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第306話

いい歳した大人がさ、号泣するなんて…恥ずかしい…。 こんなに涙を零したのはあの日以来、何十年ぶりなんだろう。 俯いているせいで、テーブルの上に落ちた水溜まりがどんどんと大きくなっていく。 「お…俺さ、…悔しいとか怒ってるとかじゃなくてさ…ただ寂しいんだ…」 誰に対してなのか、言い訳のような言葉しか出てこない。 「いつか…いつか出ていくんだろうな…って分かってても…」 …子供は親元から巣立つもの。 「…でも実際…本当にその日が来るなんてさ…」 たどたどしく言葉を探しているとガタッと音がして気配が動く。 「郁弥…」 俯いた俺の背中に、涼真の重み。 肩には頭が乗っていて、涼真の髪が俺の顔を擽った。 後ろから回された腕は優しく俺を包み込んで…ギュッと抱きしめられる。 …安心する… …温かい涼真の腕に閉じ込められて。 「郁弥…ありがとう。真咲を愛してくれて」 「…愛するって…こんなに大変なんだな…知らなかった。…教えてくれて…ありがとう」 涼真に対するもの決してと同じではないけれど、真咲を愛していたのは事実。 離れていくだけで、こんなに心が寂しくなるんだ。 「ねぇ涼真、…真咲が出ていって、こんなにみっともなく泣いちゃう俺だけど…それでも傍にいてくれる?」 涙もようやく枯れてきて視界にウサギみたいな目をした涼真が映った。 「当たり前だろ!俺は郁弥から絶対に離れないから!」 涼真が俺にそう言って、顔をクシャッとさせてぎこちなく笑った。

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