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コミュニケーション能力
二人を駅前に送り、東城はハンドルを切って大井戸署に向かった。
「黒沼に何言われたんだよ」と東城は聞いてくる。
「たいしたことじゃないです」
信号が赤になり車がとまると、広瀬の方をむいて再度聞いてくる。「お前、勢田のときもそういってただろ。黒沼といい、勢田といい何で変な奴ばっかお前に気があるんだ」
広瀬は黙って東城をみる。
東城は苦笑した。
「お前、俺も変な奴の仲間だと思ってるんだろ。まあ、否定はできないよな。俺も勢田もお前にはまってる点では同類だ」
「黒沼のことは気にしないでいいですよ、話しかけられたといっても冗談みたいなものですから」
「気にするなっていわれても、気になるに決まってるだろ。自分の恋人にちょっかい出されて」
その言葉に「え?」広瀬は驚いて声をあげた。
「『え?』ってお前、今の話のどこが、『え?』になるんだよ」と東城は広瀬をみてくる。が、すぐに信号が青にかわり、彼は前をむき車を走らせた。
「いえ、ちょっと」
「なんだよ。答えろよ」
「びっくりしただけです」
「だから、なにに?まさか、お前、俺のこと恋人って思ってないのか?」
広瀬はすぐには返事ができなかった。
東城は、ため息をつく。「まあ、そんなとこだろうとは思ってたけど」と彼は言った。「かっこわるいこといいたくないが、俺ってなんなんだ、お前にとって?やっぱ、ただのセフレ?」
「あ、それ」そうだ。その言葉だった。宮田に教えられたあとずっと思い出せなくて頭の片隅になんとなくひっかかっていた。
「『それ』って、そうなのかよ」
「まさか、セフレじゃないですよ」あわてて答えた。
「じゃあ、なんなんだ?そりゃあ、会ってすることっていえばセックスだけだけど。俺は、恋人のつもりでいたんだが」
「恋人って言って欲しいんですか?」
「そっけない奴だな。俺がどう言って欲しいかじゃなくって、お前がどう思ってるかなんだけど」
「そうですか」
「お前って難しいよな。メール送っても返事もほとんどこないし。一緒に食事もだめ、ホテルもだめ。休みがいつかも教えてくれない。そのうえ、さっきの『え』だもんな。この前のセックスはお前にとっては最悪だっただろうから『セフレじゃない』っていうのはもうセックスもしないってこと?」
広瀬は東城の横顔を見た。「最悪なんていってないですよ」
そこは訂正しておかなければ。東城は広瀬がこの前のホテルでのことを根に持っているとでも思っているのだろうか。
東城は広瀬の返事が聞こえたのか聞こえてないのか、自分の話を続けている。
「仕事とはいえ、今日の話し聞いたりすると、お前が黒沼の警護班なんて、すげえ嫌だ。俺、独占欲強いんだよ。俺のものには誰にも手をだされたくない」
広瀬はさらに驚く。「東城さん」
「なんだよ」
「俺は、東城さんのものじゃないですよ」
「なんで、俺のもんじゃないんだ?俺としか寝てないんだろ。お前」
「それとこれとは」
「わかった」と東城は投げやりに言った。「嫌なことはきちんと否定するんだな。俺もお前の気持ちがわかるから助かるよ」
「東城さん、あの」
なんだか東城は自分の中で一方的に広瀬の気持ちを決め付けているみたいだ。
何をどこから訂正すべきかはわからない。
何か言わなければ。でも、何を。
「これ以上話すと事故りそうだ」と広瀬は話をさえぎられた。「あー。このまま高田さんのところに戻らずに、どっか行きたくなるぜ。お前を連れて」
「東城さん、それは困ります」
「わかってる。わかってる」
東城は、もちろん方向を変えることはなく大井戸署まで運転していった。
駐車場にきれいにとめたあと、東城は、ハンドルに額をあててしばらく動かないでいた。
「先に行ってていいぞ。ちょっと、疲れただけだから」と東城がいうので、広瀬はその言葉にしたがって、車をおりた。
事務所に行くと、高田が待っている。今回の事件の関係者はほぼいる。東城があとからあらわれた。
「なんだ、会うなり喧嘩でもしたのか?」と高田が東城にからかい口調でいう。「広瀬を迎えにいけっていったらうきうきでてったのに、戻ってきたら仏頂面か」
「高田さん」と東城はため息をつく。「疲れてるんで、冗談はそれくらいにしてください」
