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慣れない風情
殺人事件が重なったせいで、仕事がかなり忙しく、東城はなかなか広瀬と顔を合わせ、話をする機会がなくなっていた。時間を合わせてどこかに食事に行こう東城から何回かメールで広瀬を誘ってみたが案の定返信はほとんどない。時々遅い返信がくるが、それにも広瀬のとまどいが透けて見える。そもそも誰かと食事をしたり会話をするのは苦手だと、遠まわしにいわれた。いや、率直に言われたこともある。
そのくせ、もう数回行っているが彼の家を訪れても一度も帰れとは言わない。
うぬぼれではないと思いたいが、東城と身体を合わせるのも嫌ではないようだ。それどころか結構気に入っているようなのだ。東城としては、彼の殺風景な部屋に遅い時間に訪れ、ただ吐き出すようなセックスだけして次の朝あわただしく帰るよりは、美味しいレストランで食事をしたり、いいホテルにでもいって一緒にくつろぎたいところだが、どちらも今のところは広瀬からは断られている。
初めて彼に触れてから何度も彼のアパートに来ている。引き寄せられるようだ。こういう想いは久しぶりだった。最近は、いいなと思って熱心にアプローチしても手に入れると徐々に醒めていくことが多かった。広瀬は、何度触れても知らないところばかりで、さらに探ってしまう。職場で会っているのが不思議なくらい、彼のことは何も知らない。透明な深い湖にもぐって、底をさがしているようだ。
安普請のアパートの金属でできた外階段を音をたてて早足であがって広瀬の部屋のドアの前にたちベルを押すとすぐにドアが開いた。
広瀬がたっている。風呂に入った後のようで、ゆったりとした部屋着を着て肌をしっとりさせ、ほんのりと色づいている。
声は不機嫌で「遅い時間に階段駆け上るとうるさくて近所迷惑になりますから、静かにあがってください」と言われた。
いきなり怒られたなと肩をすくめ東城は詫びて部屋にはいった。途中で買ってきた缶ビールの入った袋を手渡すと、当然のように受け取られる。広瀬の耳が赤くなっているのに気づいた。風呂にはいっていたためではない赤さだ。
顔を覗き込む。
「待ってた?」と聞いてみた。
「どうしてそんなことを」
「すぐ玄関に出てきたから」
「うるさかったからです」
「それは悪かったな」
じっと見ているとうなじまで赤くなってくる。それが可愛らしく耳の下に口をつける。
「いきなりなにを」と片手で押し戻され、もう一方の手で耳を押さえている。
東城は、自分を押した広瀬の手をとった。そして、彼の赤みを帯びた唇を吸った。
シャワーを浴びてそのまま裸で寝室に入ったら、広瀬はうつむいた。本人は既に裸でシーツにくるまっている。
男の裸をみて恥らっているなんて、どこの深窓のお嬢さんを相手にしてるんだ、と東城は思う。しかも自分は、同性で、何度もセックスしている相手だ。こんなウブで、今までセフレがいたとか言っていたのは嘘なんじゃないだろうか。あの場の宮田の質問にふかしただけってことは広瀬に限ってないと思うけど。
東城が今まで付き合っていた女性はどちらかというと男慣れしていて、こんなふうに恥ずかしそうにする者はいなかった。広瀬の恥ずかしそうな、いたたまれなさそうな風情をみると新鮮になると同時に心配にもなる。童貞だったってことはないよな、女とは経験あったんだよな。これから気持ちよくなろうってときにそんな質問したら不機嫌になりそうなのでその言葉は飲み込む。
広瀬は男と付き合うのははじめてだということには確信がもてる。勢田がストーカーしてたみたいに男にせまられることは、よくあるようにと言っていたから、もしかして男とのセックスの経験があるかもしれないと思っていた。
最初に彼に触れたとき、東城も緊張して広瀬の様子にかまっているほどの余裕はなかった。ふと、気がついたらかわいそうなくらいに怯えていた。東城が少しでも無体なことをしたら、逃げるか泣き出しそうだった。それがわかってから慎重に彼を扱おうと思ったのだ。
そして、数回彼を抱くうちに、やっと慣れてきた。次に何がおこるのかわかってきて余裕がでてきたのだろう。表情や言葉がほぐれてきている。
広瀬にとって自分は初めての男だ、と東城は思った。そして、自分にだけ慣れて親しんできている。
うつむく彼の頬をなでてこちらをむかせてキスをしようとしたら、「前くらい隠してください。裸で家の中歩き回るなんて」と抗議された。
「え、そのほうが恥ずかしくないか」
「じゃあ、服を着てください」
