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進展する捜査

広瀬は宮田と一緒に浅井を調べるよう命じられた。 浅井の事務所のアサイコーポレーションを訪ねたが浅井自身はいなかった。 オフィスには、留守番をしているという若い男が1人だけいた。聞くと、浅井はここ2ヶ月くらい事務所にはきていないらしい。他の社員もほとんど顔をださなくなっているということだった。何かあったんですか?と心配そうにしている。 アサイコーポレーションの登記をとると、そこには、黒沼の名前が取締役ではいっていた。出資者でもあるようだ。会社の業務内容は、投資や輸出入、小売、インターネットサービスなど様々なことが書き込まれており、どれが本業なのかはわからなかった。郵便物の送り主の情報集めると、黒沼のグループらしい会社もあった。 広瀬は、宮田と一緒に浅井の自宅を訪れた。家賃もそこそこにかかりそうなマンションだ。郵便受けはいっぱいになっており、請求書のたぐいも多い。少なくとも数週間は帰ってきていなさそうだった。 管理会社に問い合わせるとすぐに管理人がやってきた。聞くと、ここ数ヶ月家賃がとどこおっているらしい。管理人は困った顔をしている。 「浅井さんしばらく外出されているみたいですね」と広瀬が管理人に言った。「なにかご存知ですか?」 「住民の生活のことは何も知らないです。家賃の件でお電話はしているんですが、でれれなくて、法的な処置をしなくてはならないと思ってはいます」 「そうですね。連絡がとれないのは心配ですね。中で倒れてたりしてないといいんですが」 管理人はぎょっとする。 「たまにあるんですよね。行方がわからないと思ったら室内で急に病気か何かあって亡くなっているケースが。特にご家族もいない場合、探す方もいないから、見つかったときにはひどい状態で。この暑さですし」 「そんなことあると困ります。ここは高級賃貸マンションなんですよ」と管理人は言った。 広瀬はうなずく。「よく、管理人さんが心配されて我々が呼ばれて、一緒に鍵をあけるケースもあるんですよ」 管理人は、広瀬の言うことを理解したようだった。「無事を確かめるんですよね?」と念をおす。 「もちろんです」広瀬はいう。 管理人が鍵をあけると同時に、管理人より先にドアをあけて、中に入っていった。 部屋はこもっており、熱気がむんとでてくる。 宮田は鼻をハンカチでおさえる。「変な匂いしないか?」汗もついでにふいている。 「死体の腐ったのとは違いますよ」と広瀬は言った。以前東城と一緒に入った倉庫の遺体を思い出す。あれほど強烈ではない。「死体ではないです」とぎょっとした顔をしている管理人に言う。 死体がないからといって、そこで引き返すことはない。広瀬は靴を脱ぎ、手袋をしながら中に入った。誰もいなさそうだ。匂いの元はキッチンの流しに合った生ゴミだった。異臭を放っている。それ以外は特ににおいそうなものはない。 匂いよりも、この暑さの中閉め切って何日もたっていた部屋の温度にまいる。勝手に入っている手前、窓をあけたりクーラーをいれるわけにもいかず、汗が噴出しとまらなくなる。シャツもすぐにびしょびしょになった。 「暑いな」と宮田は言いながら部屋をまわる。「整理されていないんだな」部屋の中は雑然としていた。キッチンのテーブルの上にはいくつも書類の袋がおかれていた。 「暑いから、外にでて待っていていただいていいですよ」と広瀬は管理人に言った。 「え、でも」 「ここは身体に悪そうですし、自分たちも浅井さんが無事なのを確かめたらすぐにでますから。そうですね、15分くらい」と広瀬は腕時計を見ながら言う。 管理人は汗をふきながらどうしようか迷っている。このまま二人の刑事を残して自分が外に出たとして、後で何かあったら責任をとらされるだろうか。だが、この二人が部屋で捜索するのをただ見ているほうが後々問題になりそうだ。 「浅井さんの無事をきちんと確かめるだけなので、ご心配はいりません。何も持ち出したりしません」広瀬は重ねて言う。静かだが、きっぱりした口調だ。 