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第28話
背中にどんっと衝撃が走って、逢坂は目を開けた。
「お前、いつまで寝てんだよ」
布団を捲って声のする方を見やると、柴田が浴衣姿で見下ろしている。いつの間に起きたのだろうと思いながら目を擦る。
「もう8時だぞ、風呂入ってこい」
「・・・はちじ・・・」
こんなことずっと前にあったような気がする。逢坂は痛む背骨に気をやりながら、布団の上で体を捻った。いつまで寝ているのかと柴田が言うので、もうてっきり昼前なのかと思ったけれど、時間はまだ8時を少し過ぎたくらいである。大体6時起きが通常の柴田からすればもう8時なのかもしれないが、同じ物差しで測られるのは些か乱暴だと逢坂は思った。8時に起こしておいてもう8時ということはないだろうかと思いはしたが、反論するとますますこちらが不利になりそうなので、逢坂は黙ってだるい体を起こした。それにしても蹴って起こすのは止めてくれと言っているのに、柴田は全く聞き入れる素振りがない。この分ではキスで起こされることなど夢のまた夢のことになりそうである。眠い目を擦って見上げると、布団の側に腕を組んで仁王立ちしてこちらを見下ろしている柴田は、自棄にさっぱりしている顔をしている。
「侑史くん・・・朝からお風呂入って来たの?」
「朝風呂はいいぞー、温泉の醍醐味だな」
「・・・ふーん」
まだ眠たい頭で、それに気のない返事をする。昨日散々風呂に入った癖に、また朝から風呂とはどれだけ風呂が好きなのかと、温泉の良さが今一つ分からない逢坂は思わざるを得ない。柴田は何を思ったのか、逢坂の背中をもう一度どんと蹴った。
「いたっ!・・・なにー?」
「お前今、俺の事おじさんだと思っただろ!」
「え、思ってな・・・」
「嘘吐け!人の事ジジイ扱いすんな!」
「・・・勝手な・・・」
仕方なく立ち上がって、柴田に顔を寄せると、確かにいつもはしない温泉の匂いが少しだけした。上気した頬は柴田の顔色をいつもより良く見せている。また何かを警戒して足を後退させる柴田の両肩を掴んで、その唇に触れるだけのキスをする。
「おはよう、侑史くん」
「・・・おはよう」
「これだけかわいかったらおじさんでも何でも良いよ・・・」
「あー・・・お前まだ寝てるな?」
そう言って笑う柴田の着ている浴衣の襟首を引っ張ると、昨日夢中でつけたキスマークはそのまま残っている。逢坂はそれを見て少しだけほっとした。すると浴衣を引っ張る手を柴田が素早くべちんと叩いて、逢坂は慌ててそれを引っ込めた。
「朝から盛るな、馬鹿」
「盛ってないよ、ちょっと確かめただけ」
「なにを?」
「ひみつ」
ふふと逢坂が声を出さずに笑うと、柴田がそれを聞きながら怪訝そうな顔をした。昨日は可愛かったのにと逢坂は思ったが、それを口に出すとまた怒られそうなので黙って、柴田が浴衣の襟首をきちんと直すのを見ていた。こんな跡だらけで朝からお風呂に浸かっていたのかと思うとそれに全く柴田が気付いていないことも含めて、何だか少し可笑しい気がして勝手に口から笑いが漏れる。
「お前、あとそうだ、朝食きてるから」
「え?はやいね・・・」
「俺、もう食べたから」
「・・・え?」
襖を開けて隣の部屋に移動すると、昨日夕食が並んでいたそこに、今日は朝食が並んでいる。逢坂のところから見るとそれは完全に二人分、手つかずの状態に見えた。ちらりと隣の柴田を見やると、柴田はいつの間にか鞄から服を取り出しているところだった。
「侑史くん、食べたってなにを?なにを食べたの?」
「ごはん食べただろ、あと海苔と、漬物も食べたぞ!ほら、なくなってる!」
「・・・そんな自信満々に言わないでよ、魚とかおかずは何にも食べてないんだな・・・」
「だって骨が、面倒臭い、無理」
逢坂の提案を無常で切り捨てた柴田は首を振って、もうそれ以上興味はないと言いたげに、そそくさと着替えはじめる。逢坂はテーブルの前に座って、自分の分だけでもと思って食べはじめる。きっと昨晩だって、夕食を片づけた仲居さんは、ほとんど手つかずの夕食に首を捻っていたはずだ。折角準備をしてくれているのに、と思いながら、全く悪びれる様子のない柴田の背中を見やる。
「侑史くん、今日はどこ行くの?」
「そうだなー、なんも決めてないなー。車出してその辺ぐるっと見て回ろうか」
「うん、そうだねー、はぁ明日もう帰らなきゃいけないのかぁ」
「2泊3日なんて一瞬だな」
ははは、と柴田が声を上げて笑う。逢坂は柴田が骨があるから無理と言った魚をほぐしながら、それをぼんやり聞いていた。大体柴田の家に行く時は金曜日の夜が多くて、それから何か特別用事がなければ、土日は一緒に居ることが普通になってきている。祝日が続けば3日くらい一緒に居ることだって今まであった。だから多分昨日からのそれは時間的に考えれば、特別なことではない。急に黙った逢坂に気付いて、すっかり着替えた柴田が振り返る。けれどその時逢坂は、それが途方もなく長い時間にも思えたし、勿論柴田が言うように一瞬にも思えた。こんなに長い時間柴田のことを見つめていることは、今までなかったような気もするし、これはいつもの連休の延長だと言われれば、それはそれで納得できるような気がしていた。
「なに」
「んーん、旅行、楽しかったなって思って」
「楽しかったなって、今日まだ一日あるだろ」
「そうだけど、なんか、侑史くんのこと独り占めできて嬉しかった」
「お前はまたそういう・・・」
はぁという溜め息とともに、呆れたように柴田が呟くのを、逢坂はただ朝食の続きを食べながら聞いていた。本当は毎日声が聴きたいし、会って話がしたいし、抱き締めてキスもしたいけれど、現実的にはそんなことは到底無理だからと、これでも一応我慢しているのだと言ったら、きっと柴田は笑うだろうけれど、逢坂は半ば本気でそんなことを考えている。そんなどうにもならないことに振り回されて、焦燥したり悩んだりすることだって、恋人だからしても良いことなのだと納得させて、結局我慢しているのだと言ったら、柴田は如何するのだろう。考えながら逢坂は、ちらりと呆れた様子の柴田を見やった。
「でもこれ以上長いのは無理だな、侑史くん餓死しちゃう」
「するか、馬鹿」
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