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第十四話 理ない仲への階段

 誰が聞き耳をたてているのか分からない。何気ない様子を装って、綾瀬は猛る気持ちをざわつかせながら耳を傾けた。 『……ケイトくん、コミコミ庭にも出席するの?』 『いや、俺はエアだけにします。最近忙しいので、ネットだけの販売にしたいと思っています』  んん? お、と、こ……!? 二人とも男なのか?  綾瀬は舐めるように視線を這わせて、モクモクのアイコンを二度見した。やはり対話しているのは神絵師のふたり。パステルカラーで塗られた純情可憐なイラストで間違いない。 『そっか〜! あ、だれか聞いてる? 誰だろうね?』  ぱっとひまわりの花でも咲いたような声に綾瀬の心臓が破裂しそうになった。どこかで耳にしたことがある。  まるで自分が秘密の園の隙間に手を差し伸べて、妖精たちの秘め事を覗いているように感じた。  えええええええい! ここは漢を見せよう。  ピコンと綾瀬は入室ボタンを押した。瞬間、おどおどとした声が耳に飛び込んできた。 『あわあわあわあやあわ、綾瀬さん!』 「あ、えっと、綾瀬です。唐突ですいません……」 『あ、あ、あ』 『はじめまして、サイコパス・ケイトです。俺、風呂はいってくるので申し訳ありませんがここで失礼します』  唐突にケイトはコメントを残して颯爽と退出してしまう。残されたふたりは肩をおさえつけられたような沈黙がのしかかった。 「……あ、はい。おやすみなさい」 『……えっと、お、おやすみ』  やばい、ハルさんと二人っきりだ。ぎゅっと拳を握り、手汗がだらだらと滝のように流れた。ちょっとつつけば爆発しかねないほど緊張を昴めている。 「あ、あ、あ、あの!」 『はい……?』  綾瀬ははっとして、目の前にあった古いスマホと目が合う。急いで充電器をさして電流を注ぎ込んだ。  そうだ! 忘れてた。 「ろ、録音してもいいですか?」 『……あ、う、うん。じゃあ僕もしようかな』 「あはは」 『えへへ』  笑って誤魔化すふたり。が、やっていることはちょっと気持ち悪い。それでも綾瀬は身体が燃えるような興奮にとらわれた。  クソかわいいな、おいいい!  は! いけない! 俺には晴斗という嫁がいるんだ。まずはしとやかに挨拶を交わさなければならない。 「あ、あ、あの」 『あの、綾瀬さんは男性なんですね……』 「あ、おれですか? えっと、あの、そうなんです。なんだか、すみません」  綾瀬は額をシーツに吸い取られたように土下座した。腰を折って、深々とお辞儀を狭い部屋のなかでひとりでしている。  そして、そっと復活したスマホの録音ボタンを押す綾瀬なのである。反省の色を浮かべているが、表情に抜け目のない計算が漂った。 『え、あ! 謝らないで下さい。僕も男なので、ちょっと嬉しくて……』  創造の神よ。なんと優しい囁きなのだろう。言葉のやりとりに神経を遣うことなく、余裕のある雰囲気で話に花が咲く。 「もしかして、ハルさんは年上なんですか?」 『あ、うん……、は、ハタチかな』 「お、俺は十七です」 『えっ! あ、うそ! しまった!』  バタバタと端末のむこうで、あわてた早口でどもっていうハルがいた。 「しまった?」 『あ、あ、いや、なんでもない……』  ……年上なの、か。  綾瀬はごくりと生唾を飲み込んだ。渇いた空気が咽喉のもとを通り、ドキドキとした鼓動が跳ねてしまう。  年下攻。いまでも根強い人気を誇るジャンルである。男×男の背後に年下という下剋上をさらに塗り替えて、支配力と抗えない背徳感。  そこから派生してはさらに分化していく、教師受、オジ受、先輩受など。  たった三歳だ。三歳差なんて、中学受験と高校受験が被って、入学金と授業料が一気に百万ほど飛んでしまうだけだ。  四歳児にしがみついて頭突きする一歳だっている。三歳なんて、全然イケる! 『じゅ、十七なんですね……。綾瀬さん、落ち着いた文章だからもっと上だと思ってました』 「いえ、それは……」  推敲は父親がしてるんで……。とは口が裂けても言えなかった。  編集者である父が綾瀬の原稿画面を発見してしまったのがきっかけだった。  それからだ。母親の代わりにお茶を置きにきた父からの熱血指導が始まった。 やれ比喩は直喩、隠喩、擬人法三つがあって、山場はシンデレラ曲線にしろ、文章は必ず推敲しろなど耳に胼胝(たこ)ができるほど言われ、居間に一人残って文章術の習練に励んでいた。いまさらながら思い出すだけで、気が滅入ってしまう。 『それは?』 「いや、あの、それよりハルさんのイラストや漫画、大好きなんです! いや、糧です! 愛してます!」  しまった。言いすぎた。言わなければいいのに、愛を伝えてしまった。  綾瀬ははっとして、ぶんぶんと首をふった。 『僕も、好きです。綾瀬さんのこと、大好きです』  はわわわわわ!  わかる。わかってる。作品を通して好き。そう言われてるのに、綾瀬は嬉しくてしょうがなかった。だがとなりの席にいる晴斗が瞼のうらに浮かんだ。  は! いけない! 嫁がいるのに! 浮気はいけない!  ……けど、けど。 「ぼくも好きです。えへへ、両思いですね」  おれええええええええええええ!    年上だと耳にすると、つい甘えてしまう綾瀬がいた。姉がいたら膝枕でごろにゃんと耳かきをしてもらいたい願望は少なからずある。 『なんか、恥ずかしいな。あ、今度、平凡くんのファンアートをまた書いてもいいですか?』 「本当ですか!? 嬉しい! 俺、ショート ストーリーでもなんでも書きますよ!」 『え! 嬉しい!』 「なんでもします! なんなら表紙もお願いしたいくらいです。もちろん、有償で!」 『そんな、無料でいいよ』 「だめです。ただより怖いものはないです。表紙をお願いします!」  綾瀬は土下座しながら、ただひとり盛り上がっていた。ハルさん優しい。ハルさんの声かわいい。ハルさんともっと仲良くなりたい! 胸の底から満ち足りない情熱のマグマが噴き出してしまっていた。 『あはは、うん、前向きに考えてみるよ。あ、僕これからお風呂だから、また……』 「また?」 『電話、したいです』  もじもじと口にする仕草が見えそうになり、綾瀬のミラクル棒に熱がドクンとこもった。  やばいやばいやばい。  いけない、俺には嫁が。嫁がいるんだ。鈴木晴斗というとなりの嫁がいるが叶うことはない……。  綾瀬は二股という薔薇の道に足を向けはじめた。

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