広瀬は、警護班の様子と黒沼の様子を報告させられた。
警護班は、寄せ集め部隊なので、雰囲気やもともとの出身組織の介入状況もあわせてきかれた。
黒沼の周辺情報や浅井の動向についても進捗が報告された。浅井が黒沼のドラッグ売買などのビジネスを黙打会や他の暴力団、半グレに売ろうとしているのは裏づけがとれつつあった。さらに、浅井が海外のベンチャー投資に失敗し、かなりな借金を負っていることもほぼ確かだった。
浅井には、彼に資金を預けた半グレの1グループが協力しているようだった。今回の殺しは彼らが関係しているのかどうかが調べられている。
浅井自身が今どこにいるのか、まだ生きているのかはわからない。黒沼が連絡を取ろうとしているが、浅井から返事がくるかはわからなかった。
会議の後、広瀬は1人高田に呼ばれた。
「広瀬、警護班の班長は俺の知り合いだ。やつはいいやつだ。頼りになる。お前も信頼していい。だが、やつはやつで自分の班の勤めを果たしたがるだろう。広瀬、お前の優先順位は、こっちの大井戸署にあることを忘れるな」
広瀬は、「はい」と返事をした。
「警護班の最大の失敗は、犯人を逃すことではなく、黒沼をやられることだ。黒沼の警護をしてるんだからな。あっちは、黒沼の保護を優先させる可能性がある。だが、われわれとしては、黒沼ごときチンピラがどうなっても、かまわない。といったらいいすぎだが、それよりも犯人を逮捕したい。連続殺人犯だからな。社会的な脅威として考えれば、犯人を取り除くことが先だろう」
高田は言葉を切る。そして、広瀬にここからはメモをとるな、といった。
「ここだけの話だが、黒沼に、浅井をおびき寄せる役割をさせたいと思っている。黒沼もおそらくそのつもりだろう。もし、浅井をおびき寄せるつもりもなかったり、ビビッていたりしたら、お前からそれを黒沼にさせるよう誘導しろ。警察が守るから、犯人をあぶりだそうとかなんとか言ってな」
「わかりました」広瀬は了解した。
内心は、そうはいっても、びびってる相手には難しそうだな、と思う。広瀬自身、誰かを説得できるタイプではない。言葉もうまくない。そもそも、説得できなさそうだと思って話したら、成果は全くでなさそうだ。
高田自身も広瀬に指示しておきながら、うまくいかなさそうと思っているようだ。彼は続ける。「ラッキーなことに黒沼はお前のことを気に入ってるそうじゃないか。この際だから、色じかけでもなんでもして、その気にさせてみろ」
「色じかけ、ですか?」広瀬は、困惑する。「具体的にはどうしたらいいんですか?」
高田はしばらくだまっていた。「具体的にって、なあ」と言うと、小さくため息をついて首を横に振った。「今のはセクハラに近い発言だったな。撤回する。忘れてくれ」
そして、また沈黙の後に言った。「まあ、お前なりに工夫してみろ。全然動かせそうになかったら相談しよう」
高田は、帰っていい、と広瀬にいった。「今日は遅くなったがゆっくり休め。明日もあっちにいくんだからな。他所の人たちと仲良くやってこい。誰とも喧嘩するんじゃないぞ」
広瀬が、自分の机にもどると、東城がまだいた。君塚もいる。広瀬を待っていたのだろう。
「送る」と東城は広瀬と君塚にいった。
君塚は、高級車をみて、すごいなあ、とひろしきり感心している。彼は、後部座席に座り、居心地のよさを確かめ、称賛の言葉をだしている。確かに、東城の車は、革張りでゆったりしており、座るとしっくりとし落ち着くことができる。
「高田さん、何の話だった?」と東城は広瀬にきいた。
広瀬はかいつまんで東城に説明する。ただし、高田が撤回するといっていたので色じかけ云々はいわなかった。
君塚は、その話に「刑事ドラマみたいですね」と言っていた。
「大きな事件だからな。大井戸署としては、犯人をあげたいんだろう」と東城は言った。「まあ、お前が責任を感じることはないさ」と言った。「上の思惑に振り回されることはない」
広瀬は同意した。
車は音もなく、振動もなく、すべるように街を走っていく。家の中にいるような安心感だった。聞こえてくるのは、君塚と東城が小さな声でする仕事の話だけだ。気がついたら少しうとうとし、そのまま、眠ってしまった。
「広瀬、悪いな、もう家についたから」そういって、東城にゆりおこされた。
頭の中がまだぼうっとしていたが、だんだん目は覚めていく。そういえば、前も車で寝て起こされたな、と広瀬は思う。