管理人はうなずいて、「15分くらいですね」と念をおしてでていった。 「広瀬、しょっちゅうこんなことしてるのか?」と宮田が机の上の書類を見ながら聞いてくる。「令状もなしで家捜ししてまずいんじゃないのか?」そういいながら、封筒の口から紙をとりだしひろげる。 広瀬は黙っている。タブレットを取り出して動画をとりはじめる。書類はぱらぱらめくって撮影していく。他の書類も手早く撮影した。宮田は広瀬が広げた書類をもとにもどしていく。 家の中を歩き回りめぼしい資料をどんどん撮影していく。浅井のビジネスのカタログや古い通帳もあった。宮田は広瀬の後をついて回っている。動画を撮影しているので声を出さないが、あきれているのはわかる。 ある程度目に付くものは撮影できた。時計をみると20分はたっている。玄関の外に出ると管理人が腕時計をみながら心配そうにたっていた。 「浅井さんは部屋にはいらっしゃらないです。外出されているようですね」と広瀬は言った。 管理人は中をみまわり、特に変わった様子がないのを自分の目で確認していた。そしてでてくると玄関に鍵をかけた。 「このまま浅井さんがいなくなったらどうなるんでしょうか?」と聞かれる。 広瀬は宮田を見た。宮田があわてて答える。「えっと、契約時に保証人をとられてはいませんか。まずは、その人に連絡するといいですよ。お手伝いしましょうか?」 管理人はうなずいた。管理人が確認したところ、保証人は浅井の家族だったが、そちらに記載された電話番号は不通になっていた。添付されていた住民票は本物っぽくはなく、そもそも本当に家族だったのかも怪しくなってしまった。 帰りの車の中で、宮田が広瀬に批判的なことを述べている。 「広瀬、いつもあんなふうに部屋にあがりこんだりしてるのか?」 「管理人さんに許可をとったよ」と広瀬は答える。「浅井さんが室内にいて倒れてるかもしれないから、確認していたんだ」 「ついでに動画を撮影してたっていうのか?」 「見つけたときに状態がわかるから」 「俺、広瀬のこと変だっていう奴に反論してたけど、今日、自信がなくなったよ。こんなふうに部屋に入り込んで動画撮影するって後で問題になるよ。浅井に訴えられたらどうするんだよ」 広瀬は無視した。ぶつくさ言ってるが宮田だって自分を手伝っていたのだ。だいたい、自分と一緒にいる人間は仕事のやり方を批判するわりに、後からしっかりついてきたりしているのだ。 無視されたのがわかっているのだろう。宮田は、「広瀬、いつかまずいことになるよ」と何度も言っていた。 事務所にもって動画を見ながら宮田は広瀬に聞いてくる。「動画いっぱいとってたけどテキストにするの相当手間がかかりそうだな。分量も多いしな。手分けする?」 広瀬は首を横に振った。彼はタブレットを充電器に差し、アプリを起動した。「電源くうから、途中でなくならないようにする」そして、先ほどとった動画を読み込んだ。動画がゆっくりと静止画に切り出されていく。そして、文字認識がされて、テキスト化されていった。 「量が多いから、何時間かかかると思う」と広瀬は言った。 「こんな機能あるんだ」宮田は驚いた口調で言った。 「動画や写真同士で、他の情報と結びつけることもできるんだけど、テキストにできると、文字情報の関連性を把握しやすくなるんだ」と広瀬が説明した。支給されているタブレットの気にいっている機能だ。 テキスト化まではできたが、もちろんそれを読み解かなければならない。書類の大半は、ちょっとした連絡事項や何かのカタログのたぐいだった。だが、通帳の情報と財務資料、その他金銭がらみの資料もある。 宮田は広瀬と数字を眺めた。量が多い上に整理がされていない。おまけに、この手の書類の意味がよくわからない。勉強しろとは言われているが、とても手をつける時間はないのが現状だ。 「これから、簿記の勉強でもするか」と宮田が冗談のように言った。広瀬が宮田に目を向けると、「そういう目で俺をみるなよ。わかんないものはわかんないんだから」と言う。「東城さんに聞いてみる?広瀬もう東城さんと喧嘩してないんだろ」 その名前にドキッとする。「なんで東城さん?」