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ミーティングにて

朝、広瀬は警護班のミーティングにむかった。 あいさつをしながら部屋に入ると、顔見知りになっている糸井が口をちょっとあけた。やや驚いた顔だ。少し、赤くなっている。 どうしたんだろう、と思って後ろをむいたが、誰もいない。 「おはようございます」と広瀬は糸井に再度いった。 糸井は、「おはよう」と答えるとせきばらいをし、広瀬からは目をそらした。 妙な雰囲気ではある。ミーティングルームにはサブリーダーも入ってきた。広瀬たちがあいさつすると、うなずく。そして、ちょっとけげんそうな顔で広瀬をみた。 「広瀬、お前」といって口ごもる。「いや、なんでもない。後で班長と話があるから、ここに残れ」と言われた。 「はい」 全体のミーティングは短時間で終わり、警護班のメンバーは持ち場にでていく。広瀬は命じられたとおり部屋に残った。 「広瀬、大井戸署から黒沼に直接連絡したそうだな」とサブリーダーに言われた。 怖い声ではあるが、相変わらず目はそらしている。 ああ、その件か、と広瀬は思った。 黒沼を囮にするのは班長は反対なのだ。にもかかわらず大井戸署から広瀬が連絡したので、怒っているのだろう。 「お前が、所属部署のいうことを聞かざるを得ないのはわかるが、事前に一言あってよかったんじゃないのか」とサブリーダーに言われた。 班長は若手の広瀬には責任はないと言った。だが、今後は、警護班にも情報を教えろとも穏やかに言われる。 「全体から考えると黒沼の身になにかあるのは好ましくないだろう。協力してもらえれば警護もうまくいく」と言われた。「警護班と大井戸署を行き来してて、君も大変だろうけど、よろしく頼むよ」 もっとネチネチ言われるかとおもったが、そんなことはなかった。 広瀬が部屋をでるとき、サブリーダーが班長に何かを耳打ちしていた。 班長は広瀬をちらっとみて微笑している。「若いから、そういうこともあるだろ。いちいち指摘しなくてもいい」と班長は言っていた。 その日は、黒沼が雇っている佐々木という若い男が車で迎えに来ていた。最初に黒沼のオフィスで東城と広瀬に応対した若い男だ。 彼は運転席に座っている。最近、時々こうして自分の出勤にあわせて黒沼を迎えに来るのだ。黒沼は、超過勤務だから残業代いっぱい払わないと、と冗談のように言っていた。東南アジアから仕入れた健康食品を売る以外の犯罪に近い商売も手伝わせているのだろうか。そのあたりのところはよくわからない。佐々木は黒沼のことを社長と呼んでいる。 黒沼と一緒に広瀬は車の後部座席に座った。すぐにもう1名の警護班がくるだろう。 黒沼は「ああ、広瀬さん。昨日は電話ありがとう」と話しかけてきた。 そしてじろじろと広瀬をみてくる。上から下までだ。彼はにやっと笑った。 黒沼がずいっと近づいてきて、広瀬の耳元に口をよせてくる。 「あんた、昨日、男に抱かれてただろう」とストレートに言われた。 そして、広瀬の匂いをあからさまにくんくんかいでから、顔をはなす。 「あんた以外の雄の匂いがする」 広瀬は、黒沼から身体を遠ざける。返事はしない。バックミラーごしにこちらを見ている佐々木と目が合った。彼は広瀬と黒沼を交互にみている。 「いっとくけど、警護のほかの連中もみんなそうおもってあんたをみてるぜ。あんた、いかにも、昨日の夜にセックスしました、って顔してる。唇が、吸われすぎてはれてるんだよ。エロいぜ。すげえ満足でした、って顔だ。肌もいつもよりピカピカしてるしな」黒沼は、笑っている。「こんなにだだもれなあんたも珍しいな。相当、よかったんだな。相手の男がうらやましいぜ」 黒沼は完全に無視している広瀬をみてさらに笑った。 「こういう話は嫌いなんだな。あんたらしいが」 そして、ふと思い出したように広瀬に聞いてくる。 「そういえば、広瀬さん、面白い話を知り合いから聞いた。黙打会の幹部の勢田って知ってるか?俺は面識はないんだけど、その勢田が、すごい美形の刑事に執心で、周りの連中が困ってるらしい」黒沼は声に出して笑う。「変なことがあるもんだよな。あんたの昨日の男はもしかしてその勢田なのか?」 黒沼は広瀬から返事があるとは思っていないのだろう。好きに話を進めている。「勢田ってどんな男だ?相当いい男なのか?まあ、あんた、刑事のわりに世間知らずっぽい感じするから、変な男とかわからないで、ふらふら誰とでもつきあっちゃいそうだな。