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第14話 サボタージュ

 暁が待ち合わせ場所のコンビニに行くと、既に坂下は店の中にいた。 商品を大した興味もなさそうに眺めている姿に、店の外から合図を送る。 坂下はすぐに気付いて出てきた。 外の日差しに、坂下は眩しそうに目を瞬いた。 「悪い、ちょっと遅れた。」 「ううん、それよりすごいね、それ。自分の?」 坂下は目を丸くして暁の乗ってきたバイクに触れた。 「いや、ヤブの兄貴の。貸してもらった。」 「かっこいい。自動二輪の免許持ってるんだ。」 「持ってない。」 「え?」 「無免許。」 「それってやばくない?」 「やばいよ。つかまったらまず停学。いや、退学かな。」 坂下が一瞬鼻白む。 「つかまるようなへまはしないけどな。怖いのかよ?」 挑発的な物言いで、暁は坂下を試していた。 不良じみた行為を理由に断られたら、それでもよいと思っていた。 だが、坂下は首を振った。 「別に、怖くなんかないよ。」 「上等じゃん。」 暁にヘルメットを手渡されると、坂下はすっぽりとかぶった。 「振り落とされないようにしっかり掴まれよ。」 胴に回された坂下の腕を、暁はぐっと引き寄せた。 密着した坂下の体温を背中に感じた。 高揚した気持ちを抑えながら、暁は国道を飛ばした。 工業団地を抜け、市街地からかなり外れた、国道沿いのラブホテルにバイクを停める。 「ドキドキする。」 ヘルメットを暁に手渡しながら、坂下が言った。 「バイクに乗ったの、初めてだから。」 暁の耳にも、ドッドッドッドッという音が聞こえていた。 柄にもなく胸が高鳴っている。 「俺も。久々に乗ったから、なんか興奮してる。」 バイクに乗ったことが理由ではないことを、暁は自覚しながら、自分に言い聞かせるように口にした。 「入ろうぜ。」 咳払いをし、声が掠れるのを誤魔化しながら暁は坂下を促した。 平日の日中のためか、中は静まり返っていた。 無人フロントの端末で素早く手続きを済ませ、身を固くした坂下の手を引く。 エレベーターの中で、坂下は完全に固まっていた。 部屋についても、坂下は俯いたまま顔を上げようとしない。 ここまで来てしまったことを後悔しているのだろうかと訝りながら、暁は口を開いた。 「クーポンあるから。平日のサービスタイムだから2時間で2,800円。割り勘な。」 「出すよ、それくらい。俺が誘ったんだし。」 坂下が慌てたように答える。 「ダメだ、この前のタクシーだってお前出したろ。奢りって言い張るなら俺、帰るから。」 「分かった…。その…彼女とかとよく来るの、ここ?」 「初めてだけど、なんで?」 「クーポンなんて持ってるし、駅裏とかもっと近いところあるのに、わざわざここまで来るから。」 「ああ、バイトの知り合いに教えてもらったんだ。近くは学校の連中とかと会うとまずいだろ。街中は高いか汚いかどっちかだって言われた。オススメって言われてクーポンもらったんだ。俺だってこんなところ来んの、初めてだって。」 「そう…なんだ。」 ほんのりと坂下の頬に赤味が差す。 「お、俺もこういうとこ来るの、初めて。」 「探検してみる?」 「うん。」 インテリアは少々悪趣味だが、清潔な雰囲気は悪くない。 坂下はしばらく落ち着かない様子で風呂場やトイレをのぞいたりしていたが、やがて顔を赤らめたままうつむいてベッドの端に腰を下ろした。 「大事な話があるんだろ?」 暁は坂下の横に座り、声をかけた。 迷っていた気持ちは、バイクに乗るうちに吹っ切れていた。 すでに腹はくくっていた。 坂下がその気なら、一線を越えることにためらいはなかった。 自分の声が上ずって聞こえ、暁は咳払いをした。 坂下はしばらく視線をさまよわせ、膝の上で手を組んだ。 「…連れて来てくれてありがと。いくら友達だからって、男同士で勘弁してくれって拒否されるかと思ってた。待ち合わせ、すっぽかされるんじゃないかって。」 