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第4話(中編)
「お忙しいところすみません、ありがとうございました。よろしくお願いします」「おねがいします」
親子は旭と田村に向かって揃って頭を下げ、礼を言って帰っていった。
「まだ、お礼を言われるようなこと、何にもしてないんですけどねぇ」
盗まれた自転車の手配を終えた田村がつぶやく。
「そうだな。今からが、俺たちの仕事だ」
やっぱりかぁ。そう言って田村が苦笑する。
「被害品、今から探しに行くんですね。何事も無く夕飯を迎えられるかと思ってたんですけど。夕飯食べた後でもいいんじゃないですか?」
そう言いながらも、事務所内の書類を片付け、外に出る準備を始めている。
「早く見つければ、その分早く戻ってこれるさ」
「夕飯を跳び越えて、夜食にならないことを祈りますよ」
無線機で自転車の被害届を受理したこと、今からパトロールがてら探しに行くことを本署に伝えて、2人は交番の外に出た。夕方、薄暮時間帯。今はまだ明るいが、すぐに暗くなってくるだろう。完全に陽が落ちてしまえば自転車の特徴なぞ分かりにくくなるし、そもそも停めてあっても見つけにくくなる。
「毎回、思うんですけど」
交番のミニパトに書類の入った鞄を積みながら、田村が口を開く。
「こんな、必死になってすぐに探しに行かなくてもいいんじゃないですか? 自転車ぐらい」
バンッ
響き渡った音に、田村がビクッと身体を震わせた。ミニパトのドアが勢いよく閉められたのだ。旭が険しい目つきで田村を睨んでいる。その鋭さに怒りの感情が見て取れる。優真に対する「こいつ」発言の時とは、比べものにならない。田村は自分が失言をしたことを瞬時に理解した。体中の血の気が引くのを感じる。
「あ、いや、なんて言うか……すみません」
「あの男の子の目の前で、同じことが言えるか? 自転車『ぐらい』なんて、言えるのか?」
「あ、いえ……」
「被害は被害だ。一件一件の、一人一人の被害者がどんなに悔しくて、悲しい思いをしているのか、お前には分からないのか?」
口調が静かな分、込められた怒りが伝わってくる気がする。いっそ大声で罵られた方がマシだと、田村は思った。
実際には30秒も経ってなかったが、田村にとっての長い時間が過ぎた時、
「あの、すみません」
2人に向かって声をかけてきた人物がいた。優真だった。
旭が驚く。とっくに帰ったと思っていたのに、何故まだここにいる?
「あの子の自転車、探しに行くんですよね? 僕も一緒に探してもいいですか?」
その提案には、旭も田村も驚いた。優真が言葉を続ける。
「もちろん、一緒にパトカーに乗せてくれなんて言いません。僕は僕で、歩いて近くを探します。ダメですか?」
旭はしばらく考える素振りを見せたが、内実言うことはとっくに決まっていた。
「……菊池くん、申し訳ない。その気持ちは嬉しい。でも君は、被害に遭った自転車がどんな物かも分からないだろう? 君は善意からそう申し出てくれるんだろうけど、事件の詳細を一市民に教える訳にはいかないんだ」
旭の説明を聞き、田村がうんうんとうなずいている。しかしその説明を聞かされている当の優真は、「その点は大丈夫です」と自信たっぷりに返事をした。
田村が思わず口をはさむ。
「大丈夫って、どういうこと?」
「個人的に、さっきの親子から依頼を受けました」
返答に、旭と田村が呆気に取られる。
「届け出が終わるの、近くで待ってたんです。佐倉さんのことだから、すぐに探しに行くだろうと思って。それで、さっきの男の子が交番を出てきた時に声をかけて、僕にも探させてほしいって頼んだんです。そしたら自転車の特徴も、連絡先も教えてもらえました」
田村が小声で、「意味が分からない」とつぶやく。旭も同感だった。
「あの親御さんも、了承したってこと? よく信用してもらえたね」
旭が率直に疑問を口にすると、優真は事もなげに「あぁ、それは」と答えた。
「あのお巡りさんと僕は友達なんだってあの子に言ったら、何でか喜んでくれて。親御さんも『助かります』って、すぐに教えてくれましたよ」
旭は思わず頭を抱えてしまった。
ゆるい。
こんな言い方もなんだが、個人情報の取扱いに関して、ゆるすぎる。相手が学生とは言え、見ず知らずの他人に連絡先を教えるなどと。自分たちが業務の中でどれだけ気を使っていても、当の市民の側がこれでは、なんとも……。それともこれは彼の人徳のなせる技なのだろうか?