と思わず聞いてしまった。何かが表情にでていないといいが、と思う。 「あ、広瀬知らないんだよな。あの人、前に本庁でこういう書類相手に仕事してたらんだよ」と宮田は言った。「意外かもしれないけど、あの人結構優秀らしいのか、キャリアじゃないのにかなり早いうちに本庁に配属されたらしい。経済犯罪を扱ってたんだって。だから、こういう文書については猛烈勉強したって、これは本人が言ってた」 宮田はちょっと話をきった。広瀬が珍しく人の噂話をじっと聞いているので話を続けてくる。「で、こっからは噂だから嘘かもしれないけど、本庁の配属された先は民間企業の経済犯罪の特別チームかなにかだったんだって。でもそのチームのリーダーが強引な捜査か何かをしてトラブルがあって解体したらしい。リーダーは左遷されて、チームのメンバーは全員配属替えになって、東城さん大井戸署にきたんだ。あくまで噂だけど、そのトラブルのときに偽証しろって上からいわれて、拒否したらしい。一番の若手だったから、上は言うこと聞くって思ったんだって。偽証したら本庁に残すっていわれてたんだけど、自分の知ってることしか報告書には書きたくないっていったんだってさ。東城さんにしちゃちょっとかっこよすぎるよな。俺は話半分しか信じてないけど。偽証しなかったから本庁はだされちゃったんだって。で、経済犯罪じゃない今の部署に来たらしい」 「そう悪い展開でもないと思うけど」と広瀬は感想を述べた。 「だろ。どうも、偽証しなかったことを評価した偉い人がいて、左遷とかじゃなくって大井戸署にきたらしいんだ。本人は何も言わないけど、本当は本庁に戻りたいんだって言われてる。戻る可能性は限りなく低いだろうけどな」 東城が本庁にいたということやそのトラブルの件は聞いたことがなかった。そういえば広瀬は東城の個人的なことはよく知らない。宮田や他の誰かからの噂話だけだ。 夜に広瀬のアパートで会っても彼とは仕事に関する話題をするだけだ。彼は広瀬に立ち入った質問をしてこないし、自分の話もしない。こういう関係をなんと言うんだったか。会って、セックスして、ただそれだけ。お互いにふみこむことはない。前に宮田がこういう関係のことを短い言葉で言っていた。あの時は、そういう言葉があるんだと思ったが、なんと言うのかは忘れた。 夜、事務所に帰ってきて席で仕事をしている東城の横に宮田は立つ。彼は書類の束を見せながら話しかけた。広瀬は宮田の後ろから東城を見ている。 「なんだよこれ」と東城は怪訝そうに書類をぺらぺらとめくっている。通帳のコピーや財務諸表だと気づくと宮田の肩越しにいる広瀬に疑いの目をむけてくる。「どこで手に入れたんだ?」やや詰問口調だ。 「浅井の住居にあったのがたまたま広瀬のタブレットで撮影できたんで文章にしたんです」 「たまたま撮影?」東城は広瀬から宮田に目を移す。「宮田、お前まで広瀬と一緒になにをやってるんだって高田さんに言われるぞ」 「それはこの前東城さんが言われてたことでしょう」と宮田がにこやかに、穏やかに言った。 高田さんそんなこと言ってたんだ、と広瀬は思う。高田にとって広瀬は大事な部下を変なことに巻き込む要注意人物なのだろう。 宮田が言葉を続けている。「黒沼のビルに早朝二人で行ったらしいじゃないですか。高田さんが東城さんにあきれて注意してたの聞きましたよ。広瀬だけで十分やっかいだから、命令されてもいないのに事件の捜査で一緒に行動するなっていわれてましたよね」 「よく知ってるな。好奇心旺盛で結構なことだ」東城は答えた。口調はやや険しい。 宮田は笑顔を変えない。「俺は、広瀬と一緒に浅井のことを調べろって言われて、たまたまその情報を手に入れただけですよ。それにしても、東城さん、この前、早朝になんで広瀬と一緒に黒沼のビルになんて行ってたんですか。偶然にしては早すぎる時間ですよね」 東城は宮田になんて説明をするんだろう、と広瀬は思った。それに、宮田はどうしたって急にこんな話をしているんだろう。宮田の口調にはからかうような軽さが少しだけある。 東城は手元の書類と立っている宮田の顔を見比べているだけだ。