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終わらない夜
やっと仕事が終わり、広瀬は遅めに家にむかった。
東城から、今日もメールがきていたが時間がなくて返信できなかった。
悪いな、とは思うのだが、彼のメールへ返信するのは、かなり頭をつかって時間もかかる。そのくせ、最後に送信する言葉は、一言二言ということもある。大変効率がよろしくない。
こんな言葉だったら、すぐに返せよ、と東城には前にいわれた。
「はい」とか「わかりました」だけだったら、すぐだろう、と不平を言われる。
でも、本当は、もう少し、気の利いたことも書こうかと思うのだ。
東城のメールはいつも親しげだ。ことこまかに用件を書いたり、用事とは関係のないことも書いてくる。あいさつだけで2~3行なんてときもある。
それに対して、「はい」だけでは悪いような気になって、結局すぐに返信できないのだ。
そんなことを思いながら、鍵をあけようとして、広瀬は外から窓をみた。
あれ?と思う。
今日、灯りきるのわすれていただろうか。
広瀬のアパートからは灯りがもれている。こころなしか、テレビのちらちらした動きもあるような気がする。ドアに耳をあてると、かすかにテレビの音がした。
誰かが、家にいるのだ。勢田のことを思い出す。以前、家に来たことがあった。引っ越したが探してきたのかもしれない。もしそうなら、どうするか。
緊張しながらドアをあけようと鍵をさそうとする。
すると、ガチャという音がして、中からドアが開いた。東城が顔をだしてくる。
「おかえり」と彼はいった。
「はあ?」と広瀬は言う。「東城さん?」
「ああ。早かったから、先に来てた」
「先に来てたって」
東城は、勝手に広瀬のアパートにあがっていく。「まあ、入れよ」とどちらがこの家の主かわからないことをいう。
「どうやって?」と広瀬は、東城をみあげた。
彼が、にやにや笑っている。
「あ」広瀬は、思いついた。「鍵」
「あたり」と東城は言った。「お前、かなりにぶいな。それでも刑事部?」
「合鍵、つくったんですか」
この前だ。朝、鍵を貸してくれといわれた。帰ったらポストにいれてあったので、まさか、東城が勝手にスペアキーをつくっているとは思いもよらなかった。
「犯罪ですよ、これ」
東城は笑って相手にしない。「鍵、あっさり貸すほうが悪いと思うぜ。大事なものは貸しちゃダメって言われなかった?」
この人は、意地悪体質の人だったんだ。と広瀬は思った。そうだ、今までやたらと優しそうにしてたけど、はっきりいって、いじめっこの部分のほうが多い人だってこと、忘れてた。
「返してください」広瀬は手を東城に差し出す。
「なにを?」
「鍵です。東城さんが作ったスペアキー」
「やだね」東城はいう。「それに、俺の金で作った鍵だぜ。俺の所有物だろう」
「は?」広瀬は眉をひそめた。「何言ってるんですか」
「だいたい、こんなことになったのは、お前、全然メールも返信してくれないからだ。自分のこと全然教えてくれないし。今日だって、何時に来たらお前がいるのかもわからないだろう。今までのお前とのやり取りで気づいたんだけど、お前とうまくやるのにはこっちもそれなりに工夫が必要だ。お前のそっけない態度にイライラしてるだけじゃ進歩がないからな。俺が、このうちに先に入っておくほうがお互い問題が少ないだろ。仕方なくやってるんだ、俺も」
あきれたことをいっている。
東城は、ソファーに両腕を伸ばして偉そうに座っている。とまどっている広瀬を見る目は楽しそうでさえある。こうなっては、鍵は戻されないだろう。力づくで取り上げることができると思うほど無鉄砲ではない。
広瀬は、ドアをみた。別な鍵をつけてやろうか。
その考えをよんだのか、東城がいう。「まあ、好きにするといいさ。今回は、スペアキーつくったけど、それ以外にもあける方法はいくらでもあるから」お前が困らない方法をとるのは難しいけどな、なんて、脅すようなことをいってきた。
広瀬は、口を引き結び、東城の前から移動した。
この人のことはしばらく無視しよう、と思ったのだ。この人はこの場にはいない、ということにしよう。まず、帰ったんだからシャワーだ。
そこで、東城は、スーツではないことにも気づく。ラフなポロシャツに綿のイージーパンツという服装で、髪が少しぬれている。