目をあけると、東城が顔を覗き込んでいた。「大丈夫か?」心配そうな表情だ。
広瀬は、身体をおこした。東城の上着がかけられている。
「君塚は?」後部座席には彼はいない。
「あんまり良く寝てるから、奴を先に送って、戻ってきたんだ。どっか体調悪いのか?」
「遠回りさせてすみません」広瀬は上着を東城に返した。そして、あくびをした。「体調が悪いわけではないです」
「疲れたんだな」
広瀬は伸びをした。「そうでもないです。ゆっくり眠れたので」
「お前、そういえば、前も熟睡してたな」と東城も思い出したようだ。「どこでも熟睡できるっていうのはいいよな」
「普段は、そうでもないんですけど」と広瀬はこたえた。そういえば不思議だ。「俺、どちらかというと眠りが浅いほうなので」
「そうか?お前、いつもぐうぐう寝てて、多少のことじゃあ、起こしてもおきなさそうだぞ」と東城は言った。夜のことだ。二人で寝ているときも、広瀬はよく眠れている。それも、不思議な気がした。広瀬の狭いベッドでは、いつもからだのどこかしらがあたっている。普段、あんなふうに誰かと寝ると、相手が寝返りをうつたびに目を覚ましていたのに、東城とは、眠りに落ちて気づくといつも朝だ。
「よく寝てるのは、東城さんと一緒だからだと思います」と広瀬は答えた。「東城さんの体温が高いせいかも」
東城は、しばらく黙っていた。彼はその後笑顔をみせた。「いろいろどうでもよくなるな」と言った。
「え?」なんのことか、広瀬にはわからなかった。
「お前とのコミュニケーションについてだよ」と言う。細かい説明はない。自分で何かを納得したようだった。東城はあくびをしながら伸びをした「すごく眠くて疲れたから、泊まってっていいか?」と聞いてきた。
東城がいつからそのつもりだったのかはわからないが、広瀬はうなずいた。なぜか、彼の機嫌はすっかり直っていて、広瀬が、さきほど恋人といわなかったことも何もかもがもうどうでもよくなってしまったようだった。
その夜、広瀬は東城と一緒にただ眠った。
広瀬はシャワーを浴びて全裸でベッドに入り東城を待っていた。だが、後からシャワーをあびていた東城がベッドにはいってきたときには、少し眠っていたのだろう。気がつくと東城は、広瀬をつつみこむように抱いてくれていた。灯りは消され部屋は暗い。彼の温かい体温が、広瀬の身体をあたため、東城の規則正しいゆっくりした鼓動が背中越しに伝わってくる。
「しないんですか?」と広瀬はきいた。自分でも眠そうな声だと思ったが、こんなふうに二人とも裸で寝ながらなにもしないというのはなんだか不思議だ。
「今日は、疲れたからな、俺も、お前も」と東城はいった。そして、子供にいうようにしーっとささやいた。「しゃべるとやりたくなるから、黙ってろよ」
広瀬はまた、うとうとしはじめた。
「おやすみ、広瀬」と東城はいった。
その声が優しく耳から入り込み身体中にしみてくる。東城の体温と同じだ。このままこの声と体温をずっと感じていたいと思っていたが、すぐに眠ってしまった。
朝、目覚ましがうるさくなった。広瀬は努力を総動員して手をのばしてとめた。
東城の腕が眠りについたときと同じで自分の身体にまきついてきている。
その腕をひきはがし、目をとじながら身体をおこした。しばらく動けない。このまま座っていたら眠りそうなので、半分とじたままなんとか立ち上がる。眠りが深かったので、なかなか覚醒しない。
やっと顔をあらってなんとか目をあけた。ベッドをみたらまだ東城がいぎたなく眠っている。
「東城さん、朝ですよ。着替えに帰らなくていいんですか?」いつもは5時前におきて一旦家に帰っているのに、と広瀬は思い声をかける。こんなに寝ているなんて珍しい。
「うーん」東城はうめき声をあげる。「俺、今日、直行の許可もらってるんだ。このまま寝てたい」と言った。
「このままって」広瀬は着替えながらいう。「いいんですか?」
「ああ。広瀬、悪いけど、鍵おいてってくれないか?でるとき、ポストに放り込んどくから」
広瀬は眉をひそめる。「いいですけど」そういうと、身支度を終えた彼は、机の上にスペアキーを出して、部屋をでた。
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