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色にでにけり2
数週間ほどたつと、黒沼の事件関係の山のような書類の作成の傍ら、今まで手薄になっていたほかの事件の捜査がどっともどってくる。忙しいのは変わりはなかった。
昨日はマンションで不審死があったため宮田と一緒に行った。今のところ病死だろうと推定をされている。今日はその件で再度情報収集をしている。
広瀬は新しいスマホを買った。
出費は痛かったが、前のより画面が大きく、少し機能がうわまわっている。
これでも地図は作ることができるだろうか、と考え出していた。前は、自分で紙の地図に手書きをしていたのだから、同じことができそうではある。
宮田が運転する傍らで、手のひらでスマホをもてあそんでいると、急に鳴った。
知らない番号だった。
広瀬は、電話をとった。
「はい」
「広瀬くん?」聞いたことがある声だった。だが、声ではわからず、名乗られて初めて誰かわかった。
サブシステムの研究の担当者の「白猫」だった。優しい猫なで声は相変わらずだった。
「今日、夜でもいいんだけど、時間はあるかな。研究所に来て欲しいんだけど」
広瀬は時計を見た。「はい」
夕方以降なら時間を空けることができる。広瀬は時間を約束した。
サブシステムのタブレットが壊れてしまったことはすぐに研究所に報告をした。研究所からは特にコメントはなく、事務的に書類を何点か書くように指示されただけだった。そのときは『白猫』や他の研究者とは話をしなかったのだ。今になって何の用だろうか。大事な研究の機材を壊されてしまったことが、今問題になっているのだろうか。
実験に参加するときの誓約書には、機材が壊れたときのことをなにか書いてあっただろうか。思い出せない。
壊れたタブレットのことを考えると今でもみじめな気持ちになる。どうして壊すようなことをしてしまったのか、後悔ばかりだ。
『白猫』には会いたくなかったが、仕事なので仕方がなかった。
宮田が、「誰?」と聞いてくる。
「サブシステムの研究者」
「研究所に行くの?」
「うん」
「送ってってやるよ」
広瀬は断った。
だが、宮田は送るといってゆずらなかった。何だかよくわからない意地の張り方だった。一人で書類仕事をしたくないだけかもしれないが。
夕方の約束の時間、研究所の受付で入館手続きをし、広瀬はICカードを受け取って中に入った。
宮田は研究所の駐車場に車をとめ、近所のカフェで待っていると言っていた。
長い時間かかるかも、と言ったが、じゃあ、夕飯も食べてるといわれた。
『白猫』のいる部屋は、何回か行っているため場所は覚えていた。本来なら3ヶ月に1回はくるはずだったのだが、大井戸署に異動になってからは1回しか来ていなかった。
ドアをノックするとどうぞ、と言われた。入ると、『白猫』が椅子に座っていた。
「忙しいところ突然呼んだりしてごめんね」と言われる。いつもの猫なで声だ。
そして、椅子を勧められた。
「すぐに君に伝えたいことがあって、明日以降でもよかったんだけど」
そういいながら、『白猫』は背後の大きなディスプレイの乗っている机にある箱を示した。箱は、白いプラスチックでできていて、図鑑くらいの大きさだ。コードでディスプレイやPCにつながっている。
『白猫』は白いプラスチックの箱をあけた。そこには、基盤のようなものが入っている。
「これはね、広瀬くんのサブシステムの中身」と『白猫』は言った。「壊れたって連絡をもらってから、復旧してみたんだ。証拠品って言われて、大井戸署からこっちにもらう手続きにすごく時間と手間がかかったよ。最終的には、上に交渉してもらって、外側は大井戸署に残して、中身だけこっちにもらったんだ。僕がいうのもなんだけど、典型的なお役所仕事だねえ」
広瀬は、箱の中をみた。むき出しの機械だ。水で濡れたし、中も壊されていたはずだ。
『白猫』はディスプレイのスイッチを入れた。「見てて」
「あ」広瀬は思わず声をあげた。ディスプレイには、広瀬のタブレットの情報が映し出された。東城と一緒に見ていた地図や写真、浅井の家で撮影した動画、君塚がくれた情報。ざっと見る限り全部入っているようだった。
「今回みたいに、持ち主になにかあって壊れるということは想定していたんだ。君たちの仕事ではそういうこともおこるからね。本人に何かあってもこのサブシステムが生き残れば、それまで本人が記録していた情報は消えない」
『白猫』はタブレットの中を指差す。「これは、防水でできてるんだ。それと、記録装置は二重になってる。相互に補完することができるんだよ」自慢げに言われた。