こいつ、勝手にシャワーまで浴びてる、と心の中の口調が汚くなる。ソファーの前にはビールがおかれているし、テレビをつけて、まるで自分の家のようなくつろぎぶりじゃないか。自分の方は、帰ってくるなりショックの連続で、くつろぎどころか、身体がこわばってるっていうのに。
だが、全てのののしりを飲み込み、広瀬はユニットバスにむかった。いろいろいいたいことはあるが、うまくいえないのだ。
シャワーをあび終わったところで、着替えをもって入るのをわすれたことを思い出した。広瀬は自分に舌打ちした。こんなときに限って忘れるとは。
タオルは、ユニットバスの上の棚にあるので、それをとりだす。しかたがないので、裸でタオルをつかいながらそとにでると、東城の視線が自分にむけられるのがわかる。
東城の空気がかわったのが広瀬にもわかる。淫らな方向にむかっているのだ。
リビングの隅に置いたたんすから服をとりだそうとしたところで、東城に背後からとめられた。
「着なくてもいいだろう」と低い声で耳にささやいてくる。「そう、怒るなよ。勝手にはいって悪かったよ」ごめんごめん、と不真面目なものいいだ。
話しかけながら、東城の手が、広瀬の胸から足にかけて、じわじわと動き、なでてさすってくる。
「悪いと思ってるんなら、鍵、返してください」
「えー。それは嫌だ」と東城は言った。「機嫌直せよ。な」とまるで広瀬が怒っているのが間違っているような口調だ。
彼の手が優しくふとももを上下してくる。広瀬は、眉をよせた。「あ、」と声がでてしまう。頭の中は腹が立っているのに、身体は東城の指を覚えていてすぐに反応するのだ。足も胸も肌も自分自身なのに、自分の頭の意思や記憶とは別なもののようだ。
こんな風にすぐに感じる自分が頭では嫌だ。だが、身体はいうことを聞かない。これでは、東城の思いのままだ。広瀬は首をよこにふる。なんとか言葉を発した。「離して下さい」
「ベッドに一緒にいってくれるなら」と東城はいう。
「え?」
「このままここでも俺はかまわないけど、広瀬は、ちょっと、あれだろ。なんていうか、こういうところでセックスって、だめだろ」
ここって、ここはリビングで、テレビも灯りもついている。床は固いフローリングだ。もしここで始めたら、東城はこの床に平気に広瀬を押し付けるだろう。想像したら身体がふるっと震えた。
東城は、広瀬の身体をなでて、また、足の間をまさぐってくる。広瀬が足をとじたが、東城の手もいっしょにとじこんでしまった。もぞもぞと東城の手がうごいてくる。
「ん、、」また、声がでてしまう。広瀬はなんとか呼吸を整え、うなずいた。「わかったから、離して下さい」
「わかったってなにが?」
「え?」
「ちゃんとわかったこと言ってくれないと、広瀬、すぐ忘れそうだから」そういいながら東城の手がいやらしくうごく。
広瀬は、息継ぎができない。「離すかわりに、ん、、ん、、、ベッドに、、いくんでしょう?」
「そうそう、よくできました」と東城はそういうと、今度はちゃんと手を離した。
広瀬は、息をついて、立ち上がった。東城の手をはらいのける。そして、彼の手がとどかないところにいくと、きびすをかえしてバスルームに逃げようとした。東城はすばやく立ち上がり、大きな身体をいかして、腕をつかみ、抱きこんでくる。
「広瀬」東城は楽しそうだ。「お前、かなり面白いやつだな。最初から思ってたけど」
そして、広瀬の身体を動かないようにがっちりつかみ、首に唇をおとしてきた。チクっとして痛みが走る。「あ!」広瀬は声をあげ、びっくりしてみると、東城が首に吸い付いて歯をあてながら、キスマークをつけてきた。押しのけようとするが、びくとも動かない。
「やめてください、これじゃあ、跡になる」と広瀬は言った。
「ワイシャツで隠せるかどうかぎりぎりだよな」とつけた東城は満足そうだ。「もう一つつける?今度は、もっと上の方に?」
広瀬は首を横に振った。「だめです。東城さん」
「じゃあ、機嫌直せよ。一緒にベッドにいこう」
「これは、機嫌直して欲しい人のやることじゃないと思いますけど」
「確かにそうだな」東城の手が少しだけゆるむ。「でも、こうでもしないと、ベッドに行ってくれなさそうだ」
広瀬は、少しため息をついて、彼につれられるようにして寝室にむかった。
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