「俺は約束破ったりしない。」 暁は坂下の顎に手をかけ、上を向かせた。 「それに、ただの友達だったら、こんなとこまで来ない。」 戸惑うように坂下の瞳が揺れる。 「なあ、お前俺に聞いたよな、自分のこと好きかって。」 坂下は答えない。 「俺がきちんと答えたら、お前も答えてくれるか?」 坂下はかすかに震える。 「お前のこと好きだよ、友達としてじゃなくて。意味、分かるよな。ここに来たのは、お前も同じ気持ちなんだと思ってる。」 肯定の答えが返ってくるのを待ったが、坂下が頷くことはなかった。 坂下は口を開き何かを言いかけたが、それは言葉にはならなかった。 やがて坂下は今にも泣き出しそうな顔つきで、ゆっくりと首を振った。 「だめだよ、暁、そんなこと言っちゃ。なんでそんなこと言うのさ。どうかしてるよ。」 「お前、なんか隠してる。ずっと言いたくて言えないことがあるんだろ?だからここに来たんじゃないのか?」 「言いたくて、言えないこと…」 坂下は暁の手をほどき、俯むいた。 やがて体が小刻みに震えだす。 泣いているのかと顔を覗き込もうとしたとき、坂下の喉からくっくっと笑い声が漏れ出した。 坂下はうなだれたまま体を揺らし、空虚な笑いを響かせた。 「おい…」 暁は坂下の肩をゆする。 坂下は昏い瞳で、口の端を少しだけ引きあげ、ぎこちない微笑みを浮かべて暁を見上げていた。 「なにマジな顔してんのさ、せっかくこういう場所にいるんだから、ちょっと楽しもうよ。」 「おい、ちょっと…」 泣き出しそうな瞳をしたかと思えば突如笑いだし、言葉と表情がかみ合わっていない。 坂下の行動は何もかもがちぐはぐで、暁は下手な人形劇でも見ているような気分になった。 坂下は不意に暁の肩に手をかけると、唇を押し付けてきた。 冷えてかさついた唇には、情熱も興奮も宿ってはいなかった。 まるで死人とのくちづけのようだった。 暁はそのまま行為を進めてよいものか迷いながら、坂下の頭を引き寄せて舌を潜り込ませ、息を吸い上げた。 「やめっ…」 坂下は突然息を飲んで硬直し、突き飛ばすように暁の顔を押しのけた。 暁は不意を突かれ、ちょっとよろめくと、舌打ちをした。 「お前な…誘ってんのか拒否ってんのか、はっきりしろよ。訳わかんねえ、どうしたいんだよ。」 坂下は一瞬たじろぎ、息を整えると口の端を引き上げた。笑顔とも泣き顔ともつかない表情を張り付け暁を見上げる。 「…ふ、あはは…、誘ってるんじゃん、わかんない?ちょっと乱暴に犯されたくて抵抗してみただけなのに。暁って鈍感なんだ。もしかして童貞?あはは、んなわけないか…。でも、男は俺が初めてだよね?」 坂下は棒読みのセリフのように挑発的な言葉を並べると、ベッドの中央に乗り上げ、服を脱ぎ始めた。 Tシャツを脱ぎ捨て、カーゴパンツから足を抜き、トランクスに手をかける。 だが、それ以上どうしたものか分からないかのように、ウエストに手をかけたまま坂下は止まってしまった。 蓮っ葉な口調を裏切るように、指が震えていた。 「何無理してんだよ、お前はそういう奴じゃねえだろ。」 なだらかな線を描く薄い肩が眩しく、暁は思わず視線をそらせた。 理性を奮い立たせ、ベッドカバーを剥ぎ取り、坂下の半端な裸身にかけてやる。 「お前、おかしいよ。」 「おかしいって何が?暁に俺の何が分かるっていうんだよ?これっぽっちも知らないくせに。」 坂下の声は振り絞るように掠れてわなないており、その声に暁の心は冷静さを取り戻す。 「確かに知らねえよ、俺は。お前のこと、何一つ。家のことも、連絡先も。だけどな、お前が何かで苦しんでるのは分かるんだよ、知らなくても感じることってあるだろ。」 坂下がすがるような眼差しを向ける。 暁は坂下の頬に触れた。 冷たかった。 このまま抱きしめたら、薄い氷のように粉々に壊れてしまうような気がした。

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