それから、『白猫』はおもむろに机の下に手を伸ばし、新しいタブレットを広瀬にわたしてくれた。プレゼントを渡すような手つきだった。
「これは、記録を移した新しいタブレット。端末の仕様を少し変えたから使い勝手は少し違うと思うかもしれないけど、基本的には同じ情報がはいってる」
広瀬がタブレットのスイッチを入れると、指紋認証がでてきた。指をすべらせると画面がたちあがった。広瀬は、そのなめらかなガラスの表面を指でなでた。
「全く同じ情報ですか?」
「うん。ただ、こうやって壊れたタブレットから記録を移動したのは始めてのことなんだ。だから、もしかすると、君の記憶と違う情報になっているかもしれない」
『白猫』は笑顔だ。
「君の頭の中の記憶とそのタブレットの記録とどちらが正しいのかは、検証しにくいんだよ。もしかしたらタブレットのバグかもしれないし、君の記憶違いかもしれないし。何が正しいのかはわからないって本当の記憶っぽいよね。これは実験だから、自分の記憶とタブレットが違うなと思ったら報告して」
「はい」と広瀬は答えた。「実験は継続するんですか?」
「もちろんだよ」と『白猫』は答えた。「あと1年はあるからね」そして笑顔のままうなずいた。「ああ、壊れたから実験は終わったと思ってた?そんなことはないよ。さっきも言ったけど、壊れることは十分予想できることだからね。この中の情報の扱いについて、現場ともめそう、ってことがわかったから、そのあたりは今後の課題だけど」
「はい」広瀬はうなずく。タブレットを両手をもった。「ありがとうございます」
『白猫』は「よかった」と言った。
彼はタブレットを見つめる広瀬に言う。「怪我したんだってね。もう治ったの?」
手を伸ばされて頬に触られたのには驚いた。
急なことで驚きビクっと身体をさせたせいだろう。『白猫』はすぐに手をひっこめた。
頬の傷の跡は全く残っていないはずだった。どうしてここに怪我をしたと知っているのだろうか。広瀬に関係する情報を集めているということだろうか。
「銃を撃った人がいたんだって?無事でよかったよ。なんともなくてよかった。危ない職場なんだね」
『白猫』はその後いつもの定期チェックで確認する基本的な質問をしてきた。
チェックの最後に「セキュリティも問題ないよ。前の端末からの漏洩の心配は全くなかったよ」と彼は言った。
「今回の事件、いろんな人が関係していたんだね」といった。「新しい人が追加されている」大型のディスプレイには広瀬が登録した警護班の写真と名前がでてくる。
「前から思ってたんだけど、広瀬君、写真とるのうまいね」と男はいう。「こう、なんていうか、特徴をとらえてる。広瀬くんの目をとおして、どんな人物なのかわかる気がする」黒沼やその事務所の従業員の写真もでてくる。
「そうそう、それと、写真、上書きした人がいるね?」と男にきかれた。「何人かの写真が変わってる」ディスプレイには、広瀬が変更した写真の人物がでてくる。
「はい。不鮮明なものや横向きのもので修正できたものを変えました」
並んでいるなかに東城の写真もでてきた。
広瀬は、目をディスプレイから自分のひざにおとした。
東城は、広瀬のサブシステムの写真にこだわっていて、自分の写真を変えろとうるさかったのだ。広瀬はもともとの写真でいいと思っていたのだが、なにかが気にくわなかったらしい。仕方ないので何枚か撮影して、東城がこれにしろ、と指定したのに変更した。
彼は、自意識過剰なのだ。
東城だけ変えると目立ちそうなので、他の写真もできるだけ変更したのだ。
「上書きするよりも、時系列に並べられるほうがいいな」と『白猫』は言った。「継続した付き合いがある人とそうでない人の違いもわかりそうだから」
しばらくチェックした後、『白猫』は広瀬に言った。
「次回は来月末にここに来て。新しいタブレットの状況を知りたいし、システムをバージョンアップするかもしれないから、時間を長めに用意しておいて。忙しいと思うけど、よろしくね」
「はい」広瀬は帰る支度を始めた。
宮田が待っている。彼は、もう夕飯を食べはじめてしまっただろうか。
立ち上がった広瀬に、「ああ、広瀬くん、もうちょっと聞きたいことがあるんだけど、たいしたことじゃないんだけど」と『白猫』が止める。
「なんでしょうか?」
「そろそろ、この実験あきてきた?」と男はきいてくる。相変わらずニコニコしている。
「え?いえ」
「そう」彼は、うなずく。
広瀬には質問の意味がわからない。立ったまま男を見た。
『白猫』が説明してくれる。
