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夏休み編『第32話』
やがて市川は小さく息を吐くと、感心したように言った。
「時々思うんだけど、お前意外と強いよな。普通、こんな目に遭ったらしばらく寝込んじゃうと思うんだけど」
「……む。どういう意味ですか、それ。先生、俺をそんなに女々しいヤツだと思ってたんですか? 俺、これでも男なんですよ?」
「わかってるって。でもこういうのは男とか女とか関係ないだろ。トラウマになってもおかしくない出来事だしさ……」
「……そりゃあ、全く気にならないと言ったら嘘になりますけど。でも、俺もウジウジ悩んでいるのは性に合わないんで。王子様に守られるだけのお姫様なんてまっぴらですからね」
「……王子様?」
その単語を聞いた途端、市川が目を輝かせてこちらに迫ってきた。
「夏樹、今俺のこと『王子様』って言った?」
「……えっ? あ」
ついポロッと口をすべらせてしまい、夏樹は慌てて首を振った。
「も、ものの例えですよ! 別にそんなこと思ってません!」
「ホントかぁ? 腹の中では『王子様』って思ってたんじゃないの?」
「っ……!」
図星を突かれて言葉に詰まる。「違う」と言いたくても声が出てこない。
その上みるみる頬が熱くなっていき、確認するまでもなく赤面していることが丸わかりだった。これでは「そうです」と言っているようなものだ。
すると市川は嬉しそうに微笑み、お姫様を愛でるように頬を撫でてきた。
「そうか、そうだよな。『好き』とは言ってくれなくても、ちゃんと俺のこと好きでいてくれるんだよな?」
「あ、そっ……それは、その……」
「ありがとうな、夏樹。こんな俺を『王子様』だと思ってくれて」
整った顔が近づいてきて、そっと唇にキスされた。軽く触れるだけの優しいものだった。
「っ……」
心臓が鷲掴みにされたみたいにキュンと痛んだ。さすがの夏樹も、この期に及んで「思ってません」と意地を張ることはできなかった。
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