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第10話

「…んっ……ここは」 目が覚めるとふかふかの上質なシーツに包まれたベッドの上で、いつの間に着せられたのか着心地のいい昨日店で買った薄紫の寝巻を纏って寝転んでいた。 目を擦って起き上がるとすぐ傍で本を読んでいたタタリがパタンとそれを閉じて顔をこちらに向けた。 「目が覚めたか」 「…タタリ様」 周囲を見回すとここはタタリの寝所であることが分かる。王らしい豪華な部屋。燭台を灯しその明かりに照らされた横顔は控え目に言っても整いすぎている。 よく来慣れた部屋ではあるが、いつもはここで情事に耽っている。まじまじと部屋を見る機会なんてない。コノエは物珍しそうに辺りを見渡す。 タタリは歴代の王の中でも変わり者らしく、寝所には数冊の本が入る装飾の派手な小さめの本棚が置かれているのに、天蓋付きのベッド等はあまり好かないというらしい。上等な黒と赤の布で作られた先代に比べればまだ落ち着いた雰囲気のそれにたまに不満を漏らしているのを聞いたことがある。国の金の無駄なので作り直したりはしないらしいが寝心地は最悪だという。コノエはそんな風には思わなかったが。 絢爛豪華な調度品は本人の趣味であるものもあればベッドのように趣味ではないものも混ざっているらしく、たまに見かける態度でなんとなくわかってしまうのが癪だ。 「無理をさせた。のぼせたらしい。気分はどうだ」 「あ、いえ…」 特に異常はと小さく答える。珍しく優しい態度にきょとんとしてしまう。 いつもなら目が覚めたらすぐにもう一回と行くくせになんて考えながらタタリを見ていると、彼は何かを考え込んだ様子で黙り込んでいる。 困ったなあと思いながらきっと今日はこのままこのタタリの寝所で眠ることになるのだろうと考える。まったくもって心が休まらない。 昼間の一件で気分が落ち込んで外は雨が窓を叩いている。暗くジメジメした気分がさらに憂鬱になりそうだ。 ため息を吐きそうになるのを我慢してタタリからのアクションを待っていると、彼は燭台の火を消して立ち上がってコノエの元へとやってきた。 「寝るぞ」 「はい」 頭を下げて掛け布団を持ち上げ二人で同じベッドに寝転ぶ。ぐっと力強く太い腕に抱きしめられてコノエは心の中でため息を吐いた。 タタリはこの体制が好きらしく、同じベッドで寝るといつもこうやってその腕に抱きとめる。苦しいときもあるが抜け出すと不機嫌になるので大人しくしてるしかない。 コノエはやれやれと心の中で深く深く息を吐いて、だがここでまた抱かれなかったことに安堵し、そっと瞼を閉じる。 気まぐれな王が寝息を立てるすぐ傍で、コノエの胸を占めるのは弐の国と今はもう過去の人となった者への郷愁の想いだった。 「最近コノエ様のお召し物が増えて私は嬉しゅうございます。本日のもお似合いですわ」 鏡の前で参の国から仕入れたという特殊な細工の入った簪を指したコノエに栗色の髪を高めの位置で一つ括りにした侍女リリィは銀フレームの眼鏡越しに茜色の瞳をらんらんと輝かせて明るい声で言った。 褒められた当のコノエは鏡を見て一瞬なんともいえない表情をしたが、リリィの笑顔を見るとすぐに笑顔に差し替えて礼を言った。 コノエは今、この後舞を舞うために豪華な衣装を着ている。 今朝のことだ。珍しくタタリが庭で酒を飲むというので折角だから花でも見たらどうですかとイハルが提案した。 すると何故か、宮中で花見をしたいというものが大勢集まり、その中のとある臣下が「そういえばコノエ様は踊り子をなさっていたそうで、舞っていただけたらさぞ美しいでしょうなあ」などと呟いたのをタタリが聞き逃さなかった。命令されたなら拒否権はない。 踊るのは好きだがあまり気が乗らないでいるが、いつまでもそうはしていられないのでコノエは立ち上がる。 簪に似合う薄紫の長着に上品な柄の入った帯を巻いて薄いレースの布を羽織る。 憂鬱な気持ちで足を踏み出すと態と垂らした長い金色の髪がゆらりとゆれる。美しいその横顔をみて侍女リリィは感嘆の息を漏らした。 気だるげなそれでいて儚い美しさを持ち、キラキラと輝くコノエが神々しくてため息がつい零れてしまう。 「…リリィ?」 ぼーっとコノエを見つめているリリィを不思議に思ってコノエが声を掛ける。 首を傾げてみればハッと意識を取り戻したように返事をして自らの身を整える。参りましょうと言って扉を開くリリィにやや不思議な気持ちを抱きながらもコノエは庭に向かった。 壱の国の宮殿の敷地は広く、他国と比べてもその広さは群を抜いている。 例えばここ。コノエが先日涙を流していた中庭からひとつ建物を超えた位置にある場所で、そこにはメルエリと呼ばれる花やキツキ草、それから国の象徴ともいえる大樹がある。 今の季節、大樹がエルスーナの花を咲かせはじめる。その花の蜜は黄金に輝くだけでなく、とある葉と混ぜると万病に効く薬になるとも言われる。 花が散るとき、または大樹の精が人に祝福を与えるとき、花びらが光り輝くと言われており、それ故、一部地域ではエルスーナは星の花と呼ばれていることもある。 コノエはその樹の下で踊った。結果を言うと舞は大成功だった。 踊りの最中、宮中のエルスーナの樹が一斉に輝いて見せた。それは紛れもない祝福だった。 キラキラと輝く樹の下でコノエはその光を浴びながら艶やかな笑みで舞を終わらせる。 この樹の伝説とか言い伝えとか、祝福がどうとか本人にはどうだってよかった。 踊る前は憂鬱で嫌な気分だったが、ひとたび体を動かしてしまえば関係ないのだ。自分は心の底から踊り子だ。そう感じてコノエは満ち足りた気分で立っていた。 その表情にタタリも驚き目を見開いていた。自分が"あの時"一目見て欲しいと思った彼は国の大樹に祝福され、期待以上の舞を魅せ、満足そうに笑っている。その顔は共に過ごす日々では見られなかったものだ。自然と口角が上がる。 拍手と歓声の嵐に包まれた中で自分も彼に賞賛の拍手を与える。彼がこちらを向いてその笑顔が引っ込むのを見て、胸の中でムッと何かがつっかえた。 気に入らない。俺はその笑顔が、と考えて機嫌が悪くなったのか、憮然とした王はコノエに傍へ寄るように命じた。 盛り上がっていた臣下たちもしんと静まり返る。 「衣装直しはいけませんか」 コノエがいつもの無表情で言うとタタリはじっとその瞳を見つめたまま無言を貫く。 面倒くさいとコノエは誰にも気づかれないようにため息を零した。 隣に腰を下ろすとタタリが肩を抱いてくる。冗談じゃない。いい気分だったのにと顔を歪めるがこれ以上機嫌を損ねるとそれはそれで結局自分に返ってくると仕方なくされるがままになっておいた。

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