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第21話

それから一ヶ月後、柴田は真中に文句を言われながら3日有給を取り、都内から車で3時間走った海沿いにある旅館に来ていた。柴田の前で啖呵を切った逢坂は、柴田の言うとおりバイトを増やして柴田の家にも暫く来なくなった。だから逢坂の顔を見るのは久しぶりだったが、バイトを詰め過ぎたツケなのか、行きの車の中で早々に眠ってしまい、ムードも何もないなと思って、柴田はひとりで苦笑する羽目になった。逢坂が眠い目を擦って起きる頃、車は旅館についていて、和装の仲居さんに荷物を運ばれて部屋までやって来た。波多野のチームが内装を参考にしたらしい旅館の部屋は広くて、イグサの匂いに敷き詰められている。逢坂は自分たちふたりが仲居さんには一体如何いう組み合わせに見えているのだろうと気が気ではなかったが、自分の荷物を全く運ぼうとしない柴田は、ひとりで目を輝かせて浮足立っている。大人でしっかり働いているその人は、時々酷く子どもっぽくはしゃいだりして、それを見つけるたびに不思議だなと思う。はしゃぐ柴田は、仲居さんの困ったような何か見てはいけないものを見るような視線は、気にならないのだろうかと逢坂は背中に汗をかきながら考えた。 「お荷物此方でよろしいですか」 「あ、すいません、有難う御座います」 「お食事の時間なんですけれども・・・―――」 「しずー!しずー!お前、はやくこっち来いよ!すげー外キレ―だぞ!」 「侑史くん、うるさい!すみません、時間それで、大丈夫です」 「承知いたしました。ごゆっくりお寛ぎ下さい」 若い仲居さんは綺麗な所作で頭を下げると、廊下を音もなく歩いて角を曲がって消える。若いように見えたが、それはしっかり教育された姿だった。きっとこの旅館はアルバイトなど雇っていないのだろうと逢坂は値段を思い出しながら考える。仲居さんが完全に視界から消えるまで見送って、逢坂はようやくふうと息を吐いた。高級旅館でゆっくり寛げるかどうか、庶民の自分は怪しいと思いながら、部屋の中に戻る。空気を吸っているだけで、若干肩が凝っているような気もする。先程まで窓の外を見ていた柴田は、何故か今は床に頬をくっつけてじっとしている。荷物をふたり分取り敢えず端っこに避けて、逢坂はじっとしたまま動かない柴田の傍に座った。柴田が気配を感じて目だけで逢坂のことを見やった。 「侑史くん、何してるの?」 「んー、やっぱ畳は良いなぁと思って、俺、畳が好きだよ、今度引っ越す時は和室あるとこにしよう、絶対」 「引っ越すの?」 「今度な、こんど」 言いながら立ち上がって、ふらっと窓の方に向かう。そんな話は聞いたことがなかったから、本当にもしもの話なのだろう。柴田が襖を開けると、そこから遠くにきらきらと海が光っているのが見えた。逢坂も立ち上がって、柴田の後ろに立つ。 「外すげー綺麗だろ、やっぱ自然は良いなー、はぁ、もう、都会暮らしやめたい・・・」 「侑史くん、病んでるね」 「家に何か観葉植物でも置くかなー、でも俺、水やりとか絶対忘れそう」 話を聞いている分では仕事はしっかりやっているようだったが、柴田は家にいるとスイッチが切れたようにだらだらしていることが多かったので、多分そういうことは覚えていても最初の3日くらいですぐに忘れて枯らしてしまうのだろうなと逢坂も思った。 「侑史くん、仲居さんちょっと変な顔してたよね」 「えー?そうか?」 「俺たちなんだと思われてるんだろ、やっぱホモカップルかな」 「まぁ兄弟ではないわな」 「またそれ、俺は良かれと思って・・・」 ははは、と柴田が笑って、逢坂は堪らず柴田を後ろからぎゅっと抱きしめた。バイトを増やして会えていなかったせいもあって、久しぶりにそんな風に触れるなとぼんやり考えながら、柴田のざっくりしたセーターを引っ張って項に唇を落とす。柴田の体が吃驚したように震えた。柴田とは逢坂がまだ都合の良い軽薄な男だった頃、それはもう数えきれないほど沢山セックスをしたし、恋人になってからも会う度に飽きずに抱き合っていたが、相変わらず触れると柴田はびくっとして、何か警戒心を潜ませた目で逢坂のことを見てくる。いつになったらあの頃の記憶から柴田を引き剥がすことができるのだろうと、逢坂は震える体を抱きしめてそこに舌を這わせた後、きつく吸った。唇を離すと、じんわりと赤い跡が残る。 「何だよ、急に」 「んー、別に。はしゃぐ侑史くんかわいい」 「なに、お前テンションあがってないの?やっぱホテル派?」 腕の中でくるりと柴田が振り返って、逢坂はそれに対してなんと答えようか考えながら、先に体の方が動いていた。柴田の首筋に顔を寄せると、がしっと肩を掴まれてふと視線を上げる。柴田が肩を掴んで、多分非力なりに精一杯押し返してきている。セフレの時は兎に角いやいやが多かったが、恋人になっても柴田は時々何が気に入らないのか分からないが、時々逢坂の腕を押し返して、きつい口調で阻んでくる。セフレの時はそれでもお構いなしだったけれど、今はそれだけの関係ではなくなってしまったので、逢坂は指先に熱だけ残されて、柴田と同じ布団に眠りながら悶々とした夜を過ごすこともあったりして、セフレの時より不自由になったかもしれないと暗闇に唇を噛んだこともあった。勿論そんなことは柴田には言ったことはないけれど。 「だめ?」 「ダメ、だろ。今来たばっかりなのに」 「そんなぁ、何日えっちしてないと思って」 「何日って、たかだか一週間かそこらだろ、話を盛るな」 そうだったかなと考えながら、柴田が非力なりに必死なので可哀想だと思って、逢坂は上半身を起こして柴田から距離を取った。するとあからさまにほっとした顔をするので、逢坂はそれを見ながら何だかなぁと思って少しだけ傷ついたりもした。 「大体お前、車の中で寝こけやがって、俺がどんだけ孤独だったか!」 「ごめんごめん、だって眠いんだもん、連日徹夜なんだもん」 「帰り、運転交代しろよ」 「えー、侑史くん俺の運転で高速乗る気なの?勇気あるう」 「死ぬ時は一緒だな」 はははと柴田が笑って、笑い事じゃないのにと思いながら、逢坂はするりと柴田から腕を離した。逢坂も窓に近寄って傍に置いてある椅子に座って、外の景色をじっと見る。逢坂は都会で生まれ育っており、自然の豊かさには触れずに育ったため、そういうものを見ても、多分そうではない人よりは心が動かない。景色は綺麗だと思ったけれど、多分思えるのはそれくらいだ、考えながらふっと視線を柴田に向ける。柴田はどこで生まれてどんな風に今まで生きてきたのだろう、まだまだ知らないことはきっと多い。 「な、外行こう」 「え、今来たとこなのに?」 「いいじゃん、外行こう」 さっき自分で今来たところって言ったくせにと思いながら、柴田がはしゃいだ声で手を引っ張るので、仕方なく逢坂は立ち上がった。まだ少し眠たいような気がする。欠伸を噛み殺していると、すっかりコートを着込んで外に出る準備を進めていた柴田が戸口で振り返って逢坂を呼んだ。 「しずか、はやく」 「はいはーい」 車の中では暑くて取った大判のマフラーを首に巻いて、逢坂は言われるままに柴田の後を追いかけた。

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