そしてそもそも、自分と彼は、「友達」なのか?
いろいろと言いたいことが胸中に渦巻く旭だったが、今は時間が惜しい。優真にはまた今度話をするとして、取り敢えず優真の提案に乗ることにした。
「……分かった。こっちは公園を中心に車が通れる大きめの道を重点的に探すから、菊池くんは少し細めの路地を探してみてくれ」
そう言って、旭は制服の内ポケットからスマートフォンを取り出した。
「連絡先を交換しよう。お互い、自転車を見つけるか、そうでなくても連絡が取れるように。いいかな?」
「いいんですか? やった!」
優真が嬉しそうにポケットからスマートフォンを取り出す。旭が告げた電話番号をいそいそと画面に打ち込むと、早速電話をかける。当然のことだが、旭の掌の中にある電話が鳴った。旭は旭で、着信のあったその番号を素早くアドレス帳に登録した。
「一応、確認なんですけど」
優真が旭に向かって問いかける。
「そのスマホ、私物ですよね? 公用の電話じゃないですよね?」
「自分の私物だ」
旭の答えに、優真は喜びを隠さない。愛おしそうに、画面に映った電話番号を眺めている。
「出来るだけ、暗くなる前に見つけたい。時間が惜しい。菊池くん、頼んだよ。けして無理はしないで」
「了解です!」
盗まれた自転車を探しに行くという、けして楽しい状況ではないはずなのだが、優真は喜び勇んで旭たちから離れていった。
旭が大きくため息をつく。
「よかったんですか、佐倉部長。一般市民を巻き込んだりして」
「……仕方ないだろう。被害者親子の了承を得ているというのであれば、それを止めるのもおかしな話だ」
余計なことを考えるのは後にしよう。今は、被害品を探すことが先決だ。
旭はパトカーに乗り込むと、シートベルトを締めエンジンをかける。ギアをドライブに入れる前に、ため息がこぼれそうになり、慌てて大きく深呼吸をした。
被害品である自転車を探し始めて、1時間近くが経過した。陽は沈み、街中には街灯がともり始めている。家路を急ぐ歩行者がせわしなく歩いており、自動車の交通量も目に見えて増えた。
未だ、自転車は発見に至っていない。
「田村、ちゃんとよく見てるか?」
あくびをかみ殺していた田村に向かって、ハンドルを握る旭が問いかける。運転手である旭は、きょろきょろと辺りを見回すことが難しい。乗車して何かを探すとなれば、自然と助手席の役割が大きくなる。
「見てます見てます。探してますよ、ちゃんと。でももう暗くなってきて、正直、見えなくなってきました」
致し方ないことだった。日没までが勝負、それは最初からわかっていたことだ。
「佐倉部長、今日はもう諦めませんか? 探すにしても、こんだけ暗くなってくると無理がありますよ。ほかの現場も入ってくるかも知れないし、明日の班に引き継ぎましょう?」
田村の言うことももっともだった。明日以降、明るい時間帯に探す方が断然効率がいい。そうに決まっている。けれど旭は、まだ諦めたくなかった。今にもこぼれそうなほど涙を溜めて、こらえていた少年の顔が浮かぶ。出来るだけ早く、見つけてあげたかった。
「すまん。もうちょっとだけ、付き合ってくれ」
旭の返答に、田村は観念したように苦笑いを浮かべた。
「……そう言うと思いましたよ。分かりました。全然、いいですよ。被害者のためですもんね」
つい先刻、厳しく指導されたばかりの田村だ。班長である旭の方針にはそれ以上逆らう気もなかった。
その時、センターコンソールボックスに置いていた旭のスマートフォンが鳴った。画面には、先ほど登録されたばかりの「菊池優真」の名前が表示されている。
「田村、出てくれ」
はい、と返事をした田村がスマートフォンを手に取る。「もしもし、佐倉の携帯ですが」と、相手との通話を始めた。
見つけたか、それとも何かあったのか……。
旭が期待半分不安半分に耳をそばだてる。
「えっ! 見つけた!? どこで?」
田村が声を上げながら旭に向かってうなずくと、スマートフォンの通話をスピーカーに切り替えた。興奮しているのか、若干うわずった調子の優真の声が車内に響く。
「公園から駅方向の、中央三丁目にある塾の近くです。えっと、塾の西側の路地です。道路端に置いてあるんです。名前のシールも貼ってあるし、間違いありません」
あそこか。旭はつぶやくと、大きくうなずいた。
「わかった。今からそっちに向かうから、そこで待っててくれ。5分で行く」
旭は横道に入り方向転換すると、優真の待つ塾方向へとアクセルを踏んだ。
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