまい、東城に帰るように言って、この時間を終わらせてしまいそうだったからだ。 東城は、ドアに近くにたって広瀬をみていた。彼の行動は東城の予想に反するものだったようだ。 広瀬はスラックスを足から引き抜く。靴下は部屋の中でははいていない。下着もあっさり脱いだ。脱いだものが床にちらばる。 東城は、あっというまに全裸になった広瀬を、上から下までじっくりと見ている。と、やにわに、ずかずかとベッドに近づくと、広瀬を押し倒した。 東城の呼吸が荒い。彼は上から覆いかぶさってきた。両手をつかまれて、ベッドに押し付けられ、唇をかまれた。舌が、また、口に入ってくるが、今度はもっと攻撃的だった。むさぼるように、広瀬の舌をからめとり、口の中を動き回った。痛いほどに舌を吸われ、下唇をかまれた。 東城の口と歯はのどをかるく噛みながら、胸に降りてくる。右の突起を強くかまれた。かなり痛く思わず「っつ」っと声をあげた。東城はそこで目をあげて、広瀬をみた。 「痛かったか?」東城の声はかすれていた。こんないっぱいいっぱいの東城の声、聞いたことがない。 「ちょっと」と広瀬は正直に答えた。強がって否定したら、東城はさらに自分を噛みそうだったからだ。 「ああ」東城は、身体をおこした。「悪い」。広瀬の手をおさえていた両手をはずした。 東城は息をついて、自分を落ち着かせようとしている。広瀬が少しだけ身体を起こそうとすると、それは、右手で制された。こんどはゆっくりとのしかかってくる。東城の右手は大きく、熱く、広瀬の胸を温め、そっと、なでる。ときどき、乳首を指でつぶしてきた。真剣な目で、広瀬を見ながら、彼は首に唇をつけてくる。ざらっとした舌が、なめあげてくる。舌がたどった部分が熱い。 覆いかぶさってくる東城の身体は想像よりはるかに重量があった。しぐさは丁寧になったが、広瀬にはほとんど自由な動作を許さない。 広瀬は、また、だんだんと自分の中の警告が強まってくるのを感じた。それまでは、東城がどうする気でいるのか、あまり考えていなかったのだ。我ながら遅すぎる反応だった。東城は、自分をどうするつもりなのだろう。何をどこまでする気なのだろう。どうして考えずにこんなことをはじめたのか。やめてもらったほうがいい。東城の手が舌が自分の身体にもたらず愛撫と自分の反応の強さに今までにないくらい狼狽していた。 身体が本能的にずりあがり、胸を丁寧になでる右手から逃れようとした。東城は、広瀬の身体が緊張して逃げようとしたのがわかったのだろう、手をとめた。 「怖くなった?」と聞かれる。その声も手と同じで熱を帯び、まだかすれていた。 広瀬は、答えられなかった。東城が、自分を見下ろしてくる。彼は、少し、困ったような顔をした。 右手を胸からはずし、髪をそっとなでてきた。顔がおりてきて、額にキスをされた。頬に、唇に、軽いキスを繰り返される。 「きれいだ、広瀬」と彼は言った。そして、何度も何度も好きだ、と言ってくる。「お前の身体、欲しいってずっと思ってた」耳にささやかれた。「この手も、首も、肌も、なにもかも想像以上にきれいだ。大事にするから。お前が怖がることはしない」だから、安心してと、処女にいうようなことを熱心に繰り返し言いながら、耳の奥に舌をいれてくる。耳の中が下半身につながっているとは思わなかった。熱い息がかかると背中がしびれ、腰まで重くなってくる。彼の低い言葉が耳からはいってきて、抵抗感を失わせていく。 広瀬の身体の力が抜けるとまたキスしてきた。今度は唇を吸われた。軽く歯が当たり、吸われる。そしてまた、歯があたりそのわずかな痛みを消そうとするように優しく吸われ舐められる。広瀬はだんだん唇がしびれ感覚がなくなってくる。唇のはしからのみこめなくなった唾液がつたった。それさえも東城が舐めとる。 キスされるうちに広瀬の身体は重くなってくる。手足が動かなくなってきた。 東城が、口を離すと、胸を吸ってくる。先ほどなでられた乳首を舌でころがしてくる。彼のシャツの袖が肌にすれた。東城はスーツをきっちり着込んだままだ。 広瀬は、自分に残ったありったけの意識をかきあつめた。「東城さん」やっとだした声が上ずっていて、かなり恥ずかしい。 東城は、また、動作をとめた。 広瀬は、東城のシャツの袖をひっぱる。「脱いでくれませんか」 「あ、ああ」東城は、身体をはなした。彼も自分が未だにスーツを着込んだままだったことに今気づいたようだった。 彼は、上着を脱ぎすて、ネクタイをとった。ワイシャツのボタンをはずす。そこで、ふと手をとめた。「全部?」と少しだけからかうように聞いてきた。広瀬にはその冗談につきあう余裕はなく、ただうなずいた。東城が、ふっと笑みをうかべたような気がした。 広瀬の指示通り彼は服を脱いでいく。上半身が裸になった。胸板が厚く日に焼けている。彼がベルトに手をかけたところで、広瀬はあわててベッドのサイドテーブルに手を伸ばし、上においていた小さいリモコンを手にとり灯りを消した。部屋は、ほぼ暗闇になる。 東城は急に灯りが落とされたので手をとめた。しばらくするとベルトをはずす音がした。スラックスを脱ぎ、下着も脱ぎ捨てたのが気配からわかる。 東城は横たわる広瀬にゆっくりと裸の身体を重ねてきた。手探りで、広瀬の顔や身体の位置を確認している。 「服脱いで、灯りけして、正統派なんだな」と独り言をいうのが聞こえた。

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