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第2話
イハルは静かな室内で重い沈黙を守っていた。
自分に対し背中を向けて真っ白なその体に時間がたってかぴかぴになった精液を纏う主人は無言で壁をみつめている。感情のこもってない瞳がただただ豪華な壁紙を映し出していた。
昨晩は遅くまで、王の夜伽の相手をしていたのだから、体が辛くて動けないのだろう。
鳥が囀ずり始めた頃にこの部屋から姿を現した王にふつふつと怒りが込み上げる。
ここは王の寝室。コノエを抱いた後始末をしない王は恐らく執務室に籠って仕事中か。全て侍女に一任しているといえば聞こえは良いし、コノエの身分を考えれば王が後処理をしないのは当然だ。
しかし、それでもイハルの中では納得がいかないのだ。こればかりは個人的な感情だから致し方ない。
ただ、王にも理不尽なところがあって、コノエ抱いたのは自分のくせにその後綺麗に掃除をしておかないと怒るのだ。そして、その怒りはすべて今目の前にいるコノエに向けられる。
一度コノエ付きの侍女が王の部屋の掃除を任された際に、ベッドの始末がなっていないと王の怒りを買ったことがあった。
その時も王は侍女ではなくコノエに怒りをぶつけるように、彼を部屋に引き摺りこんで、三日三晩部屋から出てくることはなく、荒々しく彼を抱いた。
やっと出てきた四日目の朝。王の機嫌こそいつも通りだったが、コノエの背中に残された痕やカラカラに枯れた声が痛々しく目に焼き付いて、今でも離れようとしない。
宮で働く使用人たちは「コノエ様は他の奴隷達とは違って体を重ねることを酷く嫌がっておられるのに」と彼に溢れる程残されたそれを見て顔をしかめた。
その原因ともなった不始末を起こしたとある侍女は今でもそのことを気にしているらしく、人が変わったように神経質になってしまった。
塵ひとつ残すことなく掃除される寝室などは彼女の後悔からくる清潔さである。
「イハルさん、濡れタオルを頂けますか」
少し掠れてはいるが、鳥の囀ずりのようだと評される美しい声がコノエから発せられる。
はっと現実に戻されたかのように、イハルは少し渋りながらも彼に濡れタオルを渡す。
「っ・・・・・・うっ・・・く」
コノエは軋む身体に鞭打って起き上がると、持っていたタオルで身体を丁寧に拭いた。
少しでも動けばぎしりと悲鳴を上げる。
コノエの身体は動くたびに汗を滲ませ続けている。
辛そうだ。と思うも彼女は手を貸すことを許されてはいない。
ほかの誰でもないコノエが、それをすることを嫌がっているのだ。
「ごめんなさい・・・少し外に出ていてもらっていいですか」
あまり、見られたくないことなので。そう口に出したのはいつだったか。
わかりました。と言葉を紡いで静かに部屋を退室する。
だが、その扉の前から動くことはできない。
小さなうめき声が聞こえてくる扉に背中をくっつけて小さくため息を吐く。
そっと近づいてきたひとりの侍女が心配そうに顔を覗きこんでくる。
「コノエ様は・・・」
「・・・中よ」
不安げな侍女、リリィはイハルからすっと視線を外すと彼女の背後にある豪華な扉に向けた。
無言の扉から時折小さく漏れ聞こえてくるそれは苦しそうでどこか艶めかしい。
何度もある事とはいえ、なれることは難しく、むしろこんなことになれたいとも思えなかった。
それはきっと中にいる彼もそう思っているに違いない。
それを分かっているからか、二人はまるで寄り添うように壁に背を預けながら、そこから少しの間動くことが出来なかった。
コノエが痛む腰を押さえて王の執務室に来たのは、昼過ぎの事だった。
扉を開けると十数枚程度の書類に目を通すタタリの姿があった。
イラついた様子で薄っぺらな紙に視線を滑らせ、判を押す。
つかつかと近寄ると、タタリはじろりと鋭い眼差しをコノエに向けた。
「……遅い」
手を休めることなくタタリはコノエを咎めるような言葉を発した。
判を押す音、紙を捲る音がリズム良く、それでもこの場には不似合いだ。
リン、と一際優しい音がし、コノエがタタリの前に立ち頭を下げる。
「申し訳ありません。タタリ様」
艶やかな金髪がさらりと肩から滑り落ち、揺れる。
長い睫毛は伏せられ、紅くぷくりと膨らんだ唇はそれきり音を閉じ込めた。
ふんと鼻を鳴らしたタタリはコノエに足元へ来るように促す。
静かな空間に遠慮がちな鈴の音が幾度か鳴った後、コノエはタタリの足元で膝をつく。
失礼しますと声を掛けるとそっと王の硬い太ももに頭を乗せる。
タタリのやりたいことは良く分からないがこうしなければ機嫌が悪くなるのだからやらざるを得ない。
「コノエ」
「はい」
「弐の国から手紙が届いている。読みたければ読むがいい」
すっと、眼前に差し出された手紙をコノエは受け取ることなく、首を振る。
受け取る訳にはいかない。いつものことだ。
「私には必要のないものです。お捨てくださいませ」
弐の国から届いた書物を見もしないで言うコノエに、王は気を良くしたのか、膝の上の金髪をさらりと撫でその手紙をゴミ箱に捨てた。
コノエが手紙を読まないのは、タタリの無意識な嫉妬による怒りを買わないためである。
彼は読むかと問いながらも、それをコノエが受け取ると途端気を悪くするのだ。
まるで子供だと思いながら、我侭で面倒な王に従うコノエは心の中でそっと弐の国の王にして友人の男に小さく詫びた。
弐の国の王、モノは賢く魔導に愛された男であり、コノエの祖国を治める賢王として有名だ。
タタリとは対照的な彼は、コノエの友人として三日に一度手紙を送ってくるマメな性格をしている。
二人の仲の良さは弐の国では誰もが知ることで、モノがコノエを愛していることもまた有名な事実であった。
そのコノエが居なくなり、壱の国の王のものになったと知らせが届くまでは、国民全員がモノの届かぬ愛を応援していた程である。
タタリの嫉妬は、その事実があるからこそだと思われるのだが、本人が自覚していない以上、それは予測にしか過ぎない。
「タタリ様」
「…なんだ、コノエ」
コノエはすっと顔を上げてタタリを上目遣いで見つめた。
モノ欲しげな目をすれば意味を理解したのか荒々しく貪るように唇を合わせてきた。
どこか遠い意識の元で静かな室内に響くリップ音を聴きながら、コノエはそっと目を閉じた。
――嗚呼、なんて、なんて哀れな王様。
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