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第15話 デッドエンド①
坂下は胸をかきむしりたいような衝動に駆られた。
分かって欲しかった、分かってくれると信じていた。
絵を見たときから、暁なら自分を受け止めてくれるような気がしていた。
だが、それは見果てぬ夢だった。
今は見ることさえ許されない。
「……俺、俺がここに来たのは…連れてきてって頼んだのは…、うん、暁に抱かれたかったんだ。そうだよ、ただヤリたかっただけ。こういうところに来れば、その場のノリでそういうことに持ち込めるって期待してた。
だけど、それだけだよ。別に、話すことなんてない。俺はそれ以上のことは望んでない。」
「意味、わかんねえ。お前の言うこと、支離滅裂。」
「なんで分かんないかな。俺はたぶん一生女の子と付き合ったりすることはないってこと。だけど、暁は普通の人だから。俺とは違う。」
「普通ってなんだよ?俺はお前が思っているほど『普通』じゃねえよ。」
そう、だからこそ坂下は暁に魅かれたのだった。
暁は常に『普通』のみんなから逸れた場所に身を置いていた。
どことなく自分と似た匂いを感じた。
だけど、異端者と背徳者は決定的に違う。
「好奇心で一回くらい男とやっても、悪ふざけで済むじゃん。すぐ忘れてなかったことにできるよ。」
「何が悪ふざけだよ。だいたい、そんなのは俺が決めることだろ、なんでお前にいちいち考えてもらわなきゃならないんだよ。」
暁のように強くなれたら。心の声に従う強さがあったなら。
坂下は唇を噛む。
自分は常に逃げ道を探し、言い訳を求めることしかしてこなかった。
「俺さ、暁のこと好きだった。同情でも間違いでもいい、抱かれることができたら。たった一度でいい、一生に一度でいいって思った。それ以上の関係なんて望んでなんかいない。
だけど、そのために嘘を重ねて必死で騙して…なんか浅ましいよね。心配してくれるのに付け込んで、無理矢理こんなところまで誘い込んで…ごめん。」
「何があった?お前は何に怯えてるんだよ?俺はどうすればお前のこと守れるんだ?」
長めの前髪から覗き込む暁の瞳に、坂下は心がかき乱される。
睨みつけるような眼差しに隠された優しい光。
いつもだらしなく着崩した制服や、不良じみた言動とは、不釣合いなほど澄んだ瞳。
スモッグで煤けた町の、最も美しい一瞬を焼き付けた瞳だ。
その視線に、嘘も欺瞞も、何もかもが剥ぎ取られるような錯覚に陥る。
張り詰めていたものがすべて音を立てて崩れていった。
坂下は、自分を取り繕っていたものが決壊していくのを止めることができなかった。
――もう、限界だ。
坂下は観念した。
これ以上薄汚れた自分を隠し通すことなど出来ない。
坂下は自分に言い聞かせる、自分は賭けに負けたのだ。
自分の存在そのものに反吐が出そうだった。
口から出てくるのは、腐臭の漂う吐息と醜い嘘ばかり。
「やっぱり見てないんだね、封筒の中身。」
覗き見などしないと分かっていて預けた診断書だった。
だけど、どこかで見て欲しいと思っていた。
自分の口で明かすだけの勇気がなかった。
暁がジーパンのポケットを探る。
必要なくなったから返して欲しいと頼んだのだった。
「開けて読んでみて。」
暁が怪訝そうに眉をひそめ、封を切る。
文字を追う瞳が一瞬止まり、顔色が変わった。
その中身を坂下は諳んじていた。
文字の書き込まれた人体図と、所見。
尿と血液中に見られる薬物反応の有無、皮膚の鬱血痕と擦過傷、肛門の裂傷と粘膜の炎症に関する診断、採取された体液。
『…以上の診断結果は、薬物で抗拒不能にされた上で性的暴力を受けたという患者の訴えを裏付けるものである。』
張りつめた沈黙。
暁の手の中で、診断書がくしゃ、と音を立てた。
「あの、雨の日か?」
低く掠れた声が坂下を問い詰める。
「おい、相手って…」
「前の日にさ、俺のお祝いしてくれたろ。あの後、家に帰ったら、兄貴が帰省してた……」
「ちょっと待て、お前の死んだ兄貴って一体…」
坂下はゆっくりと息を吸い、吐き出した。
心が揺れないように、感情が高ぶらないように、細心の注意を払いながら言葉を紡ぐ。
「俺が…俺が殺したって言ったら?」
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