彼は返事をしなかった。 「って高田さんが不思議がってましたよ」と宮田は言った。東城をその件で追求する気はないようだ。「お忙しいとは思いますが、可能な範囲でいいのでその書類見てくれませんか」と頼んでいる。 「いつまで?」と東城は答えた。 「なるはやで」 東城は嫌そうな顔をする。「今日中ってことかよ?」 「いえいえ。明日でいいですよ。もちろん」 「明日か。こんなごちゃごちゃな書類渡してよくそんな短期間指定してくるな。データはあるのか?」そういいながら、東城は書類をファイルにとじた。宮田は広瀬をせっつきデータを東城にわたさせる。そして、低姿勢に何度かよろしくお願いしますと頭をさげていた。 次の日の夜、広瀬が宮田と事務所に戻ると、東城が書類を返してくれた。 書類は宮田が渡したときとは異なり、きれいに整理されている。インデックスがつけられ、付箋がはられ、コメントがいくつもついている。 東城が作成した数枚のまとめ資料もついている。時系列で整理した結果や分類した結果などがわかりやすく書かれている。短時間にこんなことできるんだ、と広瀬は感心した。 「ここからわかることはそう多くはないな」と東城は言った。「アサイコーポレーションは、一昨年まではまあまあ好調だったが、昨年末から急に財務状態が急に悪化している。通常のビジネスは、金は出たり入ったりで大負けすることもない。数年前からやっている、投資ビジネスに失敗した可能性が高いな。個人でも法人でもかなりの負債で、返せない可能性が高い。投資自体は自分の金だけじゃなく投資家を募っている。この投資家はその辺の篤志家ってわけはないだろう。やばいところから金を引っ張ってきていて投資させて、それがだめになったとしたら、今頃コンクリート詰めになって東京湾に沈んでるくらいの負債だ。黒沼の縄張りを売るって話も、この投資案件が理由じゃないのか?」 「詐欺という可能性はありますか?」と宮田は聞いた。「もともと投資自体が詐欺で浅井が金を集めていたということは?」 「投資説明のカタログみるとほぼ99%でたらめなことしか書いてない。ECBとかFMCとか何だかどうでもいいことばっかりだ。唯一確かな内容はいくら投資しなければならないかってことだけだ。だから、浅井は最初から詐欺目的だったのかもな。だが、今、泡食ってるとしたら、浅井もこの話のどこかで誰かにだまされたって可能性もある。この手の投資話は千三つどころか万に一つくらいしかまともな話はないから詐欺とわかってマネロンした奴がいたり、マネロンすると言って騙し取ったり、って世界だから」と東城は言った。 宮田が丁重に何度も礼をいっていた。「何かお礼を」 東城は宮田の言葉に何かを言った。広瀬にはよく聞こえなかった。宮田は同意している。そして東城はあからさまにあくびをし「誰かのせいでただでさえ忙しいのに昨日はほぼ徹夜だったから、帰る」と言って帰っていった。 東城からもらった書類をファイリングしながら宮田が言った。不満そうな声だ。「広瀬、なんで後ろで黙ってたんだよ。俺ばっかお礼言って、俺だけが頼んだみたいじゃないか。嫌味も言われちゃうし」 「お礼言おうと思ったらでてっちゃったから」と広瀬はもごもご答える。タイミングがつかめなかったのだ。自分でも言い訳をしていると思う。 「親しき仲にも礼儀ありっていうだろ。東城さんかなり時間かけてくれてた。あの人、結構そういうことに細かいし、後で言われるよ」と言われた。「今度会ったらちゃんとお礼いっといたほうがいいよ」 うん。と広瀬は答えた。確かに東城はそういうことにうるさそうだ。かといって改めて御礼をいうのも違和感がある。 ふと、気になったことを聞いた。さっき宮田は東城になにを言われてたんだろう。「東城さんにお礼ってなに?」 「ああ、お礼っていうか、うーん」宮田は複雑な顔をしている。「自分の、東城さんのことを他人に話すなって言ってた。うそでも真実でもって」そして、肩をすくめた。「つまんないこと気にする人だから」

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