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待機要員
何日か後に、黒沼は浅井と連絡を続け、やっと浅井とミーティングの日時がセットされた。
浅井が、夕方に黒沼のオフィスにくることになったのだ。その間浅井は何度も日時や場所を変更してきたらしい。
やりとりは全てショートメッセージでされて、電話をしても出ないようだった。
最終確認のため、高田と捜査本部での担当者の何名かが目立たないように黒沼のオフィスにやってきた。高田は警護班と一緒にいる広瀬を見つけると軽く笑顔を見せた。
警護班の班長とは本当に知り合いだったらしく、班長のほうが親しげに高田にあいさつしていた。
黒沼のオフィスの社長室兼応接室で黒沼は高田に言った。
「浅井さんがこのオフィスに来られたら、通常の対応をしてください。応接室にはいられたところで我々がオフィスに入り、浅井さんに事情を聞くことができるかどうか確認します」
「浅井、かなり警戒しているんじゃないんですかね。警察が周りをうろうろしてたら、現れないかもしれないんじゃ」
「明日は警備はこのオフィス内には入りません。フロア内には数名おきますが、目立たないようにします。黒沼さんのことは常に数名で確認するようにします。浅井さんが現れたら、普通に仕事の打ち合わせをしてください」
社長室には小型のカメラがしかけられ、外から中の状況がわかるようにしている。
「浅井さんは海外からかなり前に戻ってきています」と高田は丁寧に説明する。「最初から警戒はしていたんでしょう。今回、黒沼さんに会おうとしているのにも理由があるのかもしれません」
「自分から呼んどいてなんですけど、奴が俺を殺すつもりだったらと思うと、やっぱやめといたほうがいいんじゃって思いますよ」と黒沼は言った。怖そうな表情をしているが、声はそうでもない。「浅井も、殺しをしても一文の得にもならないのになんだってこんなことしてるんですかね。現れたらそのまま逮捕するんでしょう?」
「令状は出ていませんのであくまで任意です。ご存知のように浅井さんが今回の殺人事件に関わったという証拠は全くありませんので、令状はとれません。たまたま最近の行動に奇妙な点があり、事件に関係がありそうというだけです。他に事情があってあなたとの連絡を絶っていたということも十分考えられます」
「任意拒否してどこかに行こうとしたらどうするんですか?逮捕すると思ったからつきあってるのに」
「状況次第です」と高田は言った。「浅井さんから事情を聞き、投資案件がらみで浅井さんの身に危険があるということであれば、それはそれでご事情を署で聞くほうがいいということにもなります。今回の黒沼さんの勇気とご協力に、大変感謝しております」
黒沼はしみじみ高田を見ている。「人ごとだなあ」
「とんでもない。ここで何かあったら大問題ですから」
高田たちは部屋の中やビルやオフィスの導線を確認し、再度黒沼に礼を言って去っていった。
翌日の夕方、広瀬は、黒沼の警護班には入れられなかった。
最終的には班長は広瀬をはずす判断をしたのだ。浅井との接触に反対だったのにそれを後押しした広瀬を信用していないのは、当然といえば当然だった。
浅井が現れたときに事情を聞くのは捜査本部にいる本庁から来た捜査員である。浅井がどの程度今回の事件に関わっているかはわからないが、黒沼が手広くやっている合法すれすれのドラッグや詐欺ビジネスを暴力団や半グレに売ろうとしているという情報は別なところからも入っており、殺人事件となにかしら関係があるとは推定されていた。
広瀬や大井戸署のメンバーは、ビル付近の車の中で待機することになっている。基本的には黒沼のオフィスの中で何かをするということはない、待機要員だ。今は別な車に乗っている宮田は、待機要員と聞いて浅井の件の情報を拾ってきたのは自分たちなのに、最終的には蚊帳の外かよとブツブツ言っていた。
まだ、日がでているが、秋めいてきて、そのうち日暮れの様相になるだろう。
しばらく車の中でじっとしていると、東城がコンビニの袋をさげ、車のドアをあけ、助手席に入ってきた。「飲むか?」