「すぐ脱げっていうくせに」東城が笑ったのが気に入らなかったようだ。返事をしない。
「それに、俺、部屋着がないんだよ。お前のは小さすぎるし。今度、もってこようかな。置く場所提供してくれるか?」
「うちは狭いので」と広瀬は言う。この前広瀬の家は狭いからホテルか自分の家に行こうと誘ったことを根にもっているのだろう。
「冷たいなあ。なにもクローゼット持ち込もうって言うわけじゃないんだから」
「当たり前です」
こんな風に広瀬と仕事以外で会話が続くのは新鮮だった。不機嫌な風情でさえ、無表情よりいとおしくなるのは自分が浮かれているせいだろう。
東城がベッドに入りこみ広瀬の肩を抱くと、ピクっと動いた。これも最初の頃にはない反応だ。広瀬の身体は本人の冷たい言葉とは異なり火照っている。
ふと、ベッドサイドにオイルローションのボトルが置いてあるのに気づいた。
「ローション買ったのか?」と聞いて手に取った。新しく、封をあけたばかりだ。
「前に、ないって騒いでたからです」と相変わらずそっけなく答えてくる。
「ありがとう」と礼をいうと、「別に東城さんのためだけじゃないんで」と言ってくる。そして、広瀬は電気を消した。
部屋を暗くしてしまうので、広瀬の顔を見られないのは残念だ。今日の広瀬は最初の頃とはだいぶ違うのでなおさらだ。照れて赤くなっている顔をみたかった。胸に手を置くと身体をよじっている。感じるのを我慢しているのだろう。その顔もみたいとおもった。
暗がりの中、広瀬は、従順に東城の愛撫を受け入れる。身体の反応は最初に比べれば素直になってきた。このままいれば快楽を得られるということを覚えだしているのだろう。乳首を舐めたり甘噛みしたりしながら、彼の欲望の先端を手でいじると、腰を動かしている。
優しく指でくるりと首の周りを回し裏筋を人差し指でたどる。先走りをあふれさせる先端の穴をこじあけるように指でつくと「んっ」と声があがる。こんなふうにくじられるのが好きなのだ。広瀬が好きな箇所を探し、指で口で試しながら彼が快感を得られる場所を覚えていく。広瀬の身体で東城が知らない場所が減らしていく。
そのうちに、全身どこを触れても喜べる身体にしたい。いや、東城がふれなくても、自分が近づくだけで、声をかけるだけで、広瀬が感じるようになるといい、と思っている。今は広瀬の両手は所在無くシーツを上をさまよっているが、いずれは、東城を欲しがってしがみついてくるようになればいい。
東城は、舌で広瀬の性器があふれさせだした透明な先走りをなめとり、口に含んだ。口の中で舌を使って刺激を与えると、また、広瀬が切ない声をたてる。唾液が棹の部分をつたって落ちるのを指ですくいとった。そっと彼の後ろの秘所にその指をすべらせる。広瀬は指が入ってくるのを嫌がって腰を逃がした。そこへの侵入を怖がっているのだ。でも、東城はその場所も知るつもりでいた。
彼の性器を口の中で舐めたり、こすったりするうちに広瀬はあえいで達する。そんな広瀬が自分を忘れる瞬間に、そっと彼の後孔に指をやり少しなじませると、中がぴくぴく動く。もう少ししたら手に入れよう、と東城は思う。広瀬は彼に明け渡すだろう。彼にゆだねてしまえば大きな快感を得られるということを、身体は既に知っているのだから。
広瀬は自分が達した後で、ローションを手に取り東城の固くなった性器に触れてきた。ああ、そのためにローション用意したんだな、と少し可笑しくなった。以前、広瀬をじっくり攻めて2回いかせたら、そのままぐったりして眠ってしまったのだ。東城はかまわなかったが、広瀬はその後は自分が吐き出したら必ず東城に触れてくるようになった。義理堅いのか、自分だけというのがどうしてもいやなのだろう。広瀬の好きにさせておくと、ローションを手にまとい慎重に丁寧に東城の性器を扱ってきた。途中でもどかしくなり、東城は広瀬の身体を反転させてうつぶせにした。後ろから腰だけを抱き上げて、太ももの間にペニスを入れた。ローションを大量にたらしてすべりをよくして素またの状態で、腰を動かした。広瀬は顔を半分こちらにむけ、抗議するような声をあげた。だが、かまわず東城は自分のペニスを広瀬の太ももでこする。後ろから彼の袋とすこし上をむきはじめている性器をついた。その動きに刺激をうけて感じ出したのだろう。広瀬は、だまってしまう。かなり気持ちがいいはずだ。手を前に回して広瀬の性器を軽く握った。そこにもローションをつけてやる。そして、何度もこすってやり、広瀬が達しようとするタイミングに合わせて自分も腰を動かしてそのままいった。
