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第2話

12時を少し回ったところで、柴田と逢坂は部屋を出た。車に乗って行こうかと考えたけれど、外は思ったより天気が良く、久しぶりに電車に乗って行くことにした。仕事に行くのに車を使っているのは自分のペースで移動できるから便利が良いからであるが、家も事務所も別段電車に乗って行くのにそんなに不便ではない場所にある。贅沢なのだろうなと柴田は時々考える。真中が時々思い出したようにする氷川了以の話にも、氷川がお金の使い方を知らないという話が出てくる。30代で独身で、その上無趣味で仕事ばっかりしていたら、お金が貯まっていくのはほとんど仕方がないみたいなことだった。その使い方が変な風に捻じ曲がって行くのを、真中の話に適当に相槌を打ちながら、柴田は本当は少しだけ、その部分だけは氷川に共感できるような気がした。勿論氷川のお金の使い方が分からないことと、自分のそれはレベルが違うことくらい分かっているのだが。 「侑史くん、何処行くの、今日」 「あ、服買いに行く」 「へー」 隣を歩く逢坂がそう相槌を打って、柴田はそう言えば、仕事以外の用事で外に出かけるのは久しぶりだなと思った。太陽の光が若干目に眩しい。暗くなってから帰宅する生活をしていると、日の光を浴びるのはほとんど朝だけになってしまう。 「侑史くんと出かけるのはじめてだよね。はじめてのデートだよね、これ」 「・・・デートって」 はしゃいだ声で逢坂が言うのを、柴田は苦笑しながら見ていた。そういえば改めて考えてみると、ふたりで出かけたことなど、はじめの焼肉屋以来なかったかもしれないと思う。普段からインドアで休日はだらだらすることに全力を費やしている柴田だったが、隣でにこにこしている逢坂を見ていると、もっと色んなところにふたりで行かなければと半分義務みたいに思う。 「あ、着いた、ここ」 何でもないことを逢坂と話しながら歩いていると、繁華街から一本奥に入ったところにある、柴田の行きつけにしている洋服屋まですぐだった。ここに来るのも久しぶりだなと思って、柴田はその茶色い扉に手をかける。振り返ると逢坂は道路にまだ立っていて、看板を見上げているようだった。 「・・・侑史くん、ここ」 「閑、なにぼーっとしてんの?閉めるぞ」 柴田にそう言われて、慌てて逢坂が扉を潜る。店の中は少しだけ暗くて、逢坂には分からぬ音楽がBGMとして低く流れていた。休日らしく何人か先客がおり、賑わっているわけではなかったが、それなりに流行っているような感じはした。いらっしゃいませと近くにいた店員が言うのに、柴田は律儀に軽く会釈をする。すると入口からは少し離れたところにいた別の店員が、柴田を見つけると畳んでいた服を持ったままやや駆け足で近寄ってきた。その表情が酷く嬉しそうに見えて、逢坂は柴田の背中に隠れるようにしながら、勿論そんなことはこちらの取りこし苦労なのだと分かってはいたが、その男性店員の様子を無意識に観察していた。 「柴田さん、久しぶりじゃないですか」 「あー、どうも。ちょっと最近忙しくて」 「新作いっぱい入ってるんで、どうぞ見てってくださいね」 愛想よく男性の店員はそう言うと、踵を返して店の奥に帰って行く。明らかに他の店員とは違う態度だと思いながら、逢坂は眉間に皺を寄せるのをなかなか止めることが出来ない。柴田はそれを見送った後、黙ったままの逢坂の方をちらりと見やった。 「侑史くん店員と仲良くなるの得意なの?」 「いやー、なんか何回か来てたら店員さんに顔覚えられちゃってさ」 「・・・ふーん」 珍しく無愛想に逢坂がそう返事をするのを、面白がるみたいに柴田が肩を叩いて、店員が消えた店の奥に向かう。ラックにかけられたハンガーを興味なさそうに指でなぞりながら、逢坂はその柴田の背中を追いかける。柴田は誰に対しても平等に真面目に律儀にできているし、こんなところで話しかけられたら、きっとセールストークと分かっていても邪険にしたりしないのだろう。しかしそれにしてもあの店員の嬉しそうな顔は腹立たしいと、勝手に嫉妬して逢坂は唇を噛んだ。 「閑はどこで服買ったりすんの?」 「え?」 ふと柴田の声が聞こえて、逢坂ははっと我に返った。柴田の指がなんでもない黒のロングTシャツを掴んでいる。そんなのいっぱい持っているくせにと思いながら、逢坂は口に出さない。 「えー、何処って言われても難しいなぁ」 「そう。でもお前はいいよな、背も高いし体もしっかりしてるし、何着ても似合うもんなー」 「え?」 「俺は駄目だなー、痩せてるから何着ても貧弱にしか見えないからさ」 それは偏食のせいだと思いながら、逢坂は柴田の隣で自分も服を見ている風を装う。柴田も身長が決して低くはないのだが、ほとんど脂肪がついていない体をしているので、背丈よりも先にその体の薄っぺらさが目に付く。寒がりで何かと沢山着込んでいる割には、長い首とか細い手首とか、そういう外気に晒される部分は無防備で、そこから体のラインを何となく想像できるから、余り意味がなかった。今凄くさらっと褒められたような気がするけれど、余りにもあっさりしている柴田のことを見ていると、もしかして自分の聞き間違いだったのかもしれないと思いながら、逢坂は自分の耳がちょっと熱いことを、どうしようもなくて持て余していた。柴田はそんなことには気付かない様子で、持っていた黒のロングTシャツを棚に戻して、今度はグレーを広げている。 「俺、ほんとは服なんて着れたらそれでいいんだけど、仕事場で会う人って職業柄なのか分かんないけど、結構おしゃれな人が多くてさ」 「・・・ふ、ふーん」 「だから一応、気は遣ってんの、ちゃんとそれなりに見えるように」 「へぇ」 「まぁ、俺、そっちのセンスはさっぱりだから、合ってるのかどうか分かんないんだけど」 本当に呆れるくらい何でも仕事優先なのだなと、それを聞きながら逢坂は思う。そしてこっそりひとりで寂しくなったりする。確かに柴田はいつも仕事に行く時はシンプルだけど綺麗で、それでいてセンスのいい格好をしている。しかし大体そういうかっちりした服装は、柴田のコンプレックスである体のラインをはっきりさせるものが多いかったけれど。逢坂はどちらかというと余り体を締め付けないゆるっとしたファッションの方が好きだったので、柴田がちゃんとシャツとかジャケットとかを毎日来て職場に行くのを見ながら、あんなもの毎日着ていて肩が凝らないものかと考えることの方が多かった。柴田の職場は服装の規定がそんなに厳しくはないようだったが、大人は色々気を遣うところがあるらしい。 「これにしようかなー、閑、どうこれ」 「・・・いいんじゃない」 胸の前にシャツを広げて当てて、柴田が聞く。そんな白いシンプルなシャツ、何枚か持っているだろうと思ったが、逢坂はやっぱりそれを口には出さなかった。 (今の凄く・・・恋人っぽい・・・) こうやってふたりで何でもない話をして、買い物に付き合って、そんなことひとつひとつが、何だかとても嬉しくてとても楽しかった。

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