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第4話(前編)
「子供ってかわいいですよねぇ、佐倉部長。小学生なんか、僕たちに向かって敬礼なんかしちゃって」
午後4時過ぎ。近隣小学校の下校時間に合わせてパトロールに出ていた旭と田村は、交番に戻り今日のこれまでの勤務について日誌を書いていた。田村は下校中の小学生から敬礼されたり手を振られたりしたことが嬉しかったようで、思い出しては顔をほころばせている。
「まぁ、小学生くらいまでは、な……」
旭は知っている。幼い頃に「お巡りさん」と慕ってくれていた子供らも、中学高校と成長するにつれて警察に対して無関心、場合によっては敵対心を抱くようになるものだと。無邪気に手を振ってくれるのは、ほんの一時期のことだけなのだと。
「いやぁ。やっぱりああやって応援されちゃうと、自分も町のお巡りさんとして頑張ろうって気持ちになりますよねぇ」
「……」
若者のやる気を削ぐようなことは、あえて言う必要もないだろう。旭は返事をせず、黙々とペンを動かし日誌の記載をしていた。
前日の班からの引き継ぎ終了後、この夕方に至るまでまだ一つも現場が入っていない。平日の日中とは言え署の管轄全体が平穏で、普段は事案発生をかしましく告げる無線機も、今日は無口に佇んでいる。パトロールに出た以外は、交番内で静かに過ごすことが出来ていた。
警察の仕事は、暇な方がいい。つくづく旭はそう思う。パトロールや各家庭を訪問する巡回連絡等はいくらでもするが、事件事故等の現場は無いにこしたことはない。警察官が静かに過ごせるというのは、町が平和であるという証拠でもある。住民も警察官も、平穏に過ごせるのが何よりだ。
「こんにちは。おつかれさまです」
来所者だ。交番入口に立つ彼の姿を見た途端、にこにこと書類に向かっていた田村の表情が不機嫌そうに曇る。
「なんでまたこいつが来るんですか?」
制服姿の来所者を一瞥した田村が、口をとがらせながら旭に問いかける。
「おい! 市民に対して、『こいつ』なんて言い方があるか。失礼にもほどがあるぞ」
田村の物言いに、旭は思わず強めの口調で叱責してしまった。普段あまり耳にすることのない旭の怒声に、田村が首をすくめる。
「……すみませんでした」
一方、「こいつ」と言われた当の本人、菊池優真にあっては、
「いえいえ。僕は全然気にしてませんので。大丈夫ですよ」
と、にこやかな表情だ。自身の発言の通りなのだろう。田村の発言に対して、特に気分を害した様子は見受けられない。
優真が、目線を田村から旭へと移す。まともに目と目が合ってしまい、旭は一瞬ドキッとしてしまった。
「おじゃまならすみません。お忙しいですか?」
「いえ、全然。今は特に何事もないので」
旭の返事に、にこやかだった優真の表情にさらに喜色が浮かぶ。
「よかった。じゃあ今日もよろしくお願いします」
過日、本署において副署長から唐突に呼び出された旭。何事かと思って緊張したものの、要は「採用活動の補助をするように」との直々の指示だった。
旭は指示の要点をまとめ、後日相勤者である田村に事情を説明した。
「……なんか、よく分からないんですけど」
説明を聞いて怪訝そうな表情を浮かべる田村。
「そう、だよなぁ……」
そして説明していた側の旭も、同じ表情だ。
田村が考え考え、ぽつぽつと要点を確認する。
「菊池優真くん、でしたっけ。この間、財布の拾得に来てくれた高校生ですよね?」
旭が頷く。
