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明け方
早朝に目覚ましがなった。外はまだ暗い。東城がすぐに目覚ましをとめ、おきて服を着始めている。目をあけた広瀬のまぶたを手でなでる。「家に帰ってきがえるから」と早起きを説明した。「お前は寝てろよ」。広瀬はうなずく。
彼は、広瀬をしばらくじっとみていた。そして、そっと額にキスをおとしてきた。「昨日、すごくよかった」と彼はささやいた。「お前はどうだった?また次の機会があると思っていい?」憎らしいことに、それほど心配そうな声ではなかった。
答えようとしたが変なことをいいそうになり声が出なかった。だから顔をシーツにうずめた。東城がクスっと笑って、広瀬の肩をなでた。しばらくするとドアが開いて、閉まる音がした。彼が家に帰っていったのだ。広瀬は目を閉じた。昨夜東城が来てからずっと続いていた追い込まれるような緊張感がやっととけてきた。
二度寝した後で起きると、昨夜脱ぎ捨てた衣類が床に散らばっているのが目に入ってきた。拾い集めて洗濯かごに入れ、シャワーを浴びた。身体のあちこちに、薄いあざのようなキスマークがついている。こんなところにまで、と思うような場所にもだ。彼がどこをどう触れたのか終始あせっていた広瀬には記憶がない。東城が満遍なく自分にふれてきたということだけがわかった。
机の上にメモが残っていた。東城の個人の電話とメールアドレス、SNSのアカウントが書かれていた。どれかに必ず連絡してくること、と仕事のように書かれていた。広瀬は、長らく使っていなかったSNSのアプリを立ち上げたが「お友達申請」とかいう言葉がでてきた。「お友達」って、なんだよ、と思いやめる。メールにしよう。電話帳に登録をする。だが、メールの白い画面をみているうちにどんな言葉を送ったらよいのか、わからなくなり、再び画面をおとした。後で考えようと思った。とにかく後回しだ。
その日は、東城はぎりぎりに出勤してきて、早く打ち合わせをはじめたがっていた高田にやんわりと注意されていた。高田に詫びをしながら、打ち合わせでメモをとっている東城はいつもと全くかわらない風情だった。打ち合わせの後は、宮田や君塚と軽口をたたき、君塚と出かけていった。
広瀬も忙しかったので、遅くまで仕事になる。宮田がお先にといって帰っていったところではじめて事務室には自分と東城しか残っていないことに気づいた。
東城は、少しだけ首をのばして、宮田が帰ったことを確認した。そして、広瀬の隣の宮田の椅子に座ってくる。椅子が彼の重みにかすかにキシっという音をたてる。警戒する必要など全くないはずなのに、広瀬は反射的に身体をすくめた。
横目でみると、東城が自分をみている。表情は複雑でよく読めない。「お前さあ、メールアドレス書いたメモ気づかなかった?」と聞かれた。小さい低い声だ。気づいたと答えると、なんでメールしてこないんだよ?とさらに聞かれる。
なにを書いたらいいのかわからなくて、とは言えなかった。広瀬がだまっていると、いきなり手をだされた。突然の動作に驚いてわずかに椅子ごと後ずさりすると、「緊張するなよ。いくらなんでもここでお前になんかしたりしないから」と苦笑された。そして、しばらくして、「お前のスマホ」といわれる。「電話帳開いて」
広瀬は、言われるままに渡した。
「登録はしたんだな」と東城はやや満足そうに言った。「だったら、なんでもいいから送れよ。お前の個人の連絡先わかんないと困るだろ」広瀬のスマホを操作し自分のスマホに広瀬の連絡先を登録していた。
そうして笑顔をみせた。「これで、お前にメールできるな」と言った。さらに、「どっか、メシでも食いに行く?」と言ってくる。
「まだ、仕事が」と返事をすると、東城は声をだして笑った。「今日は、もう終わりにしろよ」そして、立ち上がり、広瀬のパソコンを操作し強引にシャットダウンさせた。
「おいで」と子供に言うように誘われた。怖いことはなにもないから、といわれているようだった。
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