「今回の実証実験の対象者10人の中で、広瀬君が一番このシステムを気に入ってくれて使ってくれてる。他の人はひどい人だと、一ヶ月ほぼ電源いれないっていう事例もでてきてしまっているんだけど」男は、ディスプレイを示す。10人の稼働状況が時系列に一目でわかるものだ。
一番利用量が多い線を『白猫』が示す。「この濃い緑の線が広瀬君」彼はずっとディスプレイの線を指でなぞっていく。そして画面を切り替えた。
広瀬の利用の詳細がうつる。
「ちょっと前までは、ほぼ毎日、広瀬君が起きている時間はずっと使ってくれてたんだけど、稼動が減ってた」グラフは確かに落ちていた。「誤解がないようにいうけど、責めてるんじゃないんだ。変化の理由を把握したいだけ。このシステムは仕事上の記録しかないから、仕事以外の理由による変化はとらえられないんでね。変化があるとヒアリングしてるんだ」
グラフの表示が変わる。24時間の稼動が帯グラフで表示されている。利用している時間とそうでない時間がはっきりとわかる。
『白猫』がいうとおり、利用の時間には変化があった。
特に夜、利用していない時間帯が増えている。
広瀬にはすぐにわかった。東城と会っている時間だ。彼が広瀬のアパートにいる時間だ。
「どんな理由なのか、もしよければ教えてくれないかな。よければだけど」と男はいう。「プラいベートなことかもしれないから君にいう義務はないんだけど」
そういいながら彼は画面を切り替える。
「これは、ご家族のいる調査対象者のものだ。広瀬君のとやや似ているけど、実際は違う。夜は毎日利用していない。家族と一緒のときには仕事の端末はみないんだろう」さらに画面を切り替える。「こっちのほうが広瀬君の利用に似ている。この人は女性で、彼氏がいるらしい。彼氏と会う日は使わないが、そうでない日は、ちょこちょこ使っている。この利用の状況がわかったのは、理由を教えてくれたからだ。こういう情報がパターン化されていくと、理由をきかなくてもだいたい行動の理由の推定できるようになっていく」
広瀬は、頻繁に切り替わる画面を見ている。
「広瀬君の場合は、ずっと利用していて、急に変化したから、正直なところ、僕の興味は他の人より大きいんだ」と『白猫』は言った。「使うの飽きたなら飽きたでもいいし、いい人ができたというならそれでもいい。回答は嘘でもいいんだ。広瀬君のこの利用の変化を、広瀬君が自分の言葉で話してくれると、僕たちの研究の役に立つ」
広瀬は、グラフをみた。自分の生活が、こんなところでにじみでるとは思わなかった。
「付き合ってる人が」と広瀬は小さい声でこたえた。
自分でもバカみたいだがこんなことをいうだけで顔が熱くなるような気がする。
「恋人ができたんだね」男の声がやさしい。
「はい」
こんな返事をしていることを東城が知ったらにやにやしそうだ、と広瀬は想像する。熱くて汗がでそうだ。東城が恋人とか好きだとかそんな言葉にこだわる理由がわかった。こんな言葉が身体を熱くさせるとは。
「忙しい人なんだね。広瀬君も忙しいだろうから、なかなか会えなさそうだ」と男はディスプレイをみながら独り言のようにいっている。
そして、また、笑顔をうかべた。「でも、よかった。広瀬君がこの実験に飽きたんじゃないことと、君に恋人ができたことがわかって」
『白猫』は広瀬に帰っていいといった。広瀬は、挨拶すると席をたった。
研究所では1時間以上がたっていてあたりは暗くなっていた。
広瀬は、新しいタブレットを片手にもち、宮田が待っていると言っていたカフェにむかった。宮田は店の奥のソファー席に座り、熱心にスマホのパズルゲームをしていた。夜のため客はまばらだ。宮田のコーヒーカップは空だった。
広瀬が近づくと彼は目をあげた。広瀬の手にタブレットがあるのを見ると、「よかったなあ」と言ってきた。
自分のことのようにうれしそうな顔をされた。
「新しいのもらえたのか?」
「前の情報も入ってる」正確にはもらったのではなく貸与されているだけなのだが、それは訂正しなかった。
「前のよりよさそうだな」と宮田は言った。「よかった。広瀬、大井戸署にきたときからずっとタブレットもってただろ。だから、なくなちゃって違和感があったんだよ。ちょうど、ほら、メガネかけてた奴がメガネやめたりとか、いっつも赤い上着着てた奴が別な色の着たりとか、そんな感じ」
赤い上着着ている奴というのは例えばにしては妙だったが、言わんとすることはわかった。
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