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第3話

「しず、お前もなんか選べよ、買ってやるから」 「え?」 店の中を歩き回って、柴田は一通り自分の見たいものを見終わったらしく、にこにこしてそう提案してきた。急なことに困った逢坂は、すっと柴田から視線を反らして店内を見やる。逢坂にはこの店に入って来てから気になっていることがあった。 「えー・・・いいよ。俺は・・・」 「遠慮すんな、よし、俺が見繕ってやる」 「え、え?」 そう言って柴田は、たった何分か前に用事が済んだはずの棚の上に、もう一度手を伸ばした。いつもの柴田の様子と比べてテンションがやや高い気がするのは、気のせいだろうか。逢坂はそれを後ろから見ながら、どうやって断ったらいいのか分からず、すっかり途方に暮れていた。その間にも自棄に柴田は真剣な顔をして、逢坂の服を選んでいるようだった。 「いいよ、ほんとに、悪いし」 「良いんだよ、あ、しず、これちょっと、着てみて」 「えー・・・」 ぱっぱと柴田が手際よく何着か服を選ぶと、それをほとんど押し付けられるように握らされて、そのまま試着室に押し込まれる。自分は試着などしないで買うものを決めたくせにと思いながら、逢坂が振り返ると柴田が良い顔をしたままカーテンを引いたところだった。 (侑史くん、だってここ、すげー高い・・・んだけど) 渡された服の値札を一枚一枚確認して、げっそりする。おそらく柴田はそんなことを考えて、逢坂に服を渡してきていない。柴田がきちんと仕事をしている、いや仕事をし過ぎている立派な社会人であることは、勿論出会った時から知っていた。それに比べて自分はただの大学生で、アルバイトはしているけれど、そんなものは交際費として毎月消えていくし、ほとんど親の仕送りで生活をしているようなものだ。服だって勿論、それなりに拘って買っているつもりだったが、それはもう自分の許容範囲を超えない領域でのやりくりになってくる。1ヶ月に何万円も洋服代にかけられるほど、裕福な生活はしていない。それを柴田は何と思っているのか、今は姿の見えない愛しい恋人に向かって、逢坂は狭い試着室の中ではぁと息を吐いた。 「しずかー」 「あー、はいはい」 呼ばれて慌ててカーディガンとTシャツを脱いで、はたと後悔した。柴田は綺麗な格好をしていたが、逢坂はあんまり後のことを考えずに、それより柴田と出かけられることに浮足立っていて、金曜日に学校に行った時と同じ服を着て出てきてしまっていた。今日は柴田の家からやって来たし、柴田の家にそんなに沢山私物を置いていないせいもあり、選択肢は少なかったが、しかしもう少しマシな格好をして来ればよかったと、逢坂は狭い試着室の中で、またひっそりと頭を垂れた。店の中で柴田に懐いている店員を睨んでいる場合ではなかった。そしてほとんどやけくそになって、柴田が渡してくれた紺色のシャツを着る。 (あー、俺、絶対店の中で浮いてた・・・) 俯瞰で考えると身震いがしてくるから恐ろしい。試着室の中の大きな姿見を見て、乱れた髪の毛を手ぐしで直す。金色が逢坂の指先からはらはら零れて頬に落下していく。そういえばいつまでこの色にしておくのだろうと、じんわり根元が黒くなっているのを見ながら思う。 「しずかー」 「はい、着たよ!」 待ちきれないように柴田が外から名前を呼ぶのに、鏡を覗き込んでいた逢坂ははっとする。慌てて勢いよくカーテンを開けると、そこで待っていた柴田の手の中に、また服が増えていて、試着室の中に残されたわずかな空間で、逢坂は思わず後ずさりした。またこれを着ろと言うのではないだろうなと思って、恐る恐る柴田を見やると、柴田はそこで何故か目を輝かせている。 「やっぱり、しずは何着ても似合うなぁ・・・!」 「え、あ」 「お前、あんまりそういうかっちりした格好しないけど、そういうのもいいよ。似合う」 「あ・・・りがと」 「よし、じゃあ次これ」 にこにこ笑って柴田が褒めてくれるので、それに対して何とも言えなくなって、逢坂はただ渡された服を受け取って、柴田がカーテンを閉めるのを止めることが出来なかった。暗くなった試着室でひとりではぁと息を吐いて、シャツを脱いだ。 (侑史くんがにこにこしてる、珍しいかわいい抱き締めたい・・・) (でも我慢我慢、店の中だし、ね) 一応それくらいの自制心はあるつもりだった、柴田に言うときっと笑って信じてくれないと思ったけれど。考えながら、今度はゆるっとしたシルエットの白いロングTシャツに腕を通す。もう値札を見ても良いことはないので、見るのは止めにした。 「侑史くん、できたー」 ほとんど投げやりになりながら、試着室のカーテンを開ける。先程逢坂が腕を通した紺色のシャツは、柴田が買うものの上にしっかりと積まれていた。本気で買う気なのかと思って、それを目ざとく見つけた逢坂は思わず青ざめてしまった。 「んー、やっぱこういうのが閑って感じだなぁ」 柴田は相変わらず目をキラキラさせて、逢坂に手を伸ばすと首のラインのよれているのを直した。指先が首に触れて、逢坂は自分の顔が熱いのが、そこから柴田に伝わってしまうのではないだろうかと思った。柴田がそんな形で自分の容姿というものを好きでいてくれているなんて、逢坂は今の今まで全く知らなかった。そういえばふたりでそんな話をしたことも今までなかった。そう思うと、知らないこと、話したことのないことはまだまだ沢山あるような気がする。今度はゆるっとしたシルエットの白いロングTシャツに長めのグレーのカーディガンで、逢坂がいつも着ている服に近い。逢坂はあまり意識したことがなかったが、そうやって柴田がいつも自分のことを、そういう何気ない服の拘りとかを、見ているのかと思うと少し嬉しくなった。 「そう?なんか照れる・・・」 「そういうだらっとした服着てもだらしなく見えないのは、ちゃんと似合ってるってことだろ?」 「・・・侑史くん褒めすぎなんですけど・・・ほんとどうしたの・・・」 「ごめんごめん、ほんとは俺、お前と服買いに来たかったの、っていうか色々着せてみたかったんだよね。しずは何でも似合うって分かってたし」 「・・・―――」 「はい、じゃあ次これ」 笑顔で手渡されて、断らなければいけないと思ったけれど、柴田があんまりにも嬉しそうな顔をしているのを見ていると、逢坂はそれを拒めなかった。

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