広瀬はベッドの中で半身おこし、けだるそうにしている。東城が部屋を少しだけ明るくして、先ほど買ってきたビールをもってくるとおとなしく受け取り飲んだ。
「東城さん、今まで、男とやったことあるんですか?」と突然聞かれた。
「なんだよ。お前が質問するのも珍しいけど、よりによってそんな質問か」と東城は答えた。自分が広瀬に対して考えていたことを読まれたみたいだとドキッとする。もしかして広瀬も同じようなことを考えていたのだろうか。こいつ、慣れてないなとか。
広瀬は返事をまっているようだ。
東城は、首を横に振った。正直に告げる。「いや、ない。全く。でも、別に同じだろう。人間なんだし。それに、男がどうしたら気持ちいいかは良く知ってるから」そこまで言って、言葉を切る。「まさか、全然よくなかったのか?」真剣に心配になる「お前の前でとりつくろってもしょうがないからいうけど男相手は初心者だから。よくなかったんならよくなかったって率直にいってもらうほうがいいな」
「いえ、そういう話ではないんです」と広瀬は答えた。
「だよな。お前気持ちよさそうな声だしてたし。まあ、もうちょっと長い目でみててくれれば、天国に連れて行ける自信はあるぜ」こういうのは回数と創意工夫だから、と東城はいった。
「そうですか」
「なんだよ、そっけないな。で、お前の話の趣旨はなに?悪くなかったとすると?」
「東城さん、女きらしたことないんですよね」と言ってくる。こんな広瀬ははじめてだ。今日の広瀬はいつもと様子が違う。
「ああ」と東城は答えた。否定はしなかった。
「女に困ったことないんですよね。別れてもすぐに次がいるって。前から男好きってわけでもなく、女にも不自由してないのに、何で俺と、その、寝るんですか?」
「それは、言ったよな。お前聞いてなかったのか?お前のこと好きなんだ」
「それだけで、できるものなんですか?」
「ああ。そうだ」東城はきっぱりと肯定した。「俺、そういうところは節操がないんだ。好きならいつでも即実行。でも、お前は、同僚だったし。俺、職場の子とは付き合わないって決めてたから、どうしようかと思ったけど、好きなものは好きだから」
「そうですか」と広瀬は言った。「長続きしないっていうのも聞きました。つきあってもせいぜい3、4ヶ月で飽きちゃってわかれるって」
東城は苦笑した。「お前、宮田か誰かになんか吹き込まれたんだろ。最近、たまたま1~2人が短かっただけだ。仕事がどうしても忙しくてな。でも、飽きたなんてとんでもない。むこうが俺に不満だったんだ。だいたい、女の子に飽きるってありえないだろ」広瀬はおとなしく聞いている。
「それって、気になる?」と東城は聞き返してみた
「え?」
「いや、女のこととか急に聞いてくるからな。気になる?」
「いえ、別に」
ふうん、と東城は言った。広瀬をじっと見たら、彼の方が居心地が悪くなったのか視線をはずした。「まあ、いいや」と東城は言った。話を変える。「今度の休みいつだ?」と聞いてみた。「食事にでもいかないか。お前にぴったりの店探すから。量もばっちりで美味しい店」
広瀬は首を横に振った。「休みは当分ありません」
「そんなことないだろ」
「何かと忙しいので。東城さんだって休んでないでしょう」
「俺はちょこちょこうまく休みいれてるんだ」
「そうですか」と広瀬は答えた。
忙しいので休みがとれないというのはわかる。だが、忙しい以前に休みや一緒に食事といった事柄に広瀬は返事をする気はないようだった。もう少し親しくなってくれてもいいだろうに。こんなに何回も身体をあわせているのに。
「明日は何する予定なんだ?」
「引き続き監視カメラを確認します」
「ああ、そうだった。広瀬に気をつけろって言えって高田さんに言われてたんだ」
「何にですか?」
「監視カメラ探すの熱心で結構だが、暗くて狭い場所に無理やり入り込まないようにって言ってた。暗いとこ苦手なんだろ」
「別に苦手じゃありません」と広瀬が答える。つんとした様子で、東城の話しがいかにも心外だという風情だ。
「この前、物置小屋に入り込んで助けにいったら、半べそかいてたじゃないか」思わずからかってしまった。
広瀬は東城をにらんできた。「半べそなんてかいてません」こう反論してくるのは珍しい。
「いや、かいてただろ」と面白くなってさらに追求してしまう。
「あの後俺にキスして、ビビリまくってた人に言われたくないですね」
東城は思わず声をたてて笑った。「お前、そんなふうに思ってたのか」確かに、あの時はほんとうに焦った。自分で自分が制御できなかったのだ。あんなふうに引き寄せられるようにキスをしてしまうなんて。「仕方ないだろ。好きな子が泣いてすがってくるんだから。キスする気はなかったのに、つい、しちゃったんだ。ビビリもするさ」