取り出したのは、暖かいペットボトルのお茶だった。広瀬はありがたくうけとった。
東城と二人きりになるのは久しぶりな気がした。いや、実際は3日前にアパートで会っている。でもその会っていないの時間が長く感じるのだ。
「寒くなってきたな」と東城は言った。
しばらく彼はいつものように話をしていた。先ほどのコンビニの店員の話、昼に行った定食屋の話、今朝みた散歩している犬と老人の話など、たいしてうなずきもしない広瀬相手によくこんなに話ができるものだと思う。
暖かいお茶を飲み、彼の話を半分くらい聞いていると、考えてもみない変化が身体におこってきた。
甘やかな感触がじんわりと下半身から広がってきたのだ。
あ、まずいと思ったときにはもう遅かった。
うずくというのはこういうことなのか、というように、しびれがひろがり、肌が過敏になった。
頭の中ははっきりしていて客観的に自分の変化を把握しているのに、身体は、東城を求めていた。なじみのあるかすかな東城のフレグランスの香り、わずかな体臭が鼻腔から身体に入ってくる。近い東城の体温を感じている。低い穏やかな声が耳にすべりこんでくる。ベッドの中にいる時のように、身体が愛撫を求めてざわつきだす。身じろぎができなくなり、息もゆっくりしないと、あえいでしまいそうだ。
唐突に東城が言った。「ちょっと、窓あけるな」車の窓が下り、冷たい外気が入り込む。外の空気がどっと押し寄せ、東城のかすかな匂いは押しのけられた。それとともに広瀬の身体の甘いうずきも消えていった。
東城は、広瀬をみている。「なんかムラムラしてきた」
広瀬は自分のことを指摘されたのかと思ったが、そうではないらしい。
東城は、クンクンと鼻をならしている。「匂いのせいだな」彼はずいっと身体を広瀬に寄せ、首筋の匂いをかいでくる。「ああ、やっぱり、これだ。お前の匂いがするから、ムラムラしてくるんだ」ヘラヘラ笑っている。
東城の髪が広瀬の頬をかすめた。
ずっとフレグランスと思っていたのは東城のシャンプーの香りだったのかもしれない。何度も肌をあわせているのに、東城が家でどんなフレグランスやシャンプーを使っているのか知らない。また、頭の中が東城のことばかりになる変なループに陥りそうだった。
広瀬は彼の頭をぐいっといささか乱暴に押しのけた。
「いて」と東城が大げさに言う。「ひどいな。俺だってこんなときに、こんな場所で不埒なことはしない」
東城を軽くにらみつけようと視線をあげたら、窓の向こうに君塚が困った顔をして立っていた。
君塚は、外から窓をノックしてきた。
「何か動きはあったか?」と窓越しに東城が君塚に聞く。
「はい、東城さん、ちょっと」と君塚は答える。東城は彼を見てドアを開け、外に出た。二人で何か話しをしている。
東城は時計を見ていた。
そして、助手席の窓から広瀬を覗き込む。「別件で用事ができた。君塚と一緒に待機してろ。何かあれば、すぐに高田さんに連絡しろよ。指示なしで動くんじゃないぞ」と言ってきた。
それから、その場を立ち去って行った。
君塚は助手席に乗り込んだ。車の中は静かだ。いささか居心地の悪い気分である。
何してたんだろう、東城さんと広瀬さんは、と内心で思っていた。
車に近づいたとき、東城が広瀬の首もとに顔をよせていた。キスしようとでもしていたような動作だった。広瀬がそれを押しのけていたが、その時、ばっちりと広瀬と目があってしまったのだ。二人でじゃれて遊んでいたのだろうか。それにしてもこんな大事なときに仲がよすぎる。
広瀬は運転席でじっと前を向き君塚の方を見ようともしない。
ふとみると、目元がほんのり赤くなっている。その様子が色っぽく、おもわず見入ってしまう。君塚がじっと自分を見ているのに気づいたのだろう、顔全体がみるみる赤くなっていった。
うわあ、と君塚は思った。
広瀬さんがこんな顔をするなんて。こちらまで恥ずかしくなってくる。そして、ちょっとかわいいなと思ってしまった。
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