勢田は黙打会の大幹部らしいから、それなりの男なんだろうが」そして、再度広瀬の顔を覗き込んでくる。「俺も、昨日あんたを抱いた男みたいに、あんたを抱きたいぜ。俺はかなりうまいぜ、広瀬さん。男相手もそれなりに経験してる。いつもすました顔してるあんたが、俺の下でよがり狂うのをみてみたいよ」 そこまで言われてどう対応しようかと思っていたら、糸井がきて前の座席に座った。 黒沼は口をとじる。にやにや笑ってはいるが、それ以上のことはない。糸井は朝とは違い平然としている。 黒沼の指摘はほとんど嘘だろうとおもった。 からかわれているのだ。車の窓にうっすら映る自分の顔をみるがいつもと変わりはない、はずだ。 だが、昨日東城に吸われた胸のとがりはまだじくじく痛み、身体のあちこちで欲望がおきびのようにくすぶっている。もし、ここに東城がいたら、自分はどうなってしまうだろう。 広瀬は頭から東城のことを押し出した。今までどおり、仕事のときは仕事のことだけ考えようと思った。 広瀬はその日も警護班の仕事の後大井戸署に行った。高田に進捗を報告をし、指示をうける。東城の姿は大井戸署にはなかった。早朝に甘い言葉を耳元でささやいて消えていったきりだ。 広瀬が疲れてアパートに帰ると、東城は部屋にはいなかった。 当たり前だ、と自分に言う。そうそう彼にいてもらっては困る。 メールをチェックしたが今日は何の連絡もない。珍しいな、と思った。東城も相当忙しいのだろう。黒沼の案件だけでなくこの前出張にいっていた長野がらみの強盗事件もまだ終わっていないのだ。その上広瀬の家に来て遅くまですごし、朝早くでていくのだから広瀬には理解しがたい体力だ。 アパートは片付ける時間がなく、さらに東城のせいで雑然としてはじめている。彼の読みかけの週刊誌が食卓の上においてあった。ビールの空き缶がゴミ箱いっぱいに入っている。今度の資源ごみの日っていつだっただろう。 彼の私服が入っている大きいバッグが寝室の隅におかれていた。断りもなくもってきて置く場所も自分で決めているのだ。今気づいたが、そのバッグはそういうものにうとい広瀬でも知っている高級ブランドのものだった。東城がアパートに来るようになって彼の私服や持ち物がかなり良い品物であることがわかってきた。抱き合ったときに感じる衣類の手触りは、広瀬がその辺の量販店で買うものとは明らかに違うのだ。やわらかく軽い素材で繊細につくられているものばかりだ。 だが、大井戸署で知っている彼の衣類や持ち物は広瀬のものと同じような感じだ。彼が私的な持ち物と仕事とをくっきりとわけていることがだんだんにわかってくる。ちょっとしたタイミングで金持ちの坊ちゃんといわれてからかわれていたから防衛しているのだろうか。こんなバッグ一つでも、今まで知らなかった東城を知っていく。 ベッドサイドにはコンドームの箱が置かれていた。昨日の名残でふたがだらしなく半分あいている。いやだなあと思ってサイドテーブルの引き出しにしまった。が、すぐに取り出してもとの場所に戻す。しまったらしまったで東城に何かいわれそうな気がしたからだ。 広瀬はベッドに横たわって目を閉じた。 いやだ。ずっと考えてる。 仕事のとき以外はずっとこんな感じだ。 こんなことは困る。彼のことを考えると迷ったりあせったり、いらだったりばかりだ。 整然として何もなかったアパートがごちゃごちゃしてきてしまったように、頭の中身までごちゃごちゃだ。生活のリズムも乱れて身体も疲れている。 彼の気配が増えている部屋で、彼自身がいないことを不満に思っている。 自分からはメールしたり電話したりしないからわがままだとは思うが、今日なんてメールさえも送ってこないとさびしく思っている。そしてふと、このまま彼が何の連絡もよこさなくなったらと不安になる。 宮田が東城はあきっぽく付き合ってももって3~4ヶ月といっていたのを思い出す。東城は否定していたが、あれは本当だろう。広瀬は彼がアパートにきはじめてからいつも日数を数えている。今は一週間、今は三週間、今は2ヶ月。こんな不安もいやだ。なにもかも、彼にまつわることがいやになる。彼がここにいて、広瀬の混乱や不安を追い払わないからだ。 広瀬はベッドで丸くなってシーツをかき寄せた。気がついたら朝で、スーツのまま眠り込んでいた。疲れはあまりとれておらず、身体がこわばっていた。

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