「だから、泣いてません」と広瀬は言った。
「そうか?まあ、俺の勘違いってことでいいや。それにしても、お前、なんだってあんなとこにいたんだよ。高田さん、不思議がってたぞ。変な趣味じゃないといいんだがって言ってた」
「あれは、自分からじゃなくって」と広瀬は説明しかけ、あ、っと声をあげた。「勢田のこと、忘れてました」
「勢田?」東城は、思わず広瀬の肩をつかみそうになる。「あいつがまたいたのか?」
「違います。勢田の使いっていう多分若い男です。この前の詫びだっていって、浅井という男の話をしていました。黒沼のところの殺しは、浅井という男が関係している可能性があるって。勢田の黙打会に黒沼のビジネスの縄張りを持ち込む話をしてくる浅井という男がいるっていっていました」
広瀬は物置で聞いた話を説明する。
「お前、なんだってそんな重要なこと、黙ってたんだよ」
「すっかり、忘れてて」と広瀬は答えた。本当のようだ。忘れていた自分に驚いている。「あれからあんまりいろんなことがあったんで、全部消し飛んでしまってて。だいたい、東城さんが」と言って言葉を切った。
広瀬はあきらかに肩を落としがっくりしていた。おこったいろんなこととは、東城がキスしたり、この部屋にきて告白したりということなのだろう。広瀬にとって、そちらのほうが衝撃的だったのだ。
「明日、高田さんにその話しろよ」と東城は言った。落ち込む彼の頭をなでる。少し癖のある黒い髪だ。そこで、東城も思い出したことがあった。ささいなことだ。「そういえば、高田さんに頼まれた。広瀬の髪長いから切れって言えって。伸びてるから切れよ。なんで俺に言わせるんだろうな。自分で言えばいいのに。俺、お前に何回も髪切れっていってる」
広瀬は東城の手を穏やかにだが払いのけた。「床屋は嫌いなんです。話しかけられるから」
「はあ?じゃあ、俺が切ってやろうか?」
「もっと嫌です」
広瀬は横になった。大事な話を忘れていたのがショックだったのだろう。むこうをむいたまま寝てしまった。
熟睡していると急に揺り動かされた。
「東城さん」
「ん?」寝ぼけて誰が話しかけてくるのか最初わからなかった。
「浅井のこと、わかりました」
「あさい?あさいってなんだ?」
電気がパチッとつけられる。まぶしくて目をおおった。いつの時代の取り調べだよ、と思っているとさらに身体をゆさぶられる。
「東城さん。さっき話していた浅井です」
「広瀬?」目をあけると、広瀬が立っている。手に彼のサブシステムのタブレットを持っている。
「あったんです」タブレットの画面を見せられる。
うそだろ、と東城は思った。何時だよいったい。時計を見ると、4時台を示していた。
仕方なく押し付けるようにみせられたタブレットを見ると、ビルのテナント表示板の写真があった。黒沼産業の入っているビルの5階にアサイコーポレーションという表示がある。
東城は広瀬とタブレットの画面を見比べる。
「浅井は黒沼の関係者かもしれません」彼は別な画面を示す。「殺された不動産屋が仲介した契約です。このビルの3階だけでなく、5階もありました。黒沼産業のことしかみてなくて、気づかなかったんです。さっき目が覚めて、どうしても気になってサブシステムに入力したら、この関連がでてきたんです」
仕事のことだとこんなに多弁だ。サブシステムが役立ったのがよほどうれしいのだろう。
「そうだな」ととりあえず東城は相づちをうった。
「行きましょう」
「は?どこに?」
「アサイコーポレーションです。調べに行きましょう」
「お前」東城は横になって目をとじた。「それはないよ、広瀬」と言った。
「どうしてですか?」
「まだ暗いから。みんなまだ寝てる」
「だから行くんですよ。誰もいないから調べやすいはずです」広瀬は不満そうだ。「せっかくおこしてあげたのに」
「え?」思ってもみない言葉だ。
「1人で行こうかと思ったんですけど、そんなことしたらまたすごく怒ると思って、起こしてあげたんですよ」
東城は目をあけて広瀬をみた。「お前、いつもこんなふうに仕事してるのか?時間関係なく?」
「そうです」当たり前だ、という口調である。「東城さんが行かなくても、俺は行きます」広瀬がシャツを着始める。本気のようだ。
「わかったわかった」と東城は言って、起き上がった。自分は着替えがないんだった、と思ったが、おいて行かれそうになったので言わなかった。
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