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第7話

その日の夕食は、何の味もしなかった。柴田は昔から酷い偏食であったが、大人になるにつれて、食事に自分の意見を主張できるになるにつれて、偏食は拍車をかけるように段々酷くなった。最近では好んではプリンとヨーグルトか、それかコンビニスイーツしか食べないようになっている。昼食は職場の近くで同僚と一緒に食べることが多かったから、メニューといつもにらめっこして決めることにはなったが、自分でも一応気にかけていて、それらしいものを食べるようにしていた。食べることが出来ないわけではなく、ただ好んで食べないという点で、藤本が子どもを見るような目で時々揶揄するみたいに、自分は偏食なのだろうと柴田は思う。逢坂はそんな柴田の食生活を心配して、部屋にいる時は必ずと言っていい程食事を作る。別にそんなこと毎回しなくてもいいと言ってみたことがあったが、逢坂は笑って俺がしたいからいいの、と言った。そんなやりとりをしたのも、随分昔のことのように想起されて、柴田はまた少しだけ頭が痛くなった。 (しずの作るものはいつも美味い、何でも食べられる、でもこれも、俺が義務だと思ってるから?残したら申し訳ないから?) 考えているうちに、無意識に眉間に皺が寄る。今までそうやって何となく見ないふりをしてスルーしてきたことが全部、柴田に急に意志を持ってクエスチョンを投げかけてきているみたいだった。そんなことにいちいち頭を痛めているなんて、無駄なことだと分かっていたけれど。不意に考え込んでしまった柴田を見ながら、逢坂は向かい側で箸の端っこを噛む。 「どうしたの、侑史くん」 「あ、うん」 「美味しくなかった?ごめん」 「いや、そんなことない・・・」 言いながら、唇から溜め息が漏れる。何となく雰囲気はぎくしゃくしたままだった。 「あ、そうだ。侑史くん、あの、まなかさん」 「真中さん?」 不意に逢坂が口を割って、柴田はふっと思考の渦から逃れられる。正面に座る逢坂とは、やっぱり彼が意図的に反らした視線のせいで、目が合わない。逢坂が此方を見ないまま、空虚に笑い声を漏らして、柴田はその行方を目で追いかけた。 「侑史くんと真中さん、いつもあんな感じで喋ってるの?」 「・・・え・・・あぁ・・・うん、まぁ、そうかな。ちゃんと仕事の話をしてる時もあるっていうか、まぁそれが大半って言うか」 「そう」 言いながら、逢坂がまた全然違う方向を見ながら笑いを漏らした。何故急に真中の話など始めたのだろう、純粋に不思議に思いながら、柴田は一向に交わることがない視線に、やきもきしながら一方では少しだけ安心しながら、逢坂の目のあたりを見ていた。 「なんか侑史くんらしいけど。でも駄目だよ、あんなんじゃ」 「・・・なにが」 「好きなんだったらもっとちゃんと伝わるようにしなきゃ。侑史くんはホントに、そういうとこ不器用って言うか。まぁそこがかわいいけど」 「・・・―――」 どん、と握った拳で柴田がテーブルを叩いて、流暢に言葉を繋いでいた逢坂は正面でびくりと体を震わせて、唇を閉じた。俯いた柴田の表情は、逢坂の位置からは見えない。ただ握った手がテーブルの上で震えているのが見えて、柴田が怒っているのは、表情を見ずとも分かった。 「何言ってんの、お前」 俯いたまま低く唸るように柴田が言って、逢坂はそれからまるで逃れる方法を知っているみたいに、また視線を宙に彷徨わせた。 「・・・なにって・・・」 「だから、何でそんなこと言うんだよ、真中さんのことは、もういいって言ってる、だろ」 何故自分が怒っている方なのに、こんなに後ろめたくてバツが悪いのだろうと、拳を握りしめながら柴田は思った。あまり期待しないで視線をゆっくり上げると、そこでやはり逢坂は全く違う方向を見ていた。眉尻を下げて一応反省しているような顔を作ってはいるが、何か別のことを考えている顔をしている、根拠はないけれど柴田はそれを見てほとんど瞬間的にそう思った。 「そうだね、ごめん、なんか、変なこと言って」 何でそんな顔して謝ったりするのだろう。相変わらず視線はこちらにはない。本当に自分に謝っているのか、もう一度声を上げそうになって柴田は飲み込む。 (こっち見ろよ、くそ・・・) 思ったが、柴田はそれだけは口には出せなかった。 それ以上食べられる気がしなかったので、久しぶりに柴田は逢坂の作ったものを残して、さっさと風呂に入ってベッドに横になった。さっきまでソファーでうとうとしていたのがいけなかったのか、いつもは疲労ですぐに眠れる頭も自棄に冴えていて、全く眠れそうになかった。リビングでは逢坂が夕食の片づけやらしているのだろう、動いている気配がするけれど、何となくそれに期待するのは、今日はもうやめたほうが良いと思った。何がいけなかったのか考えていてもどんどん深みに入りそうだったので、それも諦めて早く眠りたいのに、今日に限ってそれもうまくいかないなんて、八方塞がりすぎて柴田は唇を噛んだ。 「侑史くん、もう寝た?」 ややあって、逢坂が寝室に入ってくるのが気配だけで分かった。声だけ聞いているといつも通りなのに、と思いながら柴田は目を瞑って、眠っているふりをした。今日はこれ以上、逢坂と話しても何もならないような気がした。それにこのままセックスにでも持ち込まれたら最悪だと思って、柴田は黙っていた。逢坂も柴田が眠っていると思ったのか、それ以上は声をかけてこない。そのまま背中が外気に触れる気配がして、少しだけ冷たくなった後、逢坂が隣に入ってくるのが背中越しに伝わってくる。 (寝よう、明日朝起きたら、閑に謝って、ご飯残したことと、あと・・・怒鳴ったこととかあとは・・・) (でもなんで、閑は機嫌悪く・・・してたんだっけ) 暗闇に目を開いて考える。眠っているふりをしていたのを忘れて、柴田がふっと首を回してみると、後ろで逢坂はこちらに背を向けて眠っていた。それを見ながら少しだけ、柴田は胸がずしりと重たくなったような気がした。声をかけようとして迷って唇を閉じる。そう言えば、ここでこうして一緒に眠るようになってから、逢坂がこっちを向いていないのははじめてだった。 (何か怒ってるなら、言えよな。何で黙ってるんだ、こいつ。ばか) 言ってくれないと分からないのにと、思いながら柴田もそれを逢坂に伝えることができないでいる。

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