「その菊池くんが高校3年生で、進学も考えてるけど、就職も考えている、と」
旭が田村に頷き返す。そう、その通り、と。
「んで、就職先の一つとして、警察官になることも考えている。けれどまだ決め手がないから、ぜひとも職場見学がしたい。その旨、学校を通じてうちの警務に打診があった。ここまでは合ってますよね?」
「うん。間違いない」
旭の返事に、田村がふ~んと息をこぼす。一呼吸置いて、
「なんで佐倉部長なんですか?」
「それなんだよなぁ……」
旭と田村は顔を見合わせると、同時に深くため息をついた。胸中考えていることの細部は異なるが、「なぜ?」という点は二人とも一致していた。
副署長からは、当人からの指名があったと説明を受けた。曰く「来校しての防犯講話で、名前を知っていた」「偶然にも落とし物を届けた時に応対してもらい、その時のことも印象に残っていた」ということらしいが、旭としては釈然としない。職場見学なら警務課が担当すればよいと思うし、このような「ご指名」などというものは前例を聞いたことがない。そもそも、そんな指名を受け入れるなどと。
副署長と警務係長からは、「通常業務の合間で」「業務に差し支えのない範囲で」「個人情報の取り扱いには注意しながら」「もちろん現場が入れば現場優先で」対応するようにと指示された。「地域課長と交番所長の了解は得ている」とも。旭は内心「無茶振りだ」と思いながら、しかし上司からの命令に首を横に振るわけにもいかず、渋々ながら「分かりました」と頷くほかなかった。
後になって、署としての採用活動が昨年度は全く奮わなかったことを知った。おそらくそのことで、県警本部から発破をかけられたのだろう。今年はどんな手を使ってでも、採用試験受験者を確保しようと必死なのだなと、ほんの少しだけ警務係に同情した。同時に、巻き込んでくれるな、とも思ったのだが。
爾後、週に1回程度、旭の勤務日に優真は顔を出すようになった。少しばかり、差し障りのない範囲で業務について話をする程度で、特段変わったことはしていない。つまらない話だと旭が思っていても、優真はいつも真剣に耳を傾けていた。
今日も、来所者用の椅子に優真が座っている。背筋をまっすぐに伸ばして、両手は軽く握られた状態で太ももあたりに乗せてあり、まるで卒業式みたいな座り方だなと旭は思った。
優真に見られていると思うと、旭は少し緊張してしまう。使い慣れているはずのペン先が、いつもより紙に引っかかる気がする。すぐに書き終わるはずだった日誌が、つまらない誤字が増えてなかなか終わらない。
田村は冒頭のやり取り以降居心地の悪さを感じたのか、「パソコンで作りたい書類がある」と言って、奥の事務所に引っ込んでしまった。田村はどうも、優真のことを快く思っていない節がある。
「今日は、何をされていたんですか?」
優真の質問に、旭は手を止める。
「今日は幸い、今のところ特に何もないんだ。パトロールに出たぐらいで、あとはずっとここにいるよ」
「パトロールは、どんな感じだったんですか?」
「別に、普通かな。ミニパトに乗って、管内を回っただけで。あぁ、小学校の下校時間に合わせて、通学路を意識して重点的に回ったかな。最近、不審者が出たっていう情報もあるしね」
何の変哲も面白みもない回答だったが、優真は嬉しそうにうんうんと頷いている。旭としては当たり前の業務を簡単に話しただけなので、何がそんなに優真の興味を惹くのか、不思議でしょうがない。
「佐倉さん、優しいですよね」
優真の唐突な発言に、旭は面食らった。今の話の、どこにそんな要素があったのか?
「通常の勤務として、パトロールしてきただけだよ」
思ったままに告げると、優真はゆっくりとかぶりを振った。
「そうじゃなくて」
そしてまっすぐ、改めて旭を見つめる。
「ほら、こうやって、目を見てくれるじゃないですか。書類を書きながら片手間に僕の相手をするんじゃなくて、ちゃんと体ごとこちらを向いて、僕の目を見て話をしてくれてる」
言われてみれば、その通りだ。特に何かを意識していた訳ではない。何となくその方がよいと、旭は自然とそうしていた。
「別に、普通じゃないかな」
旭は率直にそう思ったのだが、優真から見ればそうではなかったらしい。
「いいえ。それを自然に出来るのが、佐倉さんの優しさなんです」
そう言って、優真は微笑んだ。
「優しいんですよ、佐倉さんは」
旭の胸が高鳴った。交番のカウンター越しで多少距離があるとは言え、瞳を見つめられながらストレートに誉められると、いい歳をした大人でもさすがに照れてしまう。
顔が熱い。柄にも無く赤面していることが、自分でも分かる。制服の下で、シャツに汗がにじむ。
旭は赤くなった顔を隠すように、書類へと視線をそらした。もちろん、見てはいるものの中身は全く頭の中に入ってこず、仕事にはなりそうもない。
自身の反応に、我が事ながら動揺してしまう。動揺してしまったことに、戸惑ってしまう。なんとか平静を取り戻そうと、優真に気取られないように静かに深呼吸を繰り返すもののあまり効果がない。ちらりと横目で盗み見ると、一方の優真は変わりなく微笑んだまま旭を見つめていた。
(まいったな……)
しばらくの間、無言の時間が続いた。
この場から逃げ出したくなる気持ちを必死で抑えていた旭の視界に、一組の親子連れが飛び込んできた。交番出入口のガラス越し、こちらに向かって歩いてくるのが見える。母親と少年。小学生ぐらいだろうか、母親に連れられたその少年は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
それを見た瞬間、旭の頭と体が、すっと平静さを取り戻す。
「菊池くん、ちょっとごめん」
旭の視線の先に気がつくと、優真が席を立った。同時に、その親子連れが交番に入ってくる。
旭がカウンターに立ち、相手を落ち着かせるよう、ゆっくりとした調子で声をかけた。
「こんにちは。どうされました?」
旭が声をかけると、母親がバッグからおずおずと書類を取り出した。自転車店の名前と、購入者の氏名や防犯登録番号が記載されている。自転車の保証書だった。
「お忙しいところすいません。息子が、自転車を盗まれてしまって……」
「そうでしたか」
そう言って、旭は母親から保証書を受け取った。傍らの少年は、唇を噛みしめながら黙ってうつむいている。旭はカウンターのスイングドアを抜け来所者側に回り、少年の側へと歩み寄ると中腰になって彼の顔をのぞき込んだ。
「大変だったね。自転車は、お巡りさんたちが必ず見つけてあげるから。少しだけ、協力してくれないかな?」
顔を上げた少年が、旭の顔を見つめる。幼い瞳は、いっぱいに涙を溜め込んでいた。
「ぼく、公園で遊んでて、自転車に、かぎかけるのわすれちゃって……気がついたら、自転車なくなってて……」
少年の懸命な説明に、旭が耳を傾けながら何度もうなずく。
来所者に気づいた田村が、奥の事務所から顔を出した。
「どうしました?」
「自転車盗だ。被害届を取るから、準備してくれ」
「了解です」
田村は旭の指示を受けると、きびきびと書類の準備を始めた。
旭は優真に顔を向ける。
「菊池くん、申し訳ないけど、見ての通りだ。個人情報の取り扱いもあるから、悪いけど今日はこれで」
「分かりました。お忙しいところ、ありがとうございました」
優真は旭に向かって頭を下げ、そして去り際、少年に向かって声をかけた。
「安心して。このお巡りさんに任せておけば、だいじょうぶだよ。すぐ見つけてくれるから」
見知らぬおにいちゃんである優真に話しかけられた少年は、きょとんとしていた。その少年に向かって、優真は再度
「だいじょうぶだよ」
と言って、にっこりと微笑む。笑顔につられたのか、少年も微笑み、「うん」とうなずいていた。
優真が外へ出て行ってすぐに、田村が書類を持って戻ってきた。旭が親子に声をかける。
「お待たせしてすみません。今から被害届を作成します」
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