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跳び箱編『第3話』

 一時間目。大嫌いな体育の時間がやってきた。 「よし、OK! じゃあ次のヤツー!」  ピッ、というホイッスルの音が聞こえた。直後タタタ……と床を走る音がして、ダンと踏み切り台を踏む音が聞こえてくる。  ストンと無事にマット上に着地した音を聞いて、夏樹は再び溜息をついた。 「よし、いいぞ。じゃあ次ー!」  市川の姿が跳び箱の向こうに見えた。手元のチェックボードに何か書き込みながら、生徒たちが跳び箱を跳んでいくのをチェックしていた。 (ていうか、なんで跳び箱なんだよ……)  バスケやサッカーなどの球技の方がまだよかった。陸上競技や器械体操は、夏樹にとって特に苦手なジャンルだった。よりにもよってそんなものを実技テストに選ぶなんて、最早嫌がらせのレベルではなかろうか。しかもこんな風に一人一人跳んでいく形をとってしまっては、クラスメート全員の前で恥をかいてしまう。「男のくせに跳び箱七段も跳べないのか」と笑われてしまう。 (どうしてくれるんだ、あのクソ教師……)  自分の順番がだんだん近づいてくる。七段の跳び箱が迫ってくる。精神的プレッシャーのせいか、夏樹はだんだんお腹が痛くなってきた。 「じゃあ次、笹野ー!」 「…………」 「おーい、早くしろよ。後がつかえてんだから」 「……はい」  仕方なく、夏樹は嫌々走り出した。数メートル先に七段の跳び箱が待ちかまえている。近づけば近づくほどそれが大きくなり、三階建てのビルよりも大きくなっていくような錯覚に陥った。 (……やっぱり無理!)  緊張と不安で身体が強張り、ついに跳び箱に手をついたまま足を止めてしまった。  市川が怪訝な目でこちらを見てくる。 「どうした、笹野?」 「…………」  どうしたじゃない、跳べないことを悟れ。  そう言いたかったけれど、仮にも教師である市川に暴言を吐くのは得策じゃない。  夏樹は小さく呟いた。 「……すみません、できません」  できないものは仕方ない。誰にだって苦手なことはあるんだから。無理なものは無理だ。  半ば開き直るような態度で、くるりと跳び箱に背を向けた。  ところが、市川は溜息混じりにこんなことを言い出した。 「じゃあお前、今日の放課後補習な」 「……えっ?」 「『えっ?』じゃないって。授業終わったら着替えてここに来いよ? 待ってるから」 「ええ? なんで俺だけ!?」 「そりゃ、お前だけ跳んでくれないからだろ。成績『1』になってもいいの?」 「…………」  それは嫌だ。自分の成績表に「1」がつくなんて冗談じゃない。苦手な科目だったとしても、せめて「2」は欲しい。  市川は更に言った。 「俺だって可愛い生徒の成績表に『1』はつけたくないからな。ちゃんと補習受ければ最低でも『2』はつけてやるから、サボらずに来いよ? サボったら『1』にしちゃうからな」 「…………」 「返事は?」 「……わかりましたよ」  成績を盾にされてしまっては、嫌とは言えなかった。  夏樹は